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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第三話・第十五夜:雷轟の夜

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燦然のソウルスピナ 第三話・第十五夜:雷轟の夜






「ハイネヴェイル子爵。ご無事ですか」

 舞い上がった土煙を吹き下ろす寒風が吹き流したとき、そこには片膝をつくヴァイツの姿があった。

 瀟洒なスーツは鉤裂きとなり左腕がぐずぐずに溶解していた。
 異臭が鼻を突く。
 その傷の中心に〈ローズ・アブソリュート〉が残した白銀の刃が青白い光を放っていた。


「任務遂行中は隊長と呼びたまえ、アーネスト君」
「失礼しました。ヴァイツ隊長」

 苦痛を耐えながら、その身を案じて駆けつけてきた旗下の女騎士をたしなめる余裕をヴァイツは見せた。

 たった数秒の攻防で、砂浜にはクレーターが穿たれ、そこに続く草原の丘陵地帯は表土を剥ぎ取られ、まるで砲撃を受けたかのような様相となっていた。

 緒戦は月下騎士側の大敗となった上陸作戦だったが、混乱から立ち直った騎士たちの動きは素早かった。

 アシュレの不意打ちにより四散消滅した騎士や従者を除けば、もっとも深手を負ったの隊を率いるヴァイツ本人だった。

 シオンの放った〈ローズ・アブソリュート〉がプラズマ乱流となって吹き荒れる直前、危険を察知したヴァイツは本能的に、そして連続的に《影渡り》を使ったのだ。

 恐ろしい負荷が全身を軋ませ、眩暈を引き起こした。


 けれどもなかば虚数の側に身を投じ、瞬間的に爆心地から逃れようとしたヴァイツにさえ〈ローズ・アブソリュート〉は追いすがってきた。

 数百年を生きてきた夜魔の伯爵の血統をはっきりと心胆寒からしめたその攻撃を、ヴァイツは躱すことを断念し、左手を持って受け止めた。
 子供の掌に収まる程度の刃だった。


 途端に、その生涯で感じたことのなかった痛みと恐怖にヴァイツは襲われた。

 夜魔の伝説に語られた邪剣:〈ローズ・アブソリュート〉は凄まじい威力を発揮した。
 その刃に犯されている間、夜魔は一切の再生能力を封じられるのだ。羽根を引きむしられ地面に叩きつけられる鳥の気分をヴァイツは味わった。


 それでも、怨敵:シオンザフィルに対し一太刀を返すことができたのは、意地と誇りのなせる技であった。

「隊長、いま、わたしが取り除いてさしあげます」
「やめたまえ、アーネスト君! その刃に触れてはならん!」

 明らかにヴァイツの身を案じる夜魔の女騎士に対し、ヴァイツは玉のような脂汗を額から滴らせながら押しとどめた。

「では、どうしたら?」
「切断せよ。根元から、腕を」

 ヴァイツの命に、アーネストと呼ばれた女騎士は目を瞠った。

 夜魔とはいえ、同族の、それも上位者に対する敬意は存在する。その肉体を傷つけることへの躊躇もまた同じであった。だが、戦場での冷静な判断もまた騎士の資質として重要視されるものである。アーネストもガイゼルロンの誇る月下騎士の一員であった。

 すらり、と自らの得物を抜刀し、アーネストは構えた。

「では、参ります」
「ひとおもいにやってくれたまえ」

 鋭い呼気とともに、アーネストは剣を振り下ろした。
 馬上戦闘を想定しているのだろう、片刃の反りを持った長剣は狙いあやまたず、ヴァイツの肩口から右腕を丸ごと切り落とした。

 きりっ、とヴァイツの歯が鳴り、切断された肉塊がどうと地面に落ちた。


 ヴァイツの右腕は〈ローズ・アブソリュート〉の刃に対する抵抗力を失い、瞬時に燃え上がった。真っ青な炎から鮮烈にバラが香った。

 恐るべきは、たった一片の刃の破片をして夜魔の肉体を根絶する聖剣の威力だった。


 その炎にヴァイツの肉体が再生する様が照らし出された。
 人類であればそれだけで致命の一撃である肩口からの腕部切断だったが、上級夜魔に属するヴァイツにとっては、〈ローズ・アブソリュート〉の残刃によって継続的に再生を阻害されていることのほうがよほど危険であったのだ。

 めきり、ごきりと肉が、骨が、腱が、新たに建造され復元する。傷口から大量に噴出していた血液は瞬時にその流出を止めた。表皮の完全再現までわずか三十秒。これが夜魔という種族の戦闘能力――ほとんど反則とも言える継戦能力の真骨頂だった。

 もちろん、消耗がないわけではない。それら肉体の建材は基本的には夜魔がその肉体に蓄えた血液によって贖われる。

 腕一本、完全な再構成はかなりの負担をヴァイツに強いたはずだ。

 だが、美丈夫は顔色ひとつ変えず、立ち上がると鉤裂きになり、己の血潮を吸いそれがさらに土ぼこりによって汚された上着と上等なシルクのシャツを脱ぎ捨てた。

 均整のとれた肉体が降りしきる雪のなかであらわになった。

 アーネストが歩み寄り、自らのスカーフを外すと、ドレスの首筋から胸元までの肌をあらわにした。訴えかけるようにヴァイツを見上げた。
 ヴァイツはアーネストの視線に真っ向から応えた。

 アシュレの初撃で閃光のなかに消えた月下騎士のうち、ひとりはアーネストの夫であったのだ。そして、彼は知らぬことだがアーネストとヴァイツは密通関係にあった。
 支配階級としては当然だが、ヴァイツもまた妻帯者であった。


 さらにこれは前述したことだが、夜魔にとって首筋を差し出すことは隷属さえ厭わぬ求愛の仕草であったのだ。

「わたしの血で、贖ってくださいませ」
 子爵――ヴァイツ様の消耗を。熱く濡れた瞳でアーネストは言った。頬は上気し、その呼気は弾むように白かった。

 通常、従者である少年・少女たちはこういった場合に率先して消耗される食料であった。自律的に行動し、しかし命令には絶対服従で、自らの意志で「主人の血肉となる」存在。だが、アーネストはあえて、それをヴァイツにさせず、逆に自らを差し出そうとした。

 それは亡き夫の徒をヴァイツに討って欲しいという心の現われであったか、それともようやく公然とヴァイツとの関係を結べることへの期待であったか、あるいは両方か。他種族にはとうてい理解することなどできぬであろう倒錯的感情のありようこそ、しかし、ある意味で夜魔という種族の特質を如実に表してもいたのだ。

 それとも復讐心と背徳的な肉欲とは、どこか通底するものをもっているのだろうか。

 女の目は、強い欲望でぎらぎらと濡れていた。
 その真意を問い正すほどヴァイツは無粋ではなかった。
 無言で美丈夫は応じた。

 ヴァイツはアーネストの細い腰を抱き寄せると、その首筋に己の牙を埋め、思うさま血潮を貪った。喉笛を強く噛まれ吸血の贄となったはずのアーネストの顔には、例えようのない法悦の表情が浮かぶ。

 夜魔はその隷属の代償に犠牲者に絶大な快楽を与えることができた。

 奉仕するものに、心だけではなく肉の悦びを与え、文字通り身も心も虜とする能力は、夜魔が種として生存するために獲得した――蛇の毒のような――特性であった。


 アーネストの肉体を抱え上げ、ヴァイツは鮮血を啜る。

 ごぎり、めきり、と骨に犬歯の食い込む音が響くのに、アーネストの肉体は本能的な防御行動さえとらぬ。唇の端から血混じりの唾液とともに甘い鳴き声が漏れた。夜会服の長いスカートの奥で切なげに太股が擦り合わされる。


 吸血はそれほど長い時間ではなかった。

 まだ、戦闘は続いているのだ。大切な戦力の肉体から、使い物にならなくなるほど血液を抜き取ってしまうほどヴァイツは愚かではなかった。


「君の忠誠、女としての愛、そして、亡き夫のための復讐心――たしかに受け取った」
 行為を終え、下ろしたアーネストを支えながら、ヴァイツはささやいた。

 ああ、とふらつく足元を支えられながらヴァイツの胸板にしなだれかかり、アーネストは吐息をついた。首筋の傷はすでにない。だが、ヴァイツに首筋を捧げたのだという記憶は消えぬ痕跡となってアーネストの心に残るのだ。


 その足元に馳せ参じた従者たちがかしずく。替えの衣服だった。

 無言で彼らに奉仕させ、衣類を纏うヴァイツにアーネストが訊いた。
「やつらを、反逆者:シオンザフィルを捕らえたなら、その拷問にはぜひわたしを加えていただきたいのです」
「約束しよう。生まれ出でたことを後悔させながら、永劫に責め抜くと。その役割を君に賜るよう、陛下に進言すると」
「ありがたき幸せ。――では、すぐにでも追討を」
 血気逸るアーネストの言葉に、いや、とヴァイツはかぶりを振った。

「それはしない」
 アーネストの顔に驚愕が浮かんだ。
「なぜ、なぜですっ!」

「まず、体制を立て直す。さいわい、ここはそのための材料にはことかかない。君も、その消耗では戦えまい」
 悠長な、とアーネストの表情が険を帯びた。ヴァイツはアーネストの顔は怒りに燃えているときこそ美しいと常々、感じていた。

 ゆっくりと笑う。

「その怒りの顔、先ほどまでのわたしと同じだ、アーネスト。だが先ほどの一撃で、わたしは完全に醒めてしまったよ」
 その笑みは酷薄な司令官のものだった。

「我らを狙撃したあの長射程兵器――〈シヴニール〉――エクストラムの聖騎士を名乗る者たちのなかに、その使い手がいたはずだ。たしかグレスナウ・バラージェ、といったか? 

 わたしに手合わせの経験はないが、数人の月下騎士が交戦記録を残している。人類の年齢を考えるなら、本人か、その息子か――おそらくシオンザフィルによって籠絡されたのだろう男が、手を貸しているな? 


 過去の交戦記録からだけでは〈シヴニール〉なる《フォーカス》の能力、その仔細まではわからぬが、先ほど見せた強大な攻撃能力は逆につけ入りどころでもある。

 やつらは同じく家畜たちの生活、命、市街を踏み躙れないからだ。


 そして、彼らの戦術はどうも奇妙だ。我々を挑発し、頭に血を昇らせ、自分たち以外の獲物のことなど考えられぬようにしてやりたい、という意図がはっきりと感じられる。

 これは逆にやつらが“護りたいもの”を持ち、そこから我々を引き離したいのだということを、はっきりと現している。

 さらには、どうしてやつらが第一に迎撃してきたのだ?

 ここは我らが仇敵の一角:カテル病院騎士団の土地ではなかったのか?
 十名はいるという精鋭の《スピンドル》能力者たちはどうした? なぜ出てこない。戦場に駆けつけ、殺到し、我らに闘争を挑まない?

 これには必ず意図がある。そこを読み解くのだ」

 淡々と語るヴァイツの顔を見上げながら、アーネストは感嘆の溜め息をついた。

 ヴァイツは冷酷で残酷な性を持っていたが、それはある意味で優秀な司令官に必須の素養でもあったのだ。

 己の間違い、指し手の誤りを率直に認め正し、さらに相手の指し手を読んで巻き返す。
 戦場で揉まれ、培われたヴァイツの洞察力に、アーネストの心はすでに鷲掴みにされてしまっていた。

 部下を酔わすことのできる司令官はそれだけで、他者を逸する存在だ。

「では、どうされるの、です?」
「やつらのもっとも嫌う状況を作り出し、演出する。つまり、やつらの陽動には乗らず、こちらが陽動をしかけ、混乱を巻き起こすのだ」
「どうやって?」
「本陣を食い破り、そのはらわたをディナーとしよう。鮮血の味はワインに勝るだろう」
 この島の首都、カテルに進撃する。

「そうすれば、シオンザフィルたちは、わたしたちを追わざるをえない」
 そして、彼らの最大の武器――〈シヴニール〉と〈ローズ・アブソリュート〉の広範囲攻撃はその時点で封じられる。

「メインディッシュは向こう側から飛び込んでくるのだ。我々は、ゆっくり前菜を食しながら、その到着を待てばいい。手始めに、火を熾そう。大きな暖炉だ。都市ひとつ、家畜の油を使ったな。冬の暖炉ほどよいものはない」

 そうだ、アーネスト、君も喉が渇いただろう? ヴァイツは思い出したように言った。

「この島は本来、人類にとってじつに暮しやすい気候であるのだそうだ。そこで育った家畜たちの血に溶けた《夢》は、きっと素晴らしい味だろう」

 年若い少年や少女の、甘い喉ごし。壮健なる若者の力強さ、清らかな乙女の清冽な薫り、脂の乗った壮年の血の重厚さ、そして歳経たものだけが獲得する枯れた味わい。
 そこに、加えられた恐怖の苦味が、最高のアクセントだ。

「やつらは後悔することだろう。これならばおとなしく、我らと正々堂々、剣を交えるべきだったと。卑怯者をあしらうには、それなりの作法というものがあるのだと教えてやろう」

 さあ、闘いの犬を放て、とヴァイツは命じる。
 月下騎士団は進軍を開始する。シオンとアシュレが逃げた方向とは、まるで逆に。


 悪夢の夜が始まった。


         ※


 突然、耳を聾する大音声が周囲を圧した。ビリビリと大気が震えた。

 アシュレの《フォーカス》:〈シヴニール〉が射出した大気を裂く大エネルギー、その高速擦過が生み出した轟音に、直後の水蒸気爆発、そして展開した〈ローズ・アブソリュート〉のプラズマ炎の炸裂がほとんど同時に重なった。

 もし、法王庁の関係者が屋外で、しかも雪吹きすさぶ嵐の晩に海を眺めていたのなら、その正体が落雷ではなく、島影に巻き起こったエネルギー流の引き起こしたものだったと気がついただろう。

 一瞬、島の上部に垂れ込めた雪雲が真っ白に光り輝いたほどだった。

「おっと、これは失礼」
 優雅に銀のグラスで島特産の赤ワインを楽しんでいた枢機卿:ラーンがその轟音に驚き、ワインを衣類にこぼしてしまったことを同席者に詫びた。

 二度目の湯浴みを終え、カテル病院騎士団の招きに誘われるまま歓迎の宴に出席したラーンを「歓待する」という名目で騎士団長:ザベルとグレーテル派の重役たちが監視している最中での出来事だった。

「落雷、でしょうかね?」
 言葉だけなら人畜無害というかんじでラーンは言った。

 それまでにこやかに言葉を交わし、互いの意見を率直に述べ合っていたラーンとザベル
だが、その実、ふたりはふたりとも互いを小指の先ほども信用していなかった。

 事情を知るものが聞けば互いが針を飲み下す苦行を強いられているような痛みを、胃の辺りに感じたことだろう。

 ラーンはやんわりと、そしてさも個人的興味からという様子で島の近況をあれこれと訊いた。

 ラーンは法王庁:聖遺物管理課の主任であるだけでなく、音に聞こえた文人枢機卿である。今回のコンクラーベでも、法王当選の最有力候補のひとりに数えられていたほどだ。まったく個人的な随想録のため、と称して専任の秘書に食卓での会話を筆記させたほどだ。


 いかに前法王の姪とはいえ、まさか十八歳の乙女:レダマリア・クルスがその座に着くとは、コンクラーベ終了間際まで誰も考えつかなかったのだ。

 通例的に法王はその時の枢機卿団のなかでも最年長とは言わずとも、年長者たちが選ばれる例が多く、つまり老齢者が法王に多いのはそういう理由からなのだが、したがって在位期間が十年を越す者などまれで、法王選出から三ヶ月で死去した例もある。


 壮年から老齢に達するまでに、枢機卿たちは数度に渡りコンクラーベ=法王選出のチャンスにたちあうことになる。だが、とうに五十の半ばを過ぎてしまっているラーンが七十に達したとき、レダマリアはまだ三十なかば。女盛りだ。

 これでは、そんな可能性は諦めて作家として身を立てますよ、というラーンの言葉を冗談と笑い飛ばすことなどできない。

 むろん、そこは一癖も二癖もある西方諸国の君主にはじまり、名門貴族に地方豪族、海運都市国家:ディードヤームを盟主とするミュゼット商業連合、そして現状を楽観視しがちな法王庁相手に資金調達から軍需物資である木材や鋼鉄の通商ラインの確保に尽力してきたザベルである。

 実際の統治はダシュカマリエが、外交に関してはザベルザフトその任にあたってきた。

 その主腕は下手な外交官など相手にならぬほどのものだったから、ふたりの攻防は、それは見事な剣の試合を観ているかのようでもあったのだ。


 互いの撃ち込みを避け、躱し、受け、返し突き(リポスト)で攻め込む。
 拮抗した、いや、権力と地位で勝る分、大胆な手を撃ち込めるラーンの有利を、騎士とは思えぬ老獪で腹の底の読めぬ防御で凌ぎ切る主腕で、ややザベル側上手という試合展開であった。


 だが、その流れを轟音の一撃が、一気に変えた。

 落雷だろうか、とは控えめな聞き方だった。
 閃光と轟音に遅れて、ずしり、とたしかに地面が揺れたほどの衝撃だ。


「落ちた、のでしょうかな。この音、振動は」
 もちろんザベルも、これが落雷でないことくらい百も承知であった。ラーンとは事前情報の量が違っていたのだ。島のどこかで戦端が開かれたこと、そして年若いアシュレが躊躇なく大技を叩き込んだであろうことがわかった。

 中途半端にできぬ隠密に逃げず、己の最大戦力を躊躇なく叩き込んだ少年騎士の思いきりのよさに、ザベルは憂慮ではなくむしろ好感を憶えるのだ。

 轟々と吹き荒れる嵐の晩に至近の落雷。大の大人でも震え上がるような状況にあって、ザベルの口ひげの奥の唇が自然と笑みのカタチになった。

「さすがは、勇猛で知られるカテル病院騎士団の団長殿だ。動じるどころか、笑っていらっしゃる」
 ザベルの表情の変化を鋭く見抜いて、ラーンが指摘した。

「カテル島は古代から音に聞こえた保養地だったはず。かつてはアガンティリスの皇帝たちも都度都度訪れたという歴史あるリゾート。

 アラム勢力が台頭していなければ、わたしたち枢機卿団も法王のお供として、毎年訪れたいほど穏やかな気候だと聞き及んでいましたが、やはり真冬ともなれば、このように厳しい気候なのですか?」


「いえ、今夜の嵐は特別のようです。

 わたしも騎士としてすでに三十年以上この地におりますが、このような激しさは、はじめてのことです。

 ただ、まるで戦の前のように嵐には心が浮き立つ性分なのです」


 カテル病院騎士団はアラム勢力に対して海賊行為を日常茶飯事に行う船乗りの集団でもあったから、嵐程度で肝を冷やしているようでは稼業が成り立たぬのだと、ザベルは言った。

「あの、わたくし、一度中座して服を替えさせていただいてもよろしいですか?」 
 ふたりの会話がいっとき途切れるのを見計らって枢機卿の護衛を務めるジゼルが控えめに申し出た。淑女の装いと作法に身を固めた“聖泉の使徒”の胸元から、ワインの香りが立ち上っていた。

 控えめにだが開けられた胸元が白ワインに濡れていた。豊かな胸乳が純白の装いから透けかけていた。


「不作法をお許しください。わたくし、雷が苦手で、その、驚いてしまって」
 こぼしてしまったのです。

 上位者を前にして、その歓談を遮り中座することへの無礼に怯える神の端女を、ジゼルは演じていたのだ。

 おお、それは、とザベルは言った。互いが事態を動かす好機、と見たのだ。
 ラーンが頷き、口元を隠した。

 それは笑いを噛み殺すためだったが、眠気を装い提案した。


「馴れぬ長旅で、わたしも疲れてしまいました。どうでしょうか、ザベル騎士団長。キリも良い。今夜の宴は、これにていったん、お開きということでは?」

 わたしも赤ワインでついた染みを処置せねば、赤の法衣で目立たぬとは言っても、枢機卿の衣を汚したままにはしておけぬし。

 ラーンの言葉がすべてを決めた。


 もちろん着替えも眠気も、そのすべてが方便である。互いの陣営がついに動き始めたのだ。












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