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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第三話・第十七夜:人魚姫の記憶

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燦然のソウルスピナ 第三話・第十七夜:人魚姫の記憶





 法王庁特使側にとっての作戦司令室となった旅籠の特等室に入るなり、ジゼルがもたれかかってきた。ラーンは慌ててその身体を抱き止めた。

「大丈夫かね」
「いきなり、撃たれちゃったかんじです。《アクア・サーバント》、一体、壊されちゃった」
「顔色が真っ青だ」

 ラーンの指摘通り、ジゼルの顔色は蒼白で、ショック性のものだろう痙攣に全身が震えていた。
 ばら色の唇が赤い口紅の下で青く変色しているのがうかがえた。


 探索に放った《アクア・サーバント》一体が、アシュレの放った《ラス・オブ・サンダードレイクズ》の起こした水蒸気爆発に巻き込まれたのだ。
 
 浜辺を目指す奇妙な小舟の集団をジゼルの分身は発見し、追跡し、上陸地点を特定した。その強襲揚陸スタイルから、その小集団が夜魔の襲来であることも、ジゼルには予想がついたし、事実、そうであることを目視確認した。


 その直後のことだった。

 一万度を優に超える超高温の重粒子が、ジゼルと意識・感覚を共有する《アクア・サーバント》が潜む海面を直撃したのだ。

 ジゼルの使う《アクア・サーバント》に限らず、使い魔や分体、別体を作り出すタイプの異能は恐ろしく強力で決定的だが、同時に意識や感覚を共有する分体、別体が損壊したとき被るショックやダメージが、その意識・感覚共有の精度に比例する。

 水を媒体とするジゼルの《アクア・サーバント》は、それらの異能のなかでも情報収集に特化した、特に高精度なものであった。それを三体、同時に繰ることのできるジゼルの才能こそまさに特筆すべきものであったが、それは同時に喪失時に被るダメージの高さを示してもいた。

 生きながらにして瞬時に沸騰する海水によって、肉体の内外から蒸し焼きにされる恐怖と痛み。ちなみに、ジゼルの《アクア・サーバント》は伝説の人魚姫そっくりの姿形をしている。

 並みの能力者なら、ショック死さえありうる事態だったはずだ。
 気絶で済めば、たいしたものだと言えただろう。


 それをジゼルは、会食の場面で殺し切って見せた。笑みを絶やさず、淑女としての振る舞いを演じ切って見せた。凄まじい精神力だとラーンは思う。

「教授、苦しい、です」
「胸元を緩めるよ? いいかね」

 ラーンはジゼルの了解を待たず、ジゼルの胸元と腹部を締めつけるコルセットを緩めていった。鋼鉄の補強が入ったコルセットは言うなれば社交界という戦場に、ご婦人方が赴くための戦闘用重甲冑だ。全身をこんな拘束具で固めたまま、〈クォンタキシム〉という強力な《フォーカス》を使いこなし、並みの能力者では一体でも精一杯な分体の制御、統御をマルチタスクで進行させてみせるジゼルの力量には感嘆するほかない。

 だからこそ、反動も凄まじいものとなる。
 馴れた手つきでラーンはジゼルを解きほぐしていった。
 ジゼルの肉体は冷たい汗に濡れそぼっていた。

「寒くないかね?」
 ラーンはささやくように聞いた。
 こくり、と震えながらジゼルは頷いた。

「脱がすよ」
 濡れて貼り付く冷たい衣服を剥ぎ取れば、成熟した女の肉体があらわになった。ラーンは渇いた柔らかいタオルでその肉体を拭いてやった。ジゼルの肉体は冷えきり、突端は硬く尖っていた。

「なにを視たのかね?」
 女の体をいたわる運指とは裏腹に、ラーンは冷静に訊いた。
 男ならば誰しも眩暈を覚えるような絢爛な美の顕現を前にしてさえ、ラーンという男は小揺るぎもしないのだ。

 聖務を遂行する。

 その《意志》がヒトのカタチに凝って、地に降り立ったかのような存在。
 それがラーンベルト・スカナベツキという男だった。


「夜魔の、群れ。棺桶のカタチをした船団――閃光と爆発……を」
「竜槍――〈シヴニール〉かい?」

 ラーンの問い掛けに言葉を紡ごうとして、ジゼルが弱々しく首を振って見せた。
 かわりに両手がラーンを導くように差し出された。

 繋がってください、の合図だ。直接、ボクのなかを覗いてください、というサインだ。


 ラーンとジゼルの関係は、ジゼルが聖堂騎士団に入団を果たした頃まで遡る。

 その当時、従士隊に入団したジゼルはすでに《スピンドル》能力者としての覚醒を果たし、またその血筋も名家の出とあって将来を嘱望されていた。
 ただ、その素行にはさまざまな問題があり、特に座学・講義をおろそかにする傾向が指摘されていた。


 実際、ラーンの受け持つ神智学、歴史、練金学のうち、神智学、歴史では落第すれすれの成績を特別講義で補わなければならなかったほどだ。

 総じて座学関連の講師たちからの評判はすこぶる悪かった。

 あけっぴろげでざっくばらんな性格が、ネコをかぶっていても透けて見え、それが倫理・道徳に厳しい聖堂騎士団教官たちの勘に障るらしいというのも、やがて聖騎士に登用される可能性のある騎士団の下部組織と考えれば当然の話だった。

 だが、練金学――それも実験や応用実践で見せるジゼルの鋭い観察力、記憶力、洞察力をラーンだけは見逃さなかった。さらに行動力と高いコミュニケーション能力で、物事の中心になる才能がジゼルにはあったのだ。

 そして、興味の向く事象に対しては、驚くべき忍耐力を発揮した。


 そんなこともあってか、なにかと目をかけるようになったラーンに、ジゼルは懐いてしまった。いつそれが、好意から恋愛感情に発展したのかはわからないのだが。

 恋文が送られてくるようになった。

 ありえない、とラーンは取りあわなかった。少女にありがちな恋に恋する恋愛のあり方だと捨て置いた。時間が解決するだろうと考えた。
 ジゼルがすでにバラージェ家の御曹司との婚約を結んでいることは周知の事実だったし、火遊びなら成熟した人妻相手のほうが後腐れないことを、ラーンはよくわきまえていた。


 当然、恋文に返事を書こうともせず、そして、ジゼルのほうも面と向かって相対したとき、そのような素振りを持ち出したりはしなかった。

 だが、恋文だけは毎月、一、二通必ず届いた。

 それは座学のレポートに擬態していた。暗号のカタチをとって。たぶん、ラーン以外では気づきもしないだろう方法で、それは考え抜かれた恋文だった。

 だから、ラーンは気づかぬフリを押し通すこともできたのだ。

 相手を追い詰めすぎない、しらを切り通せる余地を残しておくジゼルのやり方は、なるほど、政治的配慮に満ちており、それゆえ逆に法王庁内での政争に身を置くラーンに対しては「評価対象になる」のだという計算まで感じられた。

 こんな手間を考え出せるなら、真面目に授業に精を出せばおそらくトップクラスの成績を叩き出せるだろうジゼルに、ラーンは苦笑したものだ。

 そんな矢先に、ジゼルは不祥事を起した。

 暴力沙汰だった。

 ジゼルの出自をやっかんだ女生徒数名が、その素行不良をネタにしつこくジゼルをからかったらしい。ジゼルはしかし、暴力には訴えなかった。

 かわりに、言葉に訴えた。

 ジゼルを中傷した女生徒たちをひとりひとり指さし、彼女たちがひた隠しにしたきた秘密――まあ、多くは性的な――を白日の下にさらしてのけたのだ。それも、もはや独創的にして天才的としかいいようのない修飾――罵詈雑言を駆使して。


 だから、暴力に打って出たのは取り囲んだ女生徒たちのほうだった。

 だが、これさえもジゼルは鎧袖一触に蹴散らしてしまう。
 指導教官が問題の起きた食堂に駆けつけたとき、ジゼルを取り囲んでいた女生徒たちは
仲良く床に転がり、気絶していたそうだ。

 いや、それだけならまだ情状酌量の余地があったかもしれなかった。

 だが、よりにもよって指導教官は座学関係のそれも女性――ジゼルに日頃からあまりよい感情を抱いていない尼僧だった。

 頭ごなしにその場でジゼルを叱りつけた。

 四半刻ばかり、ジゼルは黙って尼僧の説教を聞いていたらしい。だが、ややヒステリックめいた尼僧の説教が一息ついた瞬間に、やり返した。

 クラスメイトたちを逆上させた例の舌鋒で。

 口は禍の門、とは先人というのは良いことを言う、とラーンは思う。

 危うくジゼルは退団を言い渡される直前まで行った。
 だが、その事件の現場にはラーンがいた。
 眼前で始まってしまった騒ぎから逃れるように柱の影に移動して、愛読書とともに茶を啜っていたのだが、あまりの事態の進展に厄介事はごめんとばかりに逃げ出そうとしたところを見つかり、姿を現したのだ。


 しぶしぶと言う態度とは裏腹に明解かつ明晰な口調で、私見を交えず、しかし一語一句に至るまで違えずやりとりを再現して見せるラーンによって、ジゼルの正当性が立証された。

 もちろん、女生徒たちの秘密、尼僧の秘密についてはうまくぼかし、根も葉もない作り話だと弁護しておいた。


 それでもジゼルは謹慎処分となった。一月。
 普通の従士であったらもはや学業についていけなくなるほどの時間だ。


 処分を受け寮の自室に戻るジゼルに、ラーンは訊いた。

 どうやって、彼女たちの「秘密」を暴いたのか、と。
 簡単だったから、とジゼルは答えた。

 ジゼルの類い稀な資質にラーンが気がついたのは、その時だ。
 同時に、ジゼルに足りていないものを、いまのうちに誰かが教えなければ、いずれとんでもない事件が引き起こされるに違いない、と確信した。


 だが、そんな面倒な役目を負うのはまっぴらゴメンだった。

 自分の人生は聖遺物の発掘と管理・研究、そして人妻とのアバンチュールに費やされるべきだという確固たる信念がラーンにはあった。

 ところが、翌日、定例の枢機卿団会議で法王からこの問題の処理に当たるよう勅詔を受けた。否も応もない。法王からの名指しとなれば、ラーンに拒否権などない。

 あの座学の尼僧だった。ジゼルを庇ったラーンに、すこしでも厄介事をなすりつけようと彼女なりに画策したのだろう。

 毎晩、夕食後、談話室での「倫理・道徳」の講習が行われた。
 ジゼルは正当な理由なく一度でも講習をサボタージュした場合、即退団。
 ラーンは法王本人からの名指しで、得意どころかもっとも不得手な科目の講師。

 うまくいくはずがなかった。

 だいたい、倫理や道徳というものは座って習得するものではない。

 そこでラーンはそうそうに講話・説教を諦めた。教科書を投げ出し、ジゼルの話を聞くことに終始した。ジゼルの異能の発露、その根源にあるものを突き止めようとした。

 驚くことに、これは恐るべき効果をあげた。

 ジゼルの素行は三日後には驚くほどよくなっていた。
 
 溜まっていたレポートが次々と提出された。それも素晴らしい出来栄えで、それは全教官が認めざるをえない完成度を持っていた。


 ただ、当のラーンだけは言い知れぬ不安に、襲われていた。

 これはなにか巨大な災厄の前兆なのではないか、と。
 それは毎夜かわされる会話のなかからも感じ取れた。

「なるほど、どうやら、キミの異能は水を媒介にするものなのだね」
「相手が触れている水や、触れた水、近くにある水面からボクはそのヒトのことを読み取れるんです」
「そりゃあ、勝手にやるのはよくないだろうね。プライバシーの侵害だ」
「ふうん。みんなにはできないんですねー。ボクだけ知り放題っていうのは、やっぱり、まずいのかなー?」
「たぶんね(苦笑)。わたしだって、知られるとまずいことは一杯ある。人間だからね」
「やっぱりまずいですかねー」
「それは、まずいだろうね。知るべきではない事柄がこの世には数多くあるものだと、聖イクスもおっしゃられているよ?」
「それって、隠さなければならないような後ろ暗さを作るな、ってお話じゃありませんでしたか?」
「隣人を詮索するな、とも」
「なのに“教授”は聖遺物の探索や研究、聖人の認定に血道を上げているんですよね?」
「それはわたしの職務だからね?」
「“つまみぐい”は?」
「えっ?」
「“教授”を名指しでちょくちょく懺悔に来るご婦人方と防音機構の効いた隠し部屋で、“つまみぐい”しているでしょう?」
「あー、いや、あれは、その、懺悔だよ。告解の秘密は他者に聴かれてはイケナイ」
「“教授”って、絶対、聖職者失格ですよね」
「面目ない。だが――そんなわたしでも神は許してくださると信じているよ。これでも改悛の気持ちはあるんだ」

 だから、とラーンはとりなしたつもりだった。

 だから、わたしといっしょにキミの異能の使い方を考えていこうじゃないか、と。

 もちろん、それほど熱心な言葉でないことはラーン自身がよくわかっていた。
 一言で言えばごまかし、その場しのぎだった。はやく、この一ヶ月を乗り切り、自身の本来の職務に復帰したかった。


 だが、ジゼルの言葉を聞くうち、ラーンは深入りしてしまうのだ。

「でもね、“教授”、ボクの能力って、どっちかって言うと“目で視る”よりも“耳で聴く”に近い能力なんですよ。その、けっこう無意識なところがあって。耳にまぶたはない、って言うでしょう? 知りませんか?」
「! 自分で選択できないのかい?」
「無意識ではしてるのかもしれませんけどー。じつは、けっこう辛いんですよねー、ときどき」

 ぱんぱんに膨らんだ水袋がいつか弾けちゃうみたいなツラさ、あるんですよねー。そういうジゼルの笑いにラーンは陰りを見出してしまった。

「正直、こんな能力なんていらなかったなー、ボクは。いままでは、みんなどこかにそういうのを持っているんだって思っていたから……我慢できたのかも」

 一瞬、のぞいた陰りの色を、黒板の板書を消しとるみたいにジゼルは拭い去り、けろりと笑って見せた。快活で、だが、貴族の子女というにはあけすけな、いつものジゼルに戻っていた。

「正直、どこまで行けるのか、行けるところまで行って試してみたいって気持ち、ありますよ? この世に隠された秘密があるなら、暴き切ってみたいって気持ち、“教授”なら理解してもらえますよね?」

 だれにも、こんなこと話したことないのに、ふしぎだなあ、とジゼルは笑うのだ。
 こんな危うい会話を交わす代償に「ジゼルはおとなしく振る舞うようにしている」のだと、その素行の改善に目を見張る人々は思いもよらないだろう。

 危険だ、とこのときラーンは思った。

 道徳や倫理といった概念――社会理念を醸成・教育する、などというような悠長なことを言っている場合ではないと確信した。

 だれもジゼルが駿馬などではなく、国ひとつ火の海に沈めかねない火竜の幼生だと気づいていないのだ。だれかが死を覚悟でその背に跨がり、御さなければ巨大な災厄が育ってしまうと気がついていないのだ。

 醜聞、いや、法王庁がひた隠しにしてきたこの世界の暗部という炎を、吐息にして吹き散らす最悪の邪竜の存在に。

 いや、とラーンは己の聡明すぎる頭脳、先見性を呪いながら、ひとつの仮説に突き当たった。バラージェ家当主・グレスナウは、それを見越して一人息子とジゼルの婚姻を進めたのではないか? 
 このとんでもないバケモノのお嬢様の騎手として、自らの息子の将来性に賭けたのではないか?

 バラージェ家とラーンには、親密というほどではないが繋がりがあった。

 女の子とみまごうような美貌と、柔和で温和な性格を兼ね備えたバラージェ家の御曹司が、その内側にしっかりとした価値観と《意志》を育みつつあることは、ラーンには数時間、会話をすればわかったことだ。

 たしかに、彼ならば、いずれこの怪物を御しきれるかもしれない、と感じた。

 だが、『いずれ』では、間に合わない、とラーンは思った。

 そして、それは実際、そのとおりだった。

 為政者、権力者としてヒトを御すには優しさや、誠実さ、倫理や道徳、論理的で筋の通った説得だけでは片手落ちだ。そこに必要なのは、暴力的な、あるいは時には実際の暴力に訴えかける冷酷さ、非情さ、苛烈さが必要なのだ。


 それを、あの御曹司が学び取るには、まだ時間がかかる。

 いまはまだ、己が必ず相対することになる厳しい現実や逆境に抗するための土壌を培っている最中――人品の豊かさを育んでいる最中なのだ。

 聖職者ゆえに子を設けたことのないラーンは、だからこそ、このとき、聖騎士:グレスナウという男に戦慄にも似た感情を憶えたのだ。

 自らの一人息子に、この恐ろしいバケモノを伴侶としてあえてあてがおうという峻厳な、あるいは冷酷な《意志》に。

 しかし、その試み、目論見は数年の誤差によって瓦解するようにラーンには思えた。
 ジゼルの内側で萌芽し、急速に育ちつつある“なにか”は、グレスナウの読みを大きく上回って成長しようとしていたのだ。

 けれども、それに気がついたからといって、だれが、この怪物の背に跨がろうというのか? それは自ら燃え盛る火刑台に駆け登ろうとする愚行にそっくりだった。

 いや、とラーンは思う。

 このジゼルという娘は、もしかすると、わざと私の前でそのことをほのめかしているのではないか? 淑女のドレスの下に隠されたバケモノの尾を、ちらちらと、しかし目に留まるように見せて?

 女心は謎かけに似たり、とはだれの言葉だったか。

 ラーンの胸中に湧いた黒雲のような疑念とは裏腹に、ジゼルの謹慎期間――つまり一月が過ぎようとしていた。

 そして、それが起きた。

 秋の嵐の晩だった。

 吹きすさぶ風に雨は横凪ぎになり、渡り廊下が水浸しになるほどだった。そこここで、木々が折れる音が法王庁の伽藍に響き渡った。

 その夜、最後の予定だったジゼルの補講をラーンは延期にした。

 女性従士たちの寮は、補講に使用される講堂からは随分と距離があったせいだ。
 講師であるラーンが休講を言い出したのであれば、ジゼルが責任を問われることはない。それにラーン自身、嵐のなかを出かけるのは、まっぴら御免だった。


 だが、ひさしぶりに自身の研究に没頭できる。ラーンは世話役の僧たちに夜食を都合してもらい聖遺物管理課の施設に籠った。

 手をつけかけた文献があった。毎夜の補講のせいで、滞っていたものだ。

 貪るように読み進めた。アガンティリス王朝期の考古学者が書き記したもので、そこには驚くべき記録が残されていた。
 ラーンは文字の海に耽溺した。

 その幸せな没入からラーンを現実に引き戻したものは、吹き込んだ一陣の風だった。

 ごうっ、と燭台にはめ込まれた三本の大蝋燭の炎が揺らめいた。
 とっさにラーンは書籍を庇い、それから、風の吹いた方角を見やった。

 信じ難いことに書籍群を護るため、通気、採光にも細心の注意が払われた聖遺物管理課の工房、その扉が開け放たれていた。そこから、外気が吹き込み続けていたのだ。

 なぜ、というラーンの疑問はすぐに解けた。

 侵入者があったからだ。
 その身体は濡れそぼり、月下の白蝋のように蒼かった。陽光の下では淡い桃色に輝き奔放に跳ねるその髪の毛はやはり雨に濡れて、その華奢な肉体に貼り付いていた。

 乙女だった。

 その証が、濡れた丈の短い貫頭衣の――アガンティリス期の饗宴においてワインを注ぐ係であった美少年たちのいでたち、そっくりの――下に透けて見えていた。

 それがだれであるか、ラーンには一目で判った。

「ジゼル……なぜ、ここへ来たのだね?」
 こんな嵐の晩に? どうして、ずぶぬれになって? なんてかっこうで? 見張りの衛兵たちはなにをしていた? 訊くべきことはきっといくらでもあっただろう。

 だが、ラーンにはそのいずれも、答えを訊くことはできなかった。

 なにも言わず、放心したように扉の脇にもたれかかる無残に濡れたジゼルの髪を、タオルで拭ってやろうとした。 

 パンッ、と雷光に触れたかのように、その手が弾かれた。

 ジゼルの《スピンドル》が渦を巻くのをラーンは感じた。
 だが、それは敵意からではなく、ないがしろにされた飼い猫が飼い主に不満を現しているときのそれなのだと、ラーンにはすぐにわかった。
 理由は見えないが、ジゼルは怒っていたのだ。


 思えばジゼルの怒る様子を、初めて見たとラーンは気がついた。

 食堂での舌禍事件の渦中にあってさえ、ジゼルには、どこかディベートで相手を打ち負かすときのような冷静さと、愉悦を感じているような高揚があった。

 雲のようにとらえどころのない、自由な心の持ち主だと、ラーンは感じてきた。
 だからこその危惧でもあったのだ。
 だが、眼前のジゼルは、これまでラーンの見たどのジゼルとも異なっていた。あきらかな不満、怒り――拗ねてしまった猫のように、それが全身から感じ取れた。

「どうしたのかね?」
 ようやく、ラーンはそれだけ訊いた。
「……講義、なんだ来なかったの」

 逢瀬をすっぽかされた乙女の口調でジゼルが言った。

「講義……今日は、休講にする旨の木札を掲示板にかけておいたはずだが」
「これ、掛かっていたけど?」
 ゴランガラン、と講義を通常通り行う旨の木札が床に転がされた。

「わたしでは、ない」
「なるほどねー。そうだね、“教授”はこんなくだらない嘘吐くわけないもんね」

 ははっ、わたし、バカみたいだ。渇いた声でジゼルが笑った。

「どういうことだね?」
「いつもの嫌がらせだ、って言ってるのさ。本気になって損したよ」
「いつものって、ジゼル、キミはいつもこんなことをされているのかね?」

 ラーンの問い掛けにジゼルは口を噤み、ラーンを見た。射るような光をそこに認めて、ラーンはすべてを察した。ジゼルが耐えてきたものを。

「だからといって、この格好は、いくらなんでも……」
「水が媒体だって言いませんでしたっけ、ボクの異能のこと。肌に直接触れてる部分が多いほど、精度も感度も上がるんですよ。まさか、素っ裸で法王庁内をうろつくわけにもいかないから」
「まさか、わたしを探していたのかね?」
「ほかに、だれを?」

「……キミの異能を使えば、だれがこんなくだらない仕打ちをしたのか、突き止めることもそう困難ではなかったんじゃないかね?」
「自分の周囲が敵だらけだなんて念を入れて確認したいんですか、“教授”なら? だれが自分の敵なのか、明確に知ったら、次の段階はすぐですよ。“索敵”って、偵察ってことじゃないでしょ? 辞書にも載ってます。サーチ&デストロイはひと括りの言葉ですよ、“教授”?」

 ラーンはこのとき、ジゼルという娘の内側に穿たれた埋めがたい穴蔵をのぞいた気がした。
 不意に湧いた衝動は、愛しさだったのか、憐憫であったのか、ラーンにはわからなかった。
 だが、次の瞬間には抱きしめていた。


 ジゼルは震えていた。

 突然のなりゆきに四肢を強ばらせ、震えていた。ぎゅう、と両手がラーンの胸ぐらを掴み、濡れそぼった衣服と髪の毛が染みを作った。

「“教授”……ボクを、このあとどうしたいんですか?」
 震える声でジゼルは言った。

「つらければ、いつでも、わたしに相談するといい」
 それは狡い大人の逃げ口上だと、ラーンはもちろんわかっていた。わかっているのに、そのセリフが口をついたのは、ラーンにはまだ、いくらでも退路が残されていたせいだろう。

 だが、相対するジゼルは、そうではなかった。
 ぐい、と腕の中でジゼルが身を捩り、腕をついて身体を引き剥がした。

「そんなもので――そんな程度で、ボクを、制御しようっていうのかい? “教授”、そいつはお笑いだね」
 痛烈な批判が嵐の夜の法王庁にこだました。

 ざあああああああああああっ、とジゼルの体表面を流れ落ちていた水滴が逆流するのをラーンは見た。

「知らないように――ヒトの心や秘密に触れないようにって――どれぐらいボクが必死になってこの《ちから》を御そうとしているか、アンタたちは知りもしない。人間は相手とまっすぐ相対しようとするとき、相手の目をきちんと見るでしょう? 言葉を真摯に聴こうと耳を傾けるでしょう? 手を触れて、まさぐって、実存を確かめようとするでしょう? だけど、そうしようとすると、ボクは――ボクの異能は“相手の秘密を探り当てて”しまう」

 ずっと、相手をまっすぐ見れず、耳を塞ぎながら、息を潜め、触れることを諦めて社会に紛れなければならない――その苦しみがアンタにわかるか。
 ジゼルはそう言っていたのだ。

「常時発動型――」

「言っておくけど――“教授”、ボクはアンタたちが思ってるより、ずっとヤバイ情報だって知ってるよ? 
 例えば、ボクの許嫁になったバラージェ家の子息:アシュレダウの幼なじみ:クーヴェリア枢機卿(後のマジェスト6世)の姪:レダマリア・クルスが本当は同枢機卿の娘だってこと。

 バラージェ家の当主:グレスナウが先の聖務遂行の折り、夜魔の姫と密かに接触し託された聖遺物を自宅に隠匿していること――そして、そして……」


 平衡を欠いた笑顔で泣きながら告げるジゼルの声は震えて、しかし、どこか浮世離れして――神託を告げる巫女のように――狂おしかった。

 ざあああああああああああああっ、と翻る水の羽衣が一際、逆立ち、ジゼルの心中を代弁していた。

 ラーンはその有様から、ジゼルの異能は双方向のものだと洞察・推論した。
 情報を知るだけではない。相手に伝達することを可能としているのではないかと。
 そして、その洞察も推論も、正しい。


 思わず伸ばしたラーンの右腕が空を切った。
 ヒトが水を掴めないように、ジゼルの肉体は施設の廊下を駆け戻るべく、ラーンの静止を擦り抜けようとした。


 ジゼルの心の動きが、ラーンには、はっきりと見てとれた。

 たぶん、それはラーンに触れて染みた雨の滴のせいだったのだろう。
 自爆。その二文字がラーンの脳裏にはっきりと焼きついた。

 ジゼルはこのまま、水浸しになった法王庁の中庭に飛び出し己の異能を暴走させようとしている――それがわかった。

 ここが法王庁でなければ、狂気に彩られたジゼルの目論見は、ラーンが手を下すまでもなく潰えたはずだ。《スピンドル》は《閉鎖回廊》の内側でしか正常に作動しない。
 たとえ強力無比の能力者であっても、平常空間で操作できる《スピンドル》エネルギーには限りがあるのだ。


 だが、ここ聖都:エクストラムにあって、こと――この法王庁の敷地内では、まるで《閉鎖回廊》かのように《スピンドル》がトルクを上げる。

 聖地だから――そう誰もが口を揃えて言う。

 だが、常時発動型だというジゼルの告白を信じるなら、この敷地内にあることはジゼルにとって無理やり強力な異能を使い続けるよう強要され続けることであり、それは精神を引き裂かれるような苦痛を彼女に与え続けてきたはずだった。

 いつも、必死で歯止めをかけ続けてきたのだ。
 その肌が擦り切れ、肉と骨がのぞくほどその心を摩滅させて。


 そして、ジゼルの自爆とは、つまり、その内側に溜め込まれた“秘密”――自他の区別ない――を解き放つことに他ならなかった。

 それは水を導体として荒れ狂うサージのように他者の脳裏に侵攻し、心象を焼つける。
 場合によっては脳神経を焼き切るほどの出力にそれはなるかもしれない。深刻な後遺症。
 いや、それ以上にジゼルが先ほど口走ったいくつかの“秘密”は、けっして世に出してはならぬものだ。


 蜃気楼のように手の届かぬ場所へ離れていこうとするジゼルを、自らが御さなければならないのだとラーンが覚悟したのはこの瞬間だった。

 ぴしり、と空間が凝る音をジゼルはたしかに聞いた。

 石化(ペトリフィケーション)と誤って呼ばれることの多いラーンの異能:《メモライズ》は、正確には対象の時間進行を停滞させる特殊な能力だ。

 重要な資料の保存や、負傷者の延命など驚くべき多様な応用が可能なこの能力を、限定的だが《フォーカス》の助けなしで行使できる異能者は、聖騎士を教練する教導騎士団にさえいない。ラーンが枢機卿でありながらいまだに現役の聖遺物管理課・課長と現場指揮官を兼任する理由だ。


 専用の《フォーカス》である宝珠と、それを操作するための特殊な手袋のセット=〈グラパルダ〉を用いれば、短時間かつごく限定的な事象に限れば時間遡航さえ可能にするラーンの異能は、数多くの強力な異能者を輩出してきた法王庁にあってさえ並ぶもののない代替不可能な才能として扱われてきたものである。

 これは、ラーンの意識の中にある“記憶”を対象に押しつける《ちから》ということもできる。

 その《ちから》で、ラーンはジゼルを纏った水ごと、その場に縫い止めたのだ。
 ごつり、と音がして、扉が時が巻き戻るように閉じた。

 つう、とラーンの額を汗がひとすじ流れ落ちた。いや、見れば玉のような汗がいくつも浮いていた。それほどに対象に己の意識内の時間進行を押しつける《メモライズ》は高い負荷を使用者に強いる技なのだ。

「なるほど……ジゼル、キミの言い分はよくわかった。その苦しみと、孤独も、わたしには少しは理解できる。先天的な異能者として生まれてきたわたしの人生もまっすぐではなかったからね」
 つづれ織りの坂道をひとり、何度も折り返して上っていくような日々だったよ。

「だが――我がエクストラム法王庁の聖堂に、ヒトが管理できないような異能者は必要ない。この先、永久に、だ」

 ジゼルに施された遅滞時間の技は、その肉体の動作にだけ限られる。
 指一本動かせず、瞬きひとつできないが、聴覚はラーンの声を脳に届けるし、視野に入れば視覚はラーンを捉えることもできる。

 ジゼルは《メモライズ》の解けた瞬間に、まるで夢を一瞬で見るようにそれらを知覚することになる。圧縮された情報が、脳内で解凍された瞬間、爆発的に浸潤するのだ。


 だから、停滞した流れのなかにいるジゼルにラーンが話しかけることは無駄ではない。

「制御できない《ちから》など無用――そのことは、ジゼル、キミだってよくわかっていたのだね。あえて『よくわかっていたはずだ』とは言わないよ? だからこそ、キミは今日ここまで来たんだ。そうだろう?」

 声をあげることさえおっくうな様子でラーンは続けた。
 いつもの明晰な調子ではなく、それはどこか後ろ暗い響きを持っていた。

「『一緒に堕ちてくれ』というわけだ。『この苦しみに満ちた生から解き放ってくれ』というわけだ。その人生の始末の片棒を、わたしに担げ、とキミは言うのだな。

 キミ自身は無意識にも、いや無意識だからこそ、徹底的に計算していたのだな? だから、今日、この日、嵐の晩にそんな無防備な姿で、狙いすまして、わたしのところへ来たのだな?」


 ずらり、とラーンが腰のナイフを抜き放った。
 護身用というにも心もとない鋼の刃だが、身動きひとつままならない生け贄の子羊の命を終わらせるには、それは充分すぎる得物だった。ラーンはジゼルの正面に回り込んだ。

「そして、“秘密”を打ち明けた」
 燭台から差す炎の照り返しで、刃が鈍く光った。
 ジゼルの体表面で《メモライズ》に巻き込まれた水滴が重力に逆らい、プディングのようにふるふると揺れた。停滞時間が解除される前兆だった。

「ジゼル、キミを野放しにするわけにはいかない」
 言い終えるより早く、ラーンはナイフをジゼルの胸に振り下ろした。

 びゅ、と絹の裂ける音がした。それから、ラーンが手放したナイフが床の石材に落ちて甲高い音を立てた。

 血はしぶかなかった。それどころかジゼルの肉体には、傷ひとつなかった。かわりに小さな切れ目が貫頭衣に出来ていた。

 そして、ラーンはジゼルの衣服に手をかけ、力任せに引き裂いた。加えられた切れ込みから、絹の衣装は簡単に断ち切られた。

 次の瞬間、ジゼルの凍結されていた時間が、解凍された。
 ぱたたたっ、と水が床を叩いた。

 ジゼルはラーンの腕に捕らえられていた。右腕に肩を抱かれ、左手に臀部を鷲掴みにされて。

「キミはこれ以降、わたしの管理下に置かれる。

 所有物、収蔵物として。肉体の、精神のいたるところ、あらゆる場所に刻印を施す。

 片時も忘れることができないようにする。

 だが、かわりにキミには“わたしの命令に服する権利”を与える。

 それに従うかぎり、全責は私が追う。キミが知りえたいかなる“秘密”もわたしのものだ。

 だから、もう、“知ってしまうこと”に思い煩うな。

 キミはわたしのものだ。わたしがキミの主だ。

 従え」


 オマエを――わたしが操ってやる。

 低く、そうささやきながら、ラーンはジゼルの裸身を資料室の裏側に隠された寝室のベッドに運んだ。夜を徹して研究に没頭する癖が抜けないラーンの為に特別にあつらえられたものだ。

「もう、後戻りは許されない」

 われわれは、いま、この瞬間から、“秘密”の共有という背徳によって結ばれた同盟者となる。
 いいね? そうラーンは確認した。


 ジゼルからの応えはなかった。


 ただ、強く抱き返してくる腕と脚だけが、ジゼルの心を言い表すのだった。
















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