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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第二話:第五夜・逆風に帆を立てて

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燦然のソウルスピナ 第二話:第五夜・逆風に帆を立てて

 

 シオンから復讐を宣告された晩から、数日。
 アシュレはエポラール号の甲板にいた。

 カテル病院騎士団の誇る快速船:エポラール号はノーマンの言の通り、素晴らしい速度を見せ滑るようにファルーシュ海を東進した。

 西方世界を東西に貫いて東方世界の入口まで続くファルーシュの海は、波の穏やかな内海であり、古代より東西貿易を支える海の高速道路でもあった。
 陸路なら馬を使っても三ヶ月は優にかかる道のりを一月で走破できる。
 風に恵まれれば、さらにあと一週間は短縮可能だった。しかし、風向きが一定しないのもファルーシュ海、特にこの海域ではよくあることだった。
 エポラール号はいま、逆風を受けている。

「逆風に帆を立てていては、速度を保つのは難しいのでは?」
 アシュレは当然の疑問を口にした。
「法王庁での暮らしが長いアシュレにはそうだろうが、船乗りならこんな程度、苦にならん。完全な凪よりよほどマシ、いやかえって速度が出るほどさ」
 砕けた口調でノーマンが教えてくれた。

 パラディン:バラージェという呼び名から、再三、頼み込んでようやく聞き届けてくれた末だ。途中など、アシュレ、と愛称で呼びながら敬語で話すという妙な話し方に、アシュレもノーマンも頭がおかしくなりそうになって、妥協したのだ。

「見ろ、帆を巧みに使って、風に対してジグザグに走る。すると向かい風と海水の抵抗を逆手にとって推進力にできる。戦いも同じだ。相手の力を真っ向から受けるんじゃなく、受け流す。利用するんだ」
 はい、とアシュレは頷いた。

 学ぶところの多い経験だった。
 エクストラムは海に面しているが、アシュレに乗船経験はほとんどない。川船か小さなボートがせいぜいだった。
 甲板では、ほんの数年ほど年下だろう少年・少女たちがてきぱきと働いている。素晴らしい練度だった。

「法王庁の領海はすでに脱した。安心しろ、どんなに法王庁が早手回しに動いていたって十日以上のアドパンテージがあって、このエポラールが捕まることは絶対にない」
 峻厳な面顔が人懐っこい笑みのカタチになった。
 ノーマンに確信を持って言われると、アシュレはすこしは安心できた。

「ただ、まだ、イクス教圏を抜けたわけではありませんから……」
「西方世界の東の端:ビブロンズ帝国には、もう実質的な制海権などないさ。危惧するなら、あいつのほうだろうな。新興国:エスペラルゴの皇帝、メルセナリオの意志」
「エスペラルゴ? 強硬な反動保守派の? イクス教に熱心なのはいいけれど、原理主義的すぎて、好戦的で不寛容な国というイメージしかないけれど。その皇帝・メルセナリオ三世の意志?」

「海賊のことさ。メルセナリオは、ファルーシュで名の売れた海賊の頭のひとりと専属契約を結んだんだ。青髯のガラベリアム。最低の人殺しだが、腕は確かだ。いまじゃ、男爵だよ」
「海賊に爵位を? 正気じゃない!」
「皇帝は現法王にも十字軍の催促を何度も打診している。領土拡大が、その本音だよ。
 我々とて宗教騎士団ではあるのだから、大戦を前に臆するわけではないが、野心から戦争を起こすような真似は望まない。窮地にある味方を助けようというのならばともかくも、大儀なき十字軍になど加担できるはずもない。
 法王猊下:マジェスト六世は聡明かつ温厚な方だから、うまくいなしているようだが、いかんせん、お身体が弱い。
 枢機卿から法王になられて、まだ数年。できれば長く治世を保っていただきたいが——。平和というのはなんと脆く儚いのか」

 ぎゅ、と鋼鉄の両の手を握りしめ、ノーマンが絞るように声にした。

「海賊に爵位など、かわいいほうだ。それどころか、エスペラルゴは失地回復運動(レコンキスタ)と国民を煽ってアラムを攻めている。だが、そこは実際には、かつてビブロンズ帝国の領土だった場所だ」
「いま、アラム勢力の最前線にビブロンズ帝国は取り残されたカタチになっているはず。外交でどうにか体裁を保っているけれど、そんな国を背後から攻めるなんて」
「諸外国には、異教徒からの防衛戦争だ、と謳って回っているらしい」
「詭弁ですね」

 そうだな、悲しいが、とノーマンは頷いた。

「国家に真の友人などいない。自国の利益を拡大するためなら、なんだってやる。それがこの世界のカタチというわけさ」

 そんな世界で、個人が、その《意志》を貫いて生きるのはいっそう厳しいぞ、とそう言われたような気がして、アシュレは唇を噛んだ。
 空を見上げると抜けるような秋の空をカモメが飛んでいた。

         ※

「なに、深刻そうな顔して。気分転換に行ったんじゃないの?」
 そうだった、とアシュレは思い返した。

 場所はいつもの士官用食堂。イズマはそこに始終入り浸っている。

 呑んでいるか、食べているか、寝ているか、すごろくみたいな遊戯で奇声をあげるか、船員たちの求めに応じて英雄譚(サーガ)やお伽噺(フェアリーテイル)を謡っているか、いずれかだ。

 いつだって変わらぬ調子のよさに、アシュレはそろそろ畏敬の念を抱きはじめていた。

 給仕たちに混じってイリスがくるくると元気よく働いていた。
 豊かな胸がそのたびに揺れて、士官たちのなかには赤面して目を逸らすものもいた。イクス教のなかで唯一、妻帯を許すグレーテル派であっても、彼らの多くは僧職でもあるのだ。
 刺激的という意味では間違いなかった。

 微笑ましい、と言えばその通りの光景なのだが、実を言えばアシュレもそれに耐えきれず甲板に逃げたひとりだった。

 悪いのはアシュレの方だ。
 シオンのことを考えてしまうからだ。
 あの夜、いや、あれから毎晩、アシュレはシオンを一度も拒めずにいる。
 言い訳だとわかってはいた。
 だが、震える身体でまっすぐにアシュレを見つめて、ひとの愛の作法をおしえてほしいと、そう告げるシオンを、アシュレは拒むことなどできなかった。

 昨日の晩は断りに行くと決めて扉を開けた瞬間に、そこにシオンがいた。
 思わず抱きしめて自室に引き込んでしまう自分を止められなかった。

 そこから先を、アシュレは思い出せない。
 いや、思い出してはならない。非力な、精一杯な抵抗だった。

 こんなにも可憐な復讐を、アシュレは他に知らない。

 アシュレにできたことは、もう誤魔化しようのないシオンへの愛を、せめて口にしないことだけだった。

「見返って欲しいと願うことと、愛することは別だ。別だと……信じたい。だから……アシュレ、そなたがわたしの愛に応える必要などないのだ。
 ただ、わたしがそなたを愛することは、自由だ。そうだろう?」

 嫌わないでいてくれるなら、それだけで充分だ。
 シオンの微笑は、そう言っていた。
 応えねば、と気持ちを言葉にしかけて震えるアシュレの唇に、シオンは指を当てた。

「いわずとも、よい」
 答えてしまったら、困るのはアシュレの方だぞ。

 月光の落ちるシーツの上でそう言って笑ったシオンを、けっきょくアシュレはこのあと一生、忘れられなかった。ずっと世界の暗渠を歩み続けてきた夜魔の姫が手にした小さな自由を、踏みにじれなかった。

 だが、それと罪悪感は別のことだ。

 イリスにあわせる顔がなかった。
 浮気などという程度の言葉では、自らの気持ちはとても扱ってよいものではなく、それなのにユーニスとアルマを忘れられない自分がいて、ひどい裏切りを働いている自覚だけがあった。

「おーい、おーい、アシュレ、なんかキミの周りだけ“憐れみの賛歌”が降ってるぞ!」

 正面に座るイズマが案じてくれているのか、茶化しているのか絶妙に判断できない調子でそう言い、となりでノーマンが吹き出した。また、その比喩が絶妙にハマり過ぎていて、アシュレには反論ができない。

「“神よ、憐れみたまえ”か」
 ノーマンが聖句を唱え、たしかに、とアシュレの顔を覗き込んだ。
「軋みを上げる世界を憂いているのかな?」
「いや、この感じは、ズバリ、女方面だね」
 くっ、とアシュレは思わず泣きそうになった。違いますっ、と小さく反論した。

 

「まーたまた、この恋愛マスター、イズマさまの眼力はごまかせんぞー、少年、ズバリ恋の悩みであろう!」
 声が大きい、とアシュレは思わずイズマの口を塞ぎ、それが誘導尋問なのだと気がついたが、遅かった。にやーり、とイズマの口が悪い感じの三日月型になった。

「なに、もしかして、イリスちゃんとなんかあった?」
「わたしとアシュレがどうかしたんですか」

 皆さん——神の裁きは近づいています。
 アシュレは聖典の一節を噛みしめた。
 椅子を引く音がして、アシュレのとなりにイリスが腰かけた。

「ごめんなさい、ここ、空いてましたよね?」
 アシュレの顔色を見て、イリスが遅ればせながら訊いた。座っちゃダメでしたか?
「空いてる空いてる空きまくっちゃってますから。ああ、アシュレのとなりがダメなら、ボクちんのおとなりにどーぞ。むさいおっさんがとなりだと、体調が悪くなる傾向にあるんだよなー、ボクちん」
 その言葉を受け、周囲を見渡し「むさいおっさん」を探すノーマンはたぶん、ふざけているのではない。



「イズマさんは視線がいやらしいから、ヤです」
「いやらしいのは視線だけではないのが、ウリなんですがねー」
 これが書籍になるのであれば、禁書扱いになりそうな手の動きでイズマが言い、イリスが笑った。ノーマンも苦笑して、鼻を掻いた。
 アシュレは明るく笑うイリスから視線を離せなくなっていることに、自分では気がつかなかった。

 ん? とイリスが視線に気がつき、どうしたんですか、と顔を近づけてくるまでアシュレは惚けたようにイリスを見ていた。

 髪の色が変わっていても容姿はアルマのまま、仕草や間合いの近さにはユーニスの匂いが色濃くあって、ちょうど口づけする仕草がそのままだった。
 そこまで思い返して、アシュレはひどく赤面した。

「イリスちゃんに、いやらしい妄想をしていたのがバレたのかと思っているんですよ、この若者は」
「ちっ、ちがっ」
 思わず立ち上がりわたわたと手を振るアシュレに、皆がどっと笑った。
「ちょっとは、元気が出たかい?」

 にやり、とイズマが笑い、アシュレは自分が気づかわれていたのだと気がついた。

「なんか、この数日、元気がないからさ。みんな心配してたんだよ」
 かなりグッと来て、アシュレはどうしていいのかわからなくなってしまった。

 本当の意味で失ったのは、イリスではなく、アシュレ——キミのほうなんだぞ。イズマは言外にそう言っていた。一番案じられていたのは、自分なのだとようやくアシュレは理解した。周りが見えなくなっていたのだ。
 だめだ、と思ったのに涙が出てしまった。

「アシュレ……」
「イリスちゃん、泣かしてやんな。詳しい事情は追々、カテル島に着いたら話すけどさ、ちょっといろいろ、つらいことがあったのさ」
 ま、アシュレ、座んなよ。イズマに促されてアシュレは席に着いた。

「イズマ……ありがとう」
「みんなー見ろーッ! 泣き虫・パラディンのアシュレダウだー! 優しくしてあげてー!」
 イズマが立ち上がり、周囲の注目を集めた。
 わー、わー、とアシュレは目を擦りながら誤魔化した。爆笑が巻き起こった。

 イズマは船員たちに大人気だった。

 異種族であるという——それも、土蜘蛛という人類の仇敵——ハンディキャップをイズマは、たったひとりでやすやすと克服していた。

 ファルーシュ海:海洋貿易航路の船員たちは総じて偏見の度合いが少ないこともさいわいだった。それは否応なく異文化と接し、見聞を広げる機会に恵まれているということであり、土地に根を張り、閉じた共同体で一生を終えることのほうが多い農民とは直面する困難の質が違うからだ。

 辛抱強さ、粘り強さという農民の気質と、柔軟さ、即応力という船員・貿易商に求められる気質の違いでもあった。外洋航路の船乗りたちと違い、いわゆる文明圏を旅する彼らはかなりのインテリが多かった。それも経験に裏打ちされた知識・教養だ。

 それでも、やはり、これまで仇敵として接してきた土蜘蛛という異種族は、簡単には受け入れ難かったはずだ。

 だが、イズマは類い稀な芸能の才を持ち合わせていた。
 土蜘蛛の上流社会では歌謡や演奏、舞踊に通ずることは、礼儀作法に通ずることだと見なされていた。必須の教養だったのである。
 そして、そのなかでも、イズマのそれは超一流だった。

 一度離岸してしまえば閉鎖空間となる船の上では、娯楽の提供者は最高の尊敬を受ける。
 ファルーシュのような内海では海岸にそって点々と港町が存在し、数日おきに寄港できるとはいえ、戦時、とくに祖国と寄港先の国が戦争状態にある場合、それも難しく、やはり船員たちが娯楽に餓えているというのは慢性的な事情だったのだ。

 その点でイズマは、じつにニーズに合った存在だった。
 おかしな遊戯を即興で考え出すし、英雄譚やお伽噺の巧みさ・質の高さは本職の吟遊詩人(トラバドール)顔負けだ。占いにも通じ、オリジナルのお守り(タリスマン)など商売になるほどだ。

 そして、なにより、存在自体が喜劇だった。

「王さま」
 十二、三歳の少女たちからは特に人気があった。あの悪夢の夜――沈没の宴――以来、小さな笑いも込めて「王さま」とイズマは呼ばれていた。占いや恋のおまじないが好きなのは、宮廷の貴婦人たちだけではない。

「はーい、はーい、少女たちの王さまはここですよー」
 くすくす、と給仕から開放された娘たちがエプロンをかけたままイズマの周りに寄ってきた。
「あー、こちらのお兄さんは、いま傷心中なので、優しくしてあげてねー」
「失恋ですか?」

 傷心と言えば女のコには恋の話なのだろう。

「あれ、ペルラちゃんはアシュレみたいの気になるのかな〜?」
「だって、やさしそうだし、それに、パラディンさま……お顔立ちが……」
「なに、好みなの?」

 頬を染めて、ペルラと呼ばれた少女がアシュレを見た。年頃になりつつある女のコ特有の恋に恋する感じだ。

「やー、だめだめ、このお兄ちゃんはねー、こう見えて、すごいスケコマシなんだなー。もうね、ナチュラル・ボーン・ジゴロ」
 え、と驚いたのはイリスだ。いや、あのですね。アシュレは打たれっぱなしで、フラフラだった。

「それで、今日は王さまにどんなご用かな?」
「お話をお願いしてもいいですか?」
「英雄譚? お伽噺?」
「英雄譚を」

 いいとも、とイズマは簡単に請け負い、壁に吊るしてあったリュートを手にした。娯楽室も兼ねるこの食堂には、誰のものともわからぬ楽器や遊具が転がっている。
 イズマは適当な感じで調律すると、なんの前触れもなく謡いはじめた。

「聞け、すべてのヒトよ。これなるは、世に満ちるすべての悪意を引き受けようとした降臨王と、それに立ち向かったひとりの騎士の物語——」

 朗々たるイズマの一声が、食堂の喧騒を薙ぎ払った。
 たった一太刀。その一振りで、食堂に集ったすべての人々が、聴衆に早変わりした。
「これこそは、姫君たちの求めが描き起こさせた、新たな叙事詩の開闢——」

 少女たちを見やり、ぱちり、とイズマはウインクした。きゃー、と控えめながら黄色い歓声が起こる。

 そこからはイズマの独壇場だった。


 ——祖国の未来を憂うがゆえ、悪魔と取引したかつての英雄王と姫である孫娘。そして、従順な従者の皮を被った悪意の魔剣士。

 焦土と化した英雄王の領土に足を踏み入れたるは、神の導きを受けたひとりの聖騎士と数奇な運命を背負った夜魔の姫。

 ふたりの姫と聖騎士のロマンス。

 邪心を持つ魔剣士との決着。

 国の未来を思うがゆえ、悪鬼となった英雄王と聖騎士の壮絶なる一騎打ち。

 父王の死とともに自刃を選んだ亡国の姫。

 聖騎士は悼みを胸に、それでも世界に満ちる悪と戦うため新たなる旅立ちを決意する。

 その背を護るように、夜魔の姫が寄り添った——。


 聴衆のすべてが聞き惚れた。少女たちは涙していた。
 リュートの残響が完全に消え去るまで、食堂のだれもが物音ひとつ立てなかった。気がつけば、厨房のシェフたちまでが食堂に姿を現し、帽子を脱ぎ、イズマの技量とその物語に敬意を示していた。

 そして、割れんばかりの喝采が食堂を満たした。

 アンコールの斉唱に、イズマは「土蜘蛛のおかしな男の小夜曲」で応じた。それでもまだまだアンコールの声は続いたが、イズマは丁寧に謝意を示した。

 なぜなら、と壁際を指さした。

 

 シオンがいた。ワインの瓶と、すっかり冷めてしまった塩漬け豚の煮込みを持ったままで。

 ざっ、と聴衆が割れた。
 シオンが夜魔の姫であり、ほぼ間違いなく、件の英雄譚の登場人物であろうことは全員が察知できたのだろう。
 万雷の拍手のなか、シオンは呆れたような笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。

「イズマ、そなた、脚色しすぎだぞ」
「グランだって、こうやって謳ってやったほうが報われますよって話です。ちょっとはヒトの役に立てて、喜んでるでしょうよ」

 シオンは言いながら、アシュレを挟んでイリスの反対側に腰かけた。
 ふたたびのリバーシ状態だ。

「アシュレなんぞ、気が小さいから恐縮しまくりで固まっておるではないか」
 ノーマンの口から断片では語られていても、あの事件の全体像を把握している者は少なかったのだろう。

 カテル病院騎士団の全員がアシュレへの注目度を一気に引き上げたのが視線でわかった。持ち上げ方が急角度すぎるっ、とアシュレはイズマに愚痴りたかった。
 かっこよくアレンジしすぎだった。

「ま、おふたりが寝込んでる間、ずーとボクが注目の的を引き受けてきたわけで、そろそろ交代?」

 実際、それはちょっとした騒ぎだった。次々にアシュレたちの卓を人々が来訪した。
 アシュレは男女ともに。女性からだけではなく、男性からも熱い視線を注がれて、ちょっと妙な気分だった。シオンは圧倒的に男性に人気で、夜魔の言葉で悪態を吐きっぱなしだった。

「おまえら、坊主だろう!」

 アシュレにわかったのはそれだけだ。
 間に挟まれ、もみくちゃにされそうだったイリスを抱き寄せ庇った。イリスは真っ赤になってしがみつき、震えていた。

「見ろ、料理が台無しだ」

 豚の煮込みは浮いたラードが完全に白く凝固してしまっており、冷めきっていた。解放されたのは、一時間後だ。

 あまりの騒ぎに船長が鎮圧に現れた。
 禿頭に二角帽(バイコルヌ)、日に焼けた傷だらけの肌から潮気が滲んでくるような海の男が一喝して、なんとか事態は収拾できた。
 もっとも、その船長からしてアシュレにはハグを、シオンには手の甲への接吻を申し出たのだから、まあ、その、なんというか、だ。

「イズマ、以降、あの英雄譚は関係者のおらぬところで演(や)れ」
「うーん、こればっかりは聴衆の要求ですからねえ。ボクには断れないかなあ」
「そなた、なんだか、反抗的だな」
「そういう姫は、一段とうつくしい」

 おひさしぶりです、姫。心底嬉しそうにイズマが笑った。
 ああ、おはよう、とシオンはおざなりに応じた。

「それで……いつまで、抱きあっておるのかな。ふたりは」
 ごく軽い調子でシオンがアシュレとイリスの抱擁を指摘した。一瞥もせず。

 それはごく自然で、責めるところのまるでない口調だったにもかかわらず、アシュレに深い感銘を与えた。

 戦慄である。

 ふたりは慌てて離れた。

「いや、ほんと、冗談ぬきで、姫——今日はお美しい」
 イズマの賛辞は本心からだったが、矢を逸らす気遣いにアシュレには感じられた。

「よく寝たからであろう」
「いやっ、それだけではないっ。このイズマにはわかります。なんだか、こう、内側から光が滲み出るように、輝いている——」
「目医者がよいか、頭の医者のほうか」

 言いながらシオンは微笑んだ。イズマが惚けた。

「姫って、そういう笑いかたしましたっけ?」
「なんだ、いちいち、気味が悪いぞ。オマエは、わたしの親か?」
「いや、親も同然と姫を見守ってきたからこそ、気がつくことがある。なんども言いますけど、滲み出るような温かさがあるんですって。ね、ね、アシュレもそう思うっしょ?」

 いきなり話を振られて、アシュレは飲んでいた茶を吹き出しそうになった。

「ど、どうだろうかなぁ」
「アシュレ、鈍感だなぁ。これって、やっぱ愛の差?」
 ふん、とシオンは軽く鼻を鳴らし、ワインを飲んだ。それから、ついでのことのように思い出した。

「そういえば——イズマ、いつぞや涙を舐めたいとか言っておったな。——試してみるか」

 イズマが目を剥くほど驚いた。本当に驚愕したとき、人間は無言になる。
 なにかのハンドサインでも出しているのかと思うほど慌ててイズマが全身をまさぐった。どれほどの品を身につけているのか、瞬く間に卓上に小山ができた。
 がらくたか、重要な呪具か、素人目には判然としない。もしかすると当のイズマ本人でさえ、わかっていないのかもしれなかった。

 あった、あったよ、イズマこそ感涙にむせぶ勢いで羊皮紙の切れ端に描かれた「涙」の予約券を握りしめた。


 
「お、お、お」
 憶えていて頂けたのでございますねッ、とイズマが言った。
「気持ち悪いから、やめようかな」
「ちゃ、ちゃんとします。ちゃんとしますからッ」
「ふむ」

 そこでシオンは一同を見渡した。

「衆人環視では恥ずかしい。わたしの部屋にするか」
 そのときイズマの喉から出たのは、もはや人類の声ではなかった。

 異次元の音、という感じの、未知のサウンドだった。

「どうした、イズマ。まいるぞ」

 もはや、挙動不審なニワトリとしか形容のしようがない動作で、イズマがシオンを追った。
 いいのか、とノーマンが目で問うてきた。だが、アシュレは動けなかった。

 めら、と胸のうちで上がった炎に動揺して。

 眼前には冷めた料理があった。
 立ち上がるとき、シオンがアシュレの前にずらして置いたのだ。
 冷めたくらいが美味しい料理。


 それは、たしかに復讐の別名だった。




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