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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第三話・第十二夜:“教授”と“聖泉の使徒”

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燦然のソウルスピナ 第三話・第十二夜:“教授”と“聖泉の使徒”





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「本来これは、ダシュカマリエ大司教に直接にお伝えすべき事柄であるのだが、重篤者の緊急施療中とあっては、致し方あるまい。
 ゆえに、カテル病院騎士団騎士団長であるザベルザフト・コルドバ卿にまずは、我らの来意をお伝えしたい」


 その立ち振る舞いから“教授”と呼ばれる男:ラーンベルト・スカナベツキは緋色の衣を身に纏い、穏やかな声で告げた。
 騎士団長:ザベルザフトは騎士であったが同時にカテル島の統治者として子爵の地位を持つ。“卿付け”はそれゆえであった。

 ゆっくりとカテル病院騎士団側の事情に理解を示しながらラーンベルトが告げた来意は、しかし、その口調とは裏腹に衝撃的なものだった。

「大いなる悲しみを持って、わたくしは敬虔なるイクスの民である皆さんにお伝えせねばなりません。じつは、先だって法王:マジェスト六世が崩御なされました」
「ベネストス枢機卿、それは……」

 歓迎のための夕食を終え、歓談の席上で明かされた来意にザベル以下騎士団の重役たちからも嘆息が漏れた。ちなみにベネストスとはラーンベルトが治める教区の名である。枢機卿に限らず通常高位聖職者たちは治める教区の名で呼ばれることが常だ。
 つまり、ダシュカマリエも正しくはカテル大司教と呼ばれるべきなのだ。

「皆さんの心痛、動揺、わたしにもよくわかります。
 マジェスト猊下は、わたしにとってさえ、本当の父以上の方でしたから。


 ですが、どうか心安らかに。そのためにわたしは参ったのですから。心配には及びません。お話にはまだ続きがあるのです。

 そして、どうか、わたしのことは今後、ラーンとお呼びください。皆さんの兄弟……少しばかり年嵩の兄だとでも思って」

 言葉だけを捉えれば親愛の情に溢れたものであったが、ラーンの傍らに席を得たザベルはこの男の心が少しも揺らいでいないことを見抜いていた。
 そして、わずか数日の差ではあったが、法王崩御の報を騎士団の援助者である貴族たちを介して、ザベルは得ていたのである。
 すくなくともこのとき、カテル病院騎士団の裏方を担当する重役たちはそのことを心得ていた。


 諜報戦とはスパイ活動だけを示す言葉ではない。
 互いに相手の腹を探り合う対話、交渉、外交の席もまたその延長なのだ。

 ただ、続くラーンの言葉はカテル病院騎士団が、まだ得ていない情報――まさしく最新のものであった。

「ひと月をはるかに超える長い法王選定会議(コンクラーベ)を経て、新たなる、まさに時代を切り開くべき若き法王が誕生なされた悦びを、同時にお伝えするものであるのです」
「若き新法王! ――そのお名前は?」

 法王の退位は本人の意志か、逝去を持って行われる。
 基本的に法王に選出されるのは五十代以上の年齢を迎えた高位聖職者に限られていたから、自ら望んでイクス教会最高の権力を手放す者などほとんどいなかった。
 つまり法王の退位とはすなわち崩御であることが世の慣習であった時代である。

 そして、法王の退位と同時に枢機卿団は、すぐさま新法王の選定に乗り出さねばならない。
 
 地上世界における神の代理人、世界に範を示し、その言葉を伝えることを神、その御方から直接に保証されたイクス教世界の精神的・物理的支柱としての法王を空位にしておくことなど、許されなかったからだ。

 法王庁の中庭にテントを張り、投票形式で行われる選定会議はコンクラーベと呼ばれた。

 法王には巨大な権力と利権――たとえば新たな枢機卿の任命権が与えられるため、会議は長期化、紛糾することがしばしばであった。
 ありていにいえば、コンクラーベとは宗教の姿を借りた政治闘争の場なのである。


「その名は――」とラーンはそこで一呼吸ついた。
 自らの言葉を受け止める準備を皆に促すために、そしてその効果を最大のものとするために、間を取ったのだ。
 それから、告げた。


「ヴェルジネス一世猊下――元ヴァレンシーナ枢機卿……マジェスト六世猊下の姪にあたられる方、レダマリアさま、と言ったほうが皆さまには通りがよろしいか?」
「! たしか、まだ十八歳であらせられたと記憶しているが」


「いかにも。そのレダマリアさまであらせられる。
 その方こそが、マジェスト六世猊下の遺志と事業を引き継ぐ、我らイクスの子の新たなる導き手とならせられたのです」


 ラーンは長いコンクラーベのなかで、レダマリアが法王選出の規定数である三分の二の票数を獲得するに至った経緯、過程をかいつまんで伝えた。

 ザベルは驚きを隠せぬ口調でラーンに問うた。

「だが十八とは、若い。あまりにお若い」
 そこに否定的な色が乗ることをザベルは否めなかった。

 法王庁の宮殿は狐狸毒蛇の潜む魔窟である。いや、だからこそ、その魔窟を生き抜いた魔物――歳経た枢機卿たちはほとんど魔術的な政治的手腕を獲得するのだ。

 オーバーロードや魔の十一氏族だけではない。異教徒の侵略や、領土拡大の野心を隠そうともしない強大な専制君主国家が胎動の兆しを見せているこの世界情勢のなかで、若さや情熱、正義感だけではいかんともしがたい事態、事案が法王には数多く課せられる。
 年齢から来る経験の不足は、いかにしても拭いがたい不安要素であった。

 ヴェルジネス――
〈エフタル〉では“乙女”を示すその名前も、可憐・清廉ではあるが同時に“純粋”であることの“悪”をザベルには感じさせるものでもあったのだ。
 
 七つの大罪に挙げられる“憤怒”を象徴するのは獅子や熊といった肉食獣ではない。清純な乙女の象徴である“ユニコーン”だったのだから。

 そんなザベルの意を汲んだのであろう、ラーンは噛んで含めるように言った。

「はい。ですから、我ら枢機卿団だけではなく、宗教騎士団の皆さまにもご協力いただき、ぜひともにヴェルジネス法王猊下を盛り立てていただきたく、お知らせとともに、その要請に枢機卿であるわたしが出向いて参ったしだいです」

 ザベルの拳に少年の物のようなすべやかな掌をかぶせながら、ニコリと笑う。
 笑顔になった時だけ、その目尻に生じる深いシワがラーンの実際の年齢を示していた。


 その姿は、あまりに若い――少女と言ってさえよい――法王の誕生に動揺する同胞を力づけようとする年長者の態度に見えただろう。
 
 だが、ザベルの胸中に渦巻いていたものは、動揺ではなかった。
 
 大事ではあるが、この程度のことを知らせるのに枢機卿がわざわざ出向く必要はない。
 法王庁の大使をひとり送ってくればすむことである。

 だのに、そうであるのに、ラーンは来た。
 政治闘争に明け暮れる他の枢機卿ではなく、聖遺物管理課、その首領自らが出向いて来た。

 すくなくともラーンにはこのような辺境、それも異教徒、魔の氏族との闘争の最前線であるカテル島くんだりまで、わざわざ訪れるだけの理由があるのだ。
 そしていま、カテル島には、ダシュカマリエの予言によって身を寄せる聖騎士:アシュレダウ、さらにはその共闘者となった夜魔の姫、土蜘蛛の王まで滞在しているのだ。
 対処を誤るわけにはいかないかった。
 上辺の案件に惑わされることなく、ラーンの真意を見極めねばならぬ、とザベルは思った。


「ラーン枢機卿猊下の仰ること、いちいちごもっともです。
 我らカテル病院騎士団は、我らの背後に控えるすべてのイクス教徒の盾と自負しておりますれば、ヴェルジネス新法王猊下の御為に、いっそう励むことお約束いたします」


 社交辞令としての返答をしながら、しかし、ザベルは別の事案に頭を巡らせていた。

 新法王の誕生とその根回しに来たと告げたこの使節だが、用件を剥ぎ取り、その実に目を凝らせば、これは聖遺物管理課本営が出向いてきたと考えるべきだった。


 まず使節の長を務めるラーンだが、彼は枢機卿にして極めて珍しい《スピンドル》能力者だったのである。

 聖遺物の回収、分類、修繕と保管に明け暮れる部署と思われがちな聖遺物管理課であるが、これは誤解であり、実際には法王直属の強力な特務官としての役割を担う組織である。


 その特務性・特殊性を端的に示す職務こそ“聖人認定”である。

 彼らは各教区からの報告に基づき、西方世界のあらゆる場所に赴き、聖人の認定――つまり、その正否を判断する。

 聖遺物管理課に持ち込まれる聖人認定の依頼、そのほとんどが“否”とされるわけだが、それは“奇跡”などそうそう転がっているものではないという証左であると同時に、そのなかには強大な“悪”――つまりオーバーロードや魔の氏族が関与する案件が少なくないということでもある。

 聖遺物管理課はこの案件を「解決する」ところまでをその聖務とする。

 現在二十二名在籍するエクストラム法王庁の聖騎士のうち、約三割、じつに七名が在籍する理由もわかろうというものだ。
 アシュレはその精鋭のひとりであったし、ラーンこそはアシュレの師匠にあたるのだ。


 そして、そのラーンの護衛に七名しか在籍しない聖騎士のひとりが出向いてきた。

 ジゼルテレジア・オーベルニュ。
 弱冠二十三歳の女騎士はエクストラムの名門:オーベルニュ家の息女である。
 幼少期に《スピンドル》を発現させ、才媛として英才教育を受けてきた精鋭だ。
 気位ばかり高く柔軟性の足りなくなりがちな貴族階級出身者とは大きく異なり、快活で、機転が利き、高い交渉能力を買われた娘だ。


 父親は武名だけでなく文化人として各国に知られた男で、ご婦人方からの人気も高く、いくつかの戦争で捕虜となりながら敵側のご婦人方からの助命嘆願や、敵軍の将、はては国王に気に入られて無傷で帰還すること数度という遍歴の持ち主だった。

 つまり、人気を得る術に長けた一家の血を、娘も継いでいるということだ。


 おそろしい組み合わせだとザベルは思う。
 外交能力を兼ね備えた神智学者と、おなじく高いコミュニケーション能力を備える聖騎士――そのどちらもが《スピンドル》能力者であるのだから、実質このふたりだけで重装騎兵数百騎に匹敵する戦力――互いの能力の相乗効果を考えれば、あるいは互いが一騎当千、いや万の軍勢に迫る、と呼んでさしつかえない脅威であった。

 なにも武力だけが国家を切り崩す手だてではない。
 むしろ、そうでないことのほうが多いのだと、ザベルは身をもって知り抜いていた。


 男性であるラーンが入り込めない場所であっても、ジゼルならば入り込める。
 その意味でも死角のない編成であった。


 だから、やはり、これはこのカテル島の内情視察――まずはアシュレたちの動向の確認と、ふたつの聖遺物:シオンの持つ〈ローズ・アブソリュート〉、〈ハンズ・オブ・グローリー〉の探索、そして、イグナーシュ領のあの夜から続く大きな運命の流れに関わることなのだとザベルは改めて確信した。

「そのお言葉をいただき、やはり、今日こちらに直接出向いたことは間違いではなかった、とこのラーン、感激に打ち震えています」

 法王猊下の勅書をこれに、とラーンが合図すると、背後に控えていたそば仕えの僧がうやうやしく布に包まれた手紙を差し出した。
 ラーンは馴れた手つきで封蝋を切り、その勅書を読み上げた。


 ヴェルジネス一世の直筆であるというそれを聞きながら、ザベルはいつしか肉体がおこりのように震えるのを止められなくなっていた。

「我、神の代理人にして、汝らのイクスの子らの母であるヴェルジネス一世は、漁る者の指輪を前にして、いま、ここに第十二次十字軍の発動を宣言するものである。
 心ある者、その心に正義を持つ者、神より王権を賜りし王者、そしてすべてのイクス教者は、我が軍勢に参画せよ。
 神が、それを望んでおられる!」



 ――十字軍。


 その響きにザベルの血液は一瞬にして沸騰した。それは異教徒との戦いに半生をすでに捧げてきたものだけが感じられる心の動きであった。

 資金は寄越しても兵力を寄越すことなど、まずない西方諸国のことだ。

 足並みが揃わず大敗を喫した前回の十字軍解体からすでに五年近くの時日が流れている。

 マジェスト六世の前々任者がぶち上げたそれは、十年以上の長きに渡り東西情勢を引っかき回した揚げ句、結局のところアラム勢力の東進活動に火をつけただけで、多くの西方諸国が地図上から消し去られる格好になった。
 いま原理的な教義を掲げ移動宮廷を率いて戦うエスペラルゴ帝国も、そうやって揉み消された国家群を吸収したものだというのが実情だ。


 そして、当時窮地に陥り、蹂躙される同じイクス教の国々を、カテル病院騎士団は対岸で指をくわえて見ていることしかできなかった。

 バラバラな各国の王たちの思惑と、当時の法王の独善的な采配が原因だった。

 戦略的、戦術的上申を聞き入れず、兵站を無視した運用、隣国で革命から発展した内乱が起きている情勢下で、そのような大規模な軍事行動を固持し続けた現実への認識力のなさが、多くの人命を無駄に失う原因となった。


 ザベルたちカテル病院騎士団、そして他の宗教騎士団は迷走する十字軍の動向に翻弄されるカタチとなったのだ。
 対応は遅れに遅れ、友軍の大敗を招いた。消えた騎士団もひとつやふたつではない。

 現場を軽んじる風潮が、当時の法王庁には満ちていた。

 その法王庁が、法王が、まず第一に自分たちを頼ってきた。それも十字軍発動の勅書とともにだ。計画の当初から、根幹から参画せよ、とヴェルジネス一世は言っているのだ。

 この呼びかけが琴線に触れぬのなら、それは武人としては不能と言ってよい。

 もちろん、法王に祭り上げられ頭に血の上った小娘の世迷言と捉えることもできる。
 いや、まずは捉えるべきであろう。


 だが、たとえそうであっても、いま、このタイミングで仕掛けてくる揺さぶりとして、これはじつに効果的な、これ以上ない手であった。

 やれるものならやってみろ。十字軍を起すとでも言うのなら、やってみろ。先ほど自身でついたセリフがザベルのなかで反響した。

 目の前の男――“教授”は、こうも言っているのだ。

「おとなしく我らの捜査に協力するなら、よし。
 だが、我が意を阻むなら、十字軍の矛先がどこへ向かうかはよくよく考えろ。
 ――全面戦争も辞さず。異教徒、魔の氏族、オーバーロード、そして不信心者のことごとくを踏みつぶす決意が我らにはあり」と。


 法王庁はともかく、ヴェルジネス一世の、そしてその特使を買って出た聖遺物管理課の意志は明確だった。

 もし、特使である自分たちになにかあれば、そして、その聖務の遂行を阻むものがあれば、法王庁は先んじて全面戦争を仕掛ける覚悟がある、とこの勅書は告げていると捉えることさえできる――いや、そう捉えるべきだろう。

 カテル病院騎士団は機先を封じられ、さらに喉元にナイフを突きつけられた格好になったのだ。

 十字軍発動への直訴を先んじて実行されただけではない。特使の安全とその聖務の遂行に関する保証を法王庁はいまこのとき、捩じ込んできたのだ。

 そして、そのうち少なくとも後者に関して、カテル病院騎士団は、その完遂を許すわけにはいかなかったのである。


 まずはここに逗留し天候の回復を待ちたいと申し出る枢機卿の言葉に、ザベルは粛々と従った。

 法王庁の使節は、これでカテル病院騎士団の監視と護衛を受けながらではあるが、カテル島内での行動の自由を手に入れたのである。
 それはカテル病院騎士団が戦力の分散という愚を知りながら犯さねばならぬ窮地に陥ったと言い換えてもよい。


 難しい戦いの始まりだった。


 その夜は冬の嵐となった。

 北風が吹きすさび、普段であれば山の陰となっているはずのカテル島東南部でも巻いた風に船が煽られた。その風に雪が加わり、島の様子は一変する。

 カテル島においては、嵐は慣れっこでも雪など生まれてこのかた見たこともないという島民は少なくない。
 悲鳴のように鳴る強風と天から舞い降りる白魔の先触れに、島民の不安と一種異様な興奮が高まっていたその夜、島の南側を強風に逆らい航行する漆黒の船を見た、という者が現われた。



 それは奇怪な――黙示録に語られる死者の船のようであった、と証言する者もいた。


 翌朝、鋭い衝角を備えた小舟のごとき姿をした棺桶の群れが焼け焦げ、砂浜突き立っているのを島民たちは発見し震え上がる。

 二重螺旋の刃を持つ剣の柄に高い峰々でしか見ることのできぬ高山植物で作られた花輪の紋章がその棺桶には刻まれていた。

 その棺桶のすべてには中身がなく、なにより恐ろしいことはその棺桶は内側から鍵がかかるようにできていたことだ、と島民は語った。


 そして、彼らがそれを発見するよりもずっと以前に、暗闘の火蓋は切って落されていたのだ。


 この夜、カテル市街は炎に沈む。



         ※


「どうかね?」
「“教授”と相部屋なんて、ドキドキします。もう、なにがあっても言い訳できない感じの関係とシュチュですよね、ボクたち。昔を思い出しますー」

 部下の前では鋼鉄の処女よろしく「わたし」を通すジゼルだが、親しい間柄となれば地をさらすのをためらうような性格ではなかった。
 しつらえのよい羽毛のベッドにジゼルは腰かけている。


 癖毛だがそれが逆に豪奢な印象を与えるブロンドの髪が暖炉の炎に映えて、赤く照らし出されている。甲冑の上からではうかがえなかった成熟しつつある女性の肉体を、暖炉の明かりは陰影をつけて照らし出す。

 やれやれ、と“教授”と呼ばれた男――ラーンは苦笑した。

「そうやって男を試す癖は直らんようだね」
「からかう相手は厳選しているつもりなんですけどね?」
 ジゼルの返答にやれやれ、とまたラーンはかぶりを振るのだ。

「間違いがあったらどうする気だね? わたしはオーベルニュとバラージェのふたつの名門を相手に争いを起すほど愚かではないが、男として枯れているわけではないのだよ?」
「ひとの許嫁に手を出すほど愚かではないけれど、人妻なら後腐れなく楽しめる、って聞こえますよ? だいたい、いまさら間違いだなんて、ボクと“教授”の間柄で?」

 うぉっほん、とラーンは咳払いしたが、その表情は部下の行き過ぎをたしなめるためというには、どこか楽しげだった。グラスに注いだブランデーを手渡す。

「キミからのラブレターは、まだ机の引き出しの奥にしまってあるよ」
「“教授”からのご返事もとってあります。『バラージェ家の許嫁であるキミの愛をわたしが受け取るわけにはいかない』――これって暗に『人妻ならそのかぎりではない』『肉体関係だけならかまわない』って事でしょ? ほんと、狡いんだから。治癒系の異能が得意なのって良いのか悪いのかわかりませんよね? 悪徳を助長させるというか」

 口を尖らせて言うジゼルの口調にも非難めいたところは微塵もなく、むしろこの危うい会話を楽しんでいるような節があった。
 ラーンはトレードマークの眼鏡を外し、神経質そうに拭きながら言った。

「それで、実際のところ、どうなのかな?」
「いる、と思いますよ。感じますから」
「キミがそういうのであれば、間違いないのだろうね」
「さっきお風呂で、少し試してみたんですよ? 春に来たかったなー、カテル島、温泉最高だし」
「いきなりしなだれかかってくるから、驚いたよ。だいたい、あれはひどいな、生殺しじゃないか」

「ボクが《ウィスパリング・ウィスパ》を使うときは、有効範囲の拡大に伴って意識が希薄になるんですから、傍にいてくださらないと。《スピンドル》能力者以外に護衛なんて任せられないし、この特務使節には他に能力者は“教授”以外いないじゃないですか」
「キミ、最初から、それが狙いだったね?」

「それも、です。人聞きの悪い。けっきょく、なんにもイタズラしてくれなかったみたいで、“教授”には失望しました」

 男兄弟に挟まれて育ったせいか、それとも本人の資質なのか、あるいはオーベルニュの家の教育か、ジゼルには奔放で享楽的なところがあった。

 おそらく聖騎士の試験では、素行に関して落第寸前であったはずだ。
 だが、それでも選抜を潜り抜けられたのは、家柄でも、オーベルニュ家が毎年聖堂騎士団に投下する寄付金の学でもなく、ジゼルの異能があまりにも希少であったせいだ。

 足環(アンクレット)と腕環(ブレスレット)、そして頸環(カラー)からなる宝飾品の姿をした《フォーカス》:〈クォンタキシム〉――法王庁によって聖遺物に認定されたそれに適合した希少な《スピンドル》能力者――“聖泉の使徒”というふたつ名で、ジゼルが呼ばれる理由であった。

 強力な《フォーカス》である〈クォンタキシム〉は、《スピンドル》適性だけでなく使用者の自我に強力な負荷をかける。

 使用者は水を媒介に、連続するあらゆる場所に自らの知覚力を飛ばすことができるが、それとともに自身を薄く引き伸ばされるような感覚を味わうことになる。記憶の海のなかで自分が溶けて消えてしまうのではないか、という恐怖を強いられ、それに耐えなければならない。


 そして実際に、まるで希釈されすぎた砂糖水がある濃度を境に、まるで味を感じ取れなくなるように、探知・探索の範囲を広げすぎた能力者は文字通り、自我を希釈され過ぎて二度と戻れなくなる。そのような危険性を孕んだ聖遺物――それが〈クォンタキシム〉であった。

 必要であれば自分を限りなく希釈し、その希釈液のなかから再び必要に応じて自分を組み上げ取り出すことのできる希少な存在。それがジゼルの得意な才能だったのだ。

 ラーンはジゼルの奔放で享楽的な性格も、その才能を支えているのではないかと睨んでいた。

 すなわち、“物語の主人公に没入するように、自らの挙動も心の動きさえ簡単に差し替え、また別の物語を読めば、瞬時にそのようになれる”――卓抜した役者のようなメンタリティこそ、その源泉ではないのかと考えていたのだ。


「それで、どれぐらい潜ってみたのかね?」
 水の記憶の海に、という意味でラーンは聞いた。

「まあ、手始めですし、近場をぐるりと。本体を掴んだわけではないですけど、匂いがありました。少なくともイグナーシュ領での探知に比べればずっと濃厚でした。確実に近づいてます」
「恐いね。キミ相手に浮気はできんな」
「あら、互いの浮気を許し合うという選択肢もあるんですよ? 本気でないなら、ボク、たいていのこと許せてしまう性分ですし?」

 なるほど、それはある意味で理想的な夫婦像だね、と聖職者にあるまじき考え方を莞爾と受け流してラーンは眼鏡をかけ直した。
 この眼鏡も同じく《フォーカス》であった。ラーンの個人所有だが、イリスが所有するものとカタチさえ違えど、その効果は同じ〈スペクタクルズ〉だった。


「その鷹揚にして寛大な夫婦観を備えるキミの意見として聞きたいのだが、彼――アシュレダウは、この島にまだいるのかね。率直な意見を聞きたいな」
「はい。必ず」
 ラーンの問いかけに、まったく迷いのない回答が返ってきた

「根拠は?」
「女の勘です」
「嘘だろう?」
「んもー、“教授”はもうちょっと女のコのそういうスペシャルな能力信じるほうが思います。ま、それは半分だけ、あとは“味”がしましたから」
「“味”ね、具体的には?」

 ラーンの問い掛けに、ジゼルは両手を突き勢いをつけてベッドから飛んできた。足のほうから。矢のように。
 しなやかなジゼルの肉体が、その実どれほど鍛えられたものであるかの証左だった。


「子供の時、ボクがアシュレ坊にどんだけ、ベロチューしたか知ってます? もー、あのピンクの唇をどれほど奪ったことか。スキあらば舌を潜り込ませてですね、飲み飲ませ憶え憶えさせて」

 ラーンは笑った。それはアシュレ坊も災難だったな、という笑いだ。ベロチューでは表現がハシタナイから接吻にしなさいと、叱ることもない。
 ジゼルは勢いづいて断言した。

「そのボクが言うんですから、これは間違いないこと」
「唾液鑑定士、とでもいうのかね? 興味深いテーマだな」

 そう言って笑うラーンの唇を、突然ジゼルのそれが奪った。

 一瞬驚いた様子のラーンだったが部下であり聖騎士であり、同時に聖職者であるジゼルの口づけを甘受した。それは愛の行為に熟練した男の表情だった。

「ですから、いざというときの為に、このように“味覚”を採録しておくことを、ボクは提案しますよ?」
 んあ、やっぱ“教授”美味し、というジゼルのつぶやきを聞き流し、ハンカチで口元を拭くラーンの表情は平静なままだ。
 キミのも素晴らしいものだよ、とジゼルのそれを褒める余裕すらあった。


「しかし、アシュレ坊は、どうしたものかな? 長年、中央平野の懸念だったイグナーシュ領のオーバーロード討伐に成功。聖遺物奪還の任の途中とはいえ、一度、報告に戻ってきてもよかったろうに。それがないがために、このような大掛かりなことになってしまって、聖遺物管理課の責任者としても頭が痛いよ」

「〈デクストラス〉〈ハンズ・オブ・グローリー〉――法王庁から奪取されたふたつの聖遺物奪還が聖務であったわけですから、行きがけの駄賃としてオーバーロードを下したからといって追跡を諦めないのは聖騎士の鑑、と褒めたいところなんですけどねー」

「現場に残されていた戦闘の痕跡から、どうも〈ローズ・アブソリュート〉の使い手と、アシュレダウは共闘したことが推測されているからね」

「遺失されたとしていた聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉の最後の使い手こそ、夜魔の姫――夜魔の大公:スカルベリの息女:シオンザフィル。〈ハンズ・オブ・グローリー〉を奪ったのが彼女であるというのなら、その辻褄も合う。ほんと、バラージェ家って魔性に魅入られやすい血筋なんだなー。たとえ一時的な共闘であったとしても、査問は免れないっていうのに」

 アシュレの父:グレスナウを知るのだろうジゼルがぼやいた。
 非難というよりロマンチストの血統にどこか叶わぬ恋をしているような声色だった。


「土蜘蛛の技の痕跡も検出された。おそらくは夜魔の姫に付き従ってきたというはぐれ土蜘蛛の従者のものだろう。失われた古代の王の血統だと聞いたが……イズマガルム・ヒドゥンヒ――塚の、とか古墳の、という意味だからね。“ヒドゥンヒ”というのは土蜘蛛の言葉で」
 ラーンの指摘にジゼルは頷いて卓上に腰かけた。

「それらしい気配も感じましたし。たぶん、間違いないでしょう」
「では、仮にアシュレの行動が本当に『聖遺物の奪還』であったとして、その追跡行の途中だとして、この島内でひと月以上も容疑者たちは潜伏し続けていたのだろうか? アシュレはそれを追ってここまで来た? カテル病院騎士団に気付かれることなく? 

 今朝方――もう昨日か――まで隠密を貫いていた我々の情報を察知するやいなや、これほどの歓待を用意してみせた連中を? いや、それはありえないだろう」


 むしろ、事情を話して協力を要請する程度のことは考えるべきだろう、とラーンは言った。
 アシュレ坊は、あれでかなり頭の回る男だからね。


「それに、土蜘蛛の男はこれまで幾度も強力な転移の技で我々を出し抜いてきた。連続で使えないとはいえ、すでに優にひと月以上が経っているのだ。月齢も巡っているし、再使用は可能なはず。痕跡を最小にして追跡を煙に巻くこともできたはずだ」
「カテル島は《閉鎖回廊》ではないから、強大な《スピンドル》エネルギーが確保できない、とか?」

 ふむん、とラーンは腕組みし、ジゼルに視線を流した。下側から目だけを動かし見上げる仕草。

「それについてだけれど、試してみたかい?」
「そうなんですよねー、まるでここ、《閉鎖回廊》みたいに《スピンドル》が励起するんですよ。回転が上がり過ぎて、ボク、困っちゃいました。
 そう――まるで、我らが法王庁敷地内みたいに――」

 ジゼル――とラーンがジゼルの軽口に言葉を挟んだ。

「おっと、失言でしたねー。いくらなんでも《閉鎖回廊》と偉大なる法王猊下のおわします法王宮を混同しかねない発言は不敬でしたねー」
「いや、キミをたしなめたのではない。褒めたのだ。やはり、気づいていたのだね」
「まあ、ボクの異能は先輩諸氏のそれと違って派手なエフェクトないですからー」

 ゆらゆら、とブランデーを掌の温度で温めながら、薫りを引き出すためにスワリングするような手つきでジゼルは言った。

「昔から法王庁の敷地内は《スピンドル》の励起効率が良いのだけれど、ここ数ヶ月の高まり具合は少し特別だったからね。そう、それとこのカテル島はよく似ている感じがするのだよ」
「なにかが起きている、と?」
「それを調べるのも、我々の仕事さ」
 まあ、それはともかく、とラーンはジゼルに向き直った。

「アシュレ坊の動向、その推理――われわれふたりの見解をすり合わせておこうか」
 言いながら、手慣れた様子で羊皮紙を取り出し、ラーンはその中央に“アシュレダウの動向”と書き記した。

「いつもながらですけど、変わった記述法を使われますよね」
「箇条書きにするより、こちらのほうが発想が引き出しやすく感じてね。ある芸術家から学んだ方式なんだが」
 さらさらとまるで地図を描くようにラーンは羊皮紙に自身の推理を描き出していく。
 またたく間に羊皮紙の紙面が注釈とアイコンで埋まってしまった。


「速すぎます、“教授”。ボクが口を挟むスキがない」
「ああ、いや、ここに書き加えようと思ってね、とりあえずわたしの意見は開陳しておかないと」
「アシュレ坊の動向については、正直、ボクにも不審な部分がたくさんあります」
 書き出された推理の地図を見下ろし、自らもペンを手にしながらジゼルが持論を展開した。

「たとえば?」
「たとえば、聖務の目的に掲げられたふたつの聖遺物のうち、〈デクストラス〉。これは
もう、現存しないというのがボクの考えです」

 ほう、とラーンは相づちを打った。正直、法王から聖務を預かる枢機卿としては流してはいけない発言だったはずだが、ラーンは咎めなかった。
 善意や誠意、正義や正論、体面や立場といった虚飾がどれほど議論や意見を現実から遠ざけてしまうのか、その身を持ってラーンは痛感してきた男だった。


 闊達な意見交換の場に良識は無用の長物だ。

 ただ、このことを声高に唱えると、意見を偽装して相手を誹謗中傷する輩も湧いて出てくるから困ったものだ、とは思うのだが。


「なぜそう思うね?」
「イグナーシュ領にボクらが到着して検分をはじめたとき、王家の谷が大きく抉られてクレーター状になっていたのを憶えてます? あれ、たぶん、《フォーカス》が完全に破壊されたときの現象だと思うんです」

 ジゼルは推理の地図に絵と文字を描き込んでいく。まるで女の子の落書きのようなタッチがラーンの整った筆跡の上に書き加えられていく。

「それも、どちらかと言えば対消滅的な感じ。残されていた遺跡の内部構造がもし、イグナーシュ王家に伝えられてきた秘宝:〈パラグラム〉であるなら、それと〈デクストラス〉は互いに滅しあったんじゃないか、って思うんです」

 うん、とラーンは頷く。話を促す。
 ジゼルの口調も絵柄も冗談のようだが、主張は優れた戦士階級特有の観察力と洞察力に満ちたものだ。信頼できる前衛職からの、傾聴に値する意見だとラーンは判断するのだ。


「おそらく〈デクストラス〉を弾核に、地上数百メートル以上の上空から深奥に向かって打ち込まれたんだと思います。そんなこと可能にする長射程兵器はボクの知るかぎり、アシュレの〈シヴニール〉しかない。どうやって、それだけの高度を稼いだかはわかりませんけど、共闘者が人外のものであるなら、手段はいくつかあったでしょう?」

 身振り手振りを交え語るジゼルの意見を、ラーンは紙面を見もせずにどんどん書き留めていく。ジゼルのほうもそうなのだが、描かれるのはどこか風刺がめいた人物や花柄のアイコンで要領を得ない。

「では、仮に〈デクストラス〉がすでに遺失したものだと仮定して、アシュレが追っているのは〈ハンズ・オブ・グローリー〉ということになる。そして、目撃者の証言や状況証拠から、その場には聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉の使い手がいた――これは例の夜魔の公女、シオンザフィルと目して間違いないだろう」
「それらしき人物の目撃証言も複数ありますから、まず間違いない。そして、ふたりは、共闘した。イグナーシュの惨禍を拭うために」

 なにかまずい感じに美化されたアシュレの似顔絵と、空想上の夜魔の姫がハートを描く関係線で結ばれた。

「その後、アシュレダウは聖遺物の奪還の続行を理由に、単騎で探索・追跡に赴いた」
「そして、その探索行には、カテル病院騎士団が関与していた。これも現地住民からの証言が多数あるから間違いない」

 そして、その騎士の名はあまりに有名だ。ノーマン・バージェスト・ハーヴェイ。

「だが、カテル病院騎士団側からの報告はない。
 なにかの思惑か、それともカテル病院騎士団側も事情を把握していないか。
 これは強力な札だが、切り方に注意しないと行けないカードだと、わたしは考えている」


 さて、ここから見えてくる状況はなんだい? ラーンは目だけで問う。
 ジゼルは指を振り立てながら考えつくかぎりの可能性を列挙した。

「ひとつ。アシュレダウは地元住民の証言通り、聖遺物奪取の主犯を追跡を続行中。
 主犯とは夜魔の姫:シオンザフィルとその一党。
 カテル病院騎士団は追跡に赴くアシュレを補佐するカタチで関与。
 ただし、追跡中であるとされる聖遺物のひとつは消滅していると推察され、疑念が残る」

 可能性1。人さし指を立てる。

「ひとつ。アシュレダウとシオンザフィルは共闘を経て、共犯者となる。
 その際、残された聖遺物のうちのひとつ、〈ハンズ・オブ・グローリー〉の所在、所有についてはシオンザフィルのそれを容認。
 カテル病院騎士団は、それを知らずにシオンザフィルたち一行のイダレイア半島脱出を手伝わされた」

 可能性2。中指を立てる。

「ひとつ。アシュレダウとシオンザフィルは共闘を経て、共犯者となる。
 その際、残された聖遺物のうちのひとつ、〈ハンズ・オブ・グローリー〉の所在、所有についてはシオンザフィルのそれを容認。
 ここまでは同じだけれど、カテル病院騎士団はそれを知った上で一行のイダレイア半島脱出を手助けした」

 可能性3。薬指を立てる。

「んー、あとなにかあります?」
「可能性4。最初からすべてがカテル病院騎士団によって仕組まれ、手引きされていた事件である可能性――つまり、聖遺物の奪取と聖騎士の名を貶めることで法王庁の権威失墜を狙った工作――まあ、この可能性は低いけれど」
 ラーンの発想に、ヒュー、とジゼルは小指でカウントし口笛で賛嘆を示した。

「さっすが“教授”、発想が鬼畜ぅ!」
 ふふ、とラーンは曖昧に笑い、自分のなかにあった親指の分の推論――第五の可能性を口にするのを押しとどめた。

「さて、そう考えると我々はどう動くのがベストかな?」
「アシュレがこの島に立ち寄ったこと、そして少なくともごく最近までは滞在していた(ジゼルの勘では現在も滞在している)ことは間違いないですから。ノーマンの名前を持ち出して、じかにカテル病院騎士団を問い詰めることもできますけどね?」
「その場合、可能性3と4を引き当てると目も当てられないね」
 我々の身の安全という意味で、とラーンは言った。

「なにせ、前法王の崩御と新法王誕生を報せる特使ですからねー、ボクらの建前は」
「そうでなければ、いくら法王庁とはいえ、独立自治権を持つ宗教騎士団領に事前通達もなく武装戦力は送り込めないさ。
 精鋭の《スピンドル》能力者二名、ガレーシップ三隻の人員約約七〇〇名のうち純粋な戦闘員が二〇〇とすこし、今回は漕ぎ手も罪人や奴隷ではないから、いざとなれば戦線投入できる。これは中規模な都市国家を丸々ひとつ蹂躙できるだけの戦力だよ」

「カテル病院騎士団側の身になって考えると、けっこう無茶振りですよね」
 ラーンはまるきり他人事のようなジゼルの物言いに苦笑する。

 そして、このタイミングで我々を送り込むために法王の崩御をひと月近くも隠蔽し、コンクラーベを行った法王庁の、枢機卿団の思惑――いや、枢機卿団を《そうした意志》の出所をラーンは疑い警戒しているのだ。

 もちろん、それをいまここで口にするほどラーンは若くもなく、他者を信じれるほど甘くもなかった。


「まあ、それにしても、パレードまで企画してあれだけ騒いでくれたんだ。もしアシュレ坊たちがいたなら、とっくに我々の到着を知ってしまっただろうね」

 あるいは、あのお祭り騒ぎこそ、我々を確認するための策だったのかな? 相手の思考を読み解こうとするとき、ラーンはいちばん楽しそうな顔になるのをジゼルはよく心得ていた。

 その上機嫌が、ジゼルにも感染する。


「後ろ暗いところがないのならば出てくるでしょうし、もしそうでないなら、可能性1は自動的に抹消されます。明日の会談ですこしカマをかけてみますか?」

 アシュレの首に草刈り用の大振りなサイズ――寓話に描かれる死神が掲げる巨大な鎌を描き込みながらジゼルが言った。

 アシュレとの婚約は解約されたわけでなく、むしろアシュレが今回の聖務を果たし帰還したなら、本人のあずかり知らぬところで婚礼の用意さえ進めていたという噂の令嬢は、ご丁寧に髑髏のマークを書き添えることを忘れなかった。


「わたしなら、逃げるなあ。すぐに。転移が使えるほどの高位能力者と共にあるなら、できるかぎり遠くへ――例えば、アラム領とかね?」
「転移に特有の次元壁の波紋振動痕はありませんでしたよ? まあ、ボクが遡れるのは数日前の痕跡までなんですけど」
「まだ、島内にいる可能性が極めて高い、とキミは重ねて言うんだね?」
「自分の考えを他人に言わせようとする。悪い癖ですよ“教授”?」

 それは、すまなかったよ。ジゼルの指摘にラーンは苦笑した。図星だったからだ。

「だとすると、できれば、今夜のうちにもう一手、指しておきたいね?」
「相手が水に触れていてその水がボクに繋がっているか、すくなくとも相手の近くにボクと繋がる水脈に映らなければ、いくらなんでもはっきりと感知はできませんよ?」

「《アクア・サーバント》を数体、放っておこうよ? 海に流れ込む水源を遡らせれば、当たりを引く可能性が高い」
「数体って簡単に言いますけどー、生み出すとき、けっこう消耗するんですよーアレ。壊されるとすっごい痛いしー、トラウマになるっていうかぁ」
 なにか見返りがなければ嫌だなー、と拗ねたように唇を尖らせるジゼルに、ラーンは真剣な顔になり言った。

「権力で勝っていても、ここは他人の土地だ。現実的な戦力では相手側に圧倒的な利がある。
 前線から遠のいた権力者・為政者はしばしば忘れがちだが、暴力こそは最高の権力、権力の本質だ。
 つまり、現有戦力で負けている側のわたしたちは、むやみに戦端を開くわけにはいかない。
 この状況ではキミの異能、いや、キミだけが頼りだ」


 そっとジゼルのそれに手を重ねるラーンは間違いなく“たらし”だった。

「わたしのために生み出してくれないか、って言って欲しいです」
生み出してくれるね?」

 枢機卿になるより女衒になったほうが才能を生かせたのではないかというほど見事な変わり身で、ラーンは躊躇なく言った。

 その言葉にジゼルの頬がみるみる薔薇色に染まった。こくり、と頷く。

「じゃあ、さっそく……もう一回、温泉に浸からないと……ついてきて、ボクの手を握っていてくれますよね?」
「当然じゃないか」



 仲睦まじい夫婦のように身を寄せ合うふたりだったが、《アクア・サーバント》と呼ばれるその異能は、恐るべき諜報能力を秘めたジゼルの分身を放つ、紛れもない軍事行動、強行偵察であった。

 
 











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