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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第三話・第九夜:凶手艶舞

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燦然のソウルスピナ 第三話・第九夜:凶手艶舞




         ※


 どくり、とイズマは心臓が一度、大きく脈打つのを感じていた。

 ダシュカマリエが儀式の開始を宣言したあの夜から、すでに丸三日が経っていた。

 以来、イズマは区切り区切りで、心臓が脈動するのを感じていた。イリスを再構成する儀式がはじめられ、その段階が進むごとに感じる《ちから》をだ。


 それは強大な《フォーカス》――〈コンストラクス〉の起動に、高まっていく《ちから》にイズマの肉体が呼応したに違いなかった。
 強力な異能の力を行使するための環境を《フォーカス》である〈コンストラクス〉が造営しはじめた、それが時とともに強まりつつあるのだ。


 運命や定められた未来をねじ曲げるほどの強大な力――つまり奇跡とそれを扱うための力場。
 それがなんと呼ばれるべきものなのかを、イズマは知っている。

『《閉鎖回廊》(バードケイジ)』

 人類の、そして、すべての自由意志を持つ者たちにとっての絶対敵であるオーバーロードたちがその身に纏う結界と同種のものが、いま、このカテル島を覆ったのだ。

 この《ちから》は、儀式の進行とともに徐々に増してゆくことだろう。


 その忌まわしい《ちから》に頼らなければ大切なものを守ることができない皮肉に、イズマは唇を歪めた。それは苦い笑みのカタチだった。

 危険だと知っていた。手を出してはいけないこともわかっていた。目先の問題を解決しても、けっきょくその結末に繋がっている悲劇をよりいっそう大きくしてしまっているだけなのだという確信があった。

 それはイズマの実体験からくるものだった。


 その積み重ねの結果、イズマの国は、臣民は“虚構”に喰われた。

 やつらは、とイズマは思う。《御方》どもは、殺さない。自らをすがる者も、厭う者も、そして武力を持って抗う者さえ傷つけない。

 むしろ、逆だ、とイズマはつぶやく。


 やつらは、ただひたすらに人々を《救済》しようとする。
 人々の苦しみの原因を、人知れず取り除くことによって。

 それが、恐ろしい、とイズマは思う。

 けれども、その圧倒的な力を持ってでしか、救えない命があるのだとしたら――それが自らのかけがえのない存在なのだとしたら――オレに、国ひとつをまるまるやつらに捧げてしまった愚かな王の成れの果てのオレ自身に、どうしてアシュレを止めることができただろうか。

 そんな苦い思いが込み上げてきて、イズマはスキットルに入れた強い酒をあおる。
 
 グラッパ=いわゆる粕取りブランデーは、ワインを造るときに発生する澱を転用するものだ。酒としては下手のものだと認識されている。人界のものは実際、荒っぽいものが多い。高い度数の液体が喉を焼きながら駆け降りていくのがわかる。
 だが、いまはその荒々しさが愛しい。

 凍えた肉体に燃料が注がれたようだ。イズマは太い息を吐き、煙管に火を灯した。


 火打ち石ではなく、赤燐を加工したものを細い木片の先に練りつけたものだ。
 うまく風をかわしながら一服つけると、紫煙が吹き飛ばされるように流れていった。


「あいかわらず、得体の知れないものを吸っているのだな」
 その風に乗って声すらも飛んできた。
 今夜あたり、来るだろうという予感があった。

 イズマは強風にさらされ続けたせいで、拗くれ横向きになってしまった潅木に腰かけたままその言葉の主に視線を向けた。

「風向きには留意したつもりなんだけどなあ」
「風上にいても匂ってくる。下品で、下劣――不実な、貴様の匂いだ」

「品性について弁解や否定はしないけどさ。そういうのが、スキって言ってくれるコもけっこういるんだよ?」
 親しげなイズマの口調とは正反対に、相手の言葉には切りつけるような鋭さがあった。

「たしか、キミもそうじゃなかったけ? エレ?」
 イズマの呼びかけに外套を被った人影は、低く答えた。女のものであった。

「なれなれしく愛称などで呼ぶな。貴様はすでに裏切り者であり大罪人。我がベッサリオンの一族から“神を盗んだ”男なのだからな」

 そして、向けられる視線には槍の穂先のごとき剣呑さがこもっていた。怨敵に向ける邪視にも似て、底冷えする憎悪が乗っていた。

「それにしても、ずいぶんと都合のよい再会だことだ。偶然ではあるまい」
「んー、まあ、ここ一月ばかし、ひとりの時間を持て余すことが多くってね。ぶらぶらとしてたからさ、ま、土蜘蛛の刺客があがってくるなら、このあたりだろうとヤマ張ってたんだよ。水蜘蛛の術を使っての強襲揚陸だろう、ってね。ただ、ひとりだけとは思わなかったけどねー」

「家の名誉を取り戻すには、その血族で相手を討たねばならぬ。それが掟ゆえな。それにしても、のこのことそちらから出てくるとは愚かな……憶病者の貴様らしく、どこかに隠れ潜んで震えておればよかったものを」
「あらま、むーかしの男に、つーめたいんだぁ。まー、ボクちんもさすがにキミが来るとは思ってなかったわ。いや、虚を突かれたよ」

 もう一口つけてイズマは煙草を捨てた。
 布で煙管を吹きながら懐にしまう。しまいながら言った。ところで、と明日の天気でも訊くように。


「エルマはどうしたの? あのキュートな妹君は?」
「貴様に騙されたと知った妹は、心を病んで――繭の帳の向こうに籠ってしまったよ」
「あらー、それはかわいそうに」

 イズマのまるで他人事を語るような口調にエレ、と呼ばれた女が被っていたフードを脱いだ。凍えるような月光に秀でた額が明らかになる。
 すっきりと通った美貌のなかで落ち着いた声色とは裏腹に燃えるような赤色の瞳が、らんらんと輝きイズマを睨つけていた。


 その種族的特徴からエレはイズマと同じ土蜘蛛の出自だと知れた。

「貴様の軽薄さ、あのころのままだな」
「キミはずいぶん、おっかなくなっちゃったね。むかしは生真面目だけど可愛かったのになー。とくにベッドのなかでは」

 ひ、と音がしたような気がして、イズマは瞬間的に首だけでのけ反った。ひらり、と風に流されて飛来した草が空中でふたつに裂けた。

「あぶなっ、いま、なんか投げたでしょ。うっかり、死ぬところだよ!」
「そうとも。殺しに来たのだ」

 エレは静かに言った。
 けれどもその眼光は鋭く、言葉にはどこか激高を無理やりねじ伏せたかのような響きが混じっていた。
 びゅん、とその右手がしなるように動き、先ほど宙に舞っていた葉を両断した凶器を確保した。蝶のようなカタチの小型の斧に結びつけられた蜘蛛の糸を使う――ファルファッレ(蝶々)と呼ばれる土蜘蛛独自の暗器がその正体だった。


 イズマはその静かな殺意に対してさえ、おどけたように言った。

「うわ、マジでそのためにこんなとこまで来たの? そんなの凶手の仕事でしょ? 最高司祭のキミが出向くなんてありえなくない?」
「イビサス――我らが神に使える姫巫女は、純血にして純潔でなければならない。貴様がわたしから奪ったのだ、その、地位も名誉も、純血の母たる資格もッ! 崇めるべき神すらッ!!」

 ついに激高が言葉となってエレの喉から迸り出た。唇を火傷するような熱さがその声にはあった。

「だってさ、イビサスって邪神だったじゃん? 
 受胎に耐えられなかった女は貪り食っちゃうようなヤツなんだぜ? 
 そいつらに、キミら姉妹を捧げるなんて、ボクちんにはできゃしないよ? 

 美少女は世界の宝なんだよ? 
 その至宝に瑕瑾(かきん)をつけるのは、たしかに心が痛むけど処女じゃなくなるだけで生贄の選考対象から外れるなら、いくらだって奪っちゃうさ。
 そうでしょ?
 
 生贄の姫さま救うのに勇者はイラナイ! すけこましな軽薄男で充分なんだってば!!」


「我らの誇りだけでなく――我が神までをも愚弄するとはッ、許せんッ!!」
 イズマの声にエレが布地を引き上げ口元を隠し、かわりに外套の前をはだけた。
 風が蘭にも似た薫りを運んだ。


 だが、そのあまやかな薫りとは裏腹に、ドドドッ、と重い音をさせ地面に突き立った武具の数々はあまりに剣呑な光を帯びていた。

 拗くれた刃の剣、枝分かれした鉤を持つもの、魔獣の蹴爪のごときもの。
 そのすべてをエレはまたたく間に身につけた。

 拗くれ剣(ツイステッド・ソード)。
 枝鉤(ブランチ・フック)。
 惨裂爪(グリム・クロー)。

 暗器と呼ぶよりも、それらはすべて罪人にいかに苦しみを与えてから殺すかを追及された道具に見えた。


 いや、実際のところ土蜘蛛のある一派――イビサスという古い邪神を奉じてきたエレの一族では、拷問は一種の芸術に属し、また神楽でもあったのだ。
 司祭たちはその奉納の道具を自作することからはじめる。これらの武具は、だからエレの手なるものであった。


 右手に拗くれ剣、左手に枝鉤、両脚で器用に惨裂爪を構えたエレは両腕を広げた構えを取った。

「うわっ、それ、めちゃくちゃ痛そうじゃん。痛い系のお仕置きは勘弁の方向でお願いしたいほうなんだけどなー、ボクちん」
「苦痛だけでは飽き足らん。男としての恥辱も与えてやるから、安心するがい」
「それがキミを何度も悦ばせたことある男に対する、キミらのやり方ッ?」

 イズマの言葉とともに起された下品極まるジェスチャーに、かあっ、とエレの頬が恥辱に染まった。

「まずは、その舌を切り取ってやる。死ねッ!!」
「をわー、もんどうむよー!」
 イズマの口調は相変わらずひょうげていたが、その目は笑っていなかった。

 エレが文字通り疾風となって斜面を駆け上がってきた。

 左右からの斬撃に加え、土蜘蛛特有のあの変則的な蹴り技には惨裂爪が乗っている。
 絶妙に間合いの違うそれぞれの攻撃のそのどれもが、致命的な剣呑さを秘めていた。


 拗くれ剣を手練の技でドリルのように回転させ、間合いを計らせないエレの攻撃はうっかり受け止めると大変なことになる。枝鉤の方も同様で受ければ武器を、肉体に刃先がかかれば力任せに引き切ることで、肉片を切り飛ばす最悪の武器だった。

 そして、左右の武器の脅威に注意が逸れたところに、軍鶏の蹴爪のごとき蹴り技が駆け上がってくる。たとえ刃先を防いでも鍛え上げられた体術と脚甲によって骨を割り砕かれるような痛みが走った。速いだけではない。重いのだ。

「どうした、数百年に渡って我らだけではなく土蜘蛛一族の追手を躱し続けた男なのではないのかッ? それともやはりあれか、《御方》などというインチキな神に宗旨替えなどする連中は、みな腑抜けどもであったか!」
 致命の連撃を繰り出しながら迫るエレは笑っていた。

 うわっぷ、うわっぷ、とイズマはその攻撃のいずれをも危ういところで避けた。切り飛ばされたマントの切れ端が強風に飛んで行った。

「こっ、これはっ、まさしくっ、凶手の手練技ッ! エレ、いつの間にっ」
「貴様が我らを裏切った後、わたしがどんな地獄を歩んできたか、なにも知るまいっ」

 イズマは得物を抜くことさえ許されなかった。

「ちょまっ、やつら、キミに凶手の技を仕込んだの? ねっ、ちょっと、」
 枝鉤が突き込まれてから返ってくるタイミングで手を掠め、
「そうともッ! 体術や暗器の使い方だけではない、女を武器とする方法さえなッ!」
 拗くれ剣が避けようとする間合いを狂わせ、
「かつて、とはいえ自分たちの神に仕えた高司祭をかッ! うわっ!!」
 ふたたび惨裂爪が喉元を狙って駆け上がってくる。

「勝負に負ければ踏みにじられる、そういう場所で、何年も、何十年もわたしたちは仕込まれたんだッ!!」

 かろうじて顎下から頭頂に抜ける蹴り上げを躱したイズマは殺気を読み取り、腕を十字に組んだ。そこに渾身の踵落しが激突する。めしり、と肉体が軋む音がした。
 エレは反動を使い一回転して相対した。

 イズマは苦痛に耐えるように言った。

「それって、まさかエルマ――妹ちゃんも……」
「当然だッ!!」

 がら空きになったみぞおちに、エレが蹴り込んだ。
 瞬間、伝導された《スピンドル》の律動が衝撃波のように可視化される。

《ピンホール・アントバイト》は相手の肉体そのものではなく、伝達系――生物なら神経系に作用して、その速度を鈍らせる追加効果を持つ技だ。
 長期戦や相手を殺さず無効化したい場合に多用される技だが、このような状況下ではそれは捕らえた相手を尋問・拷問にさらすための下準備と受け取れた。


 それをもろに喰らい、イズマは派手に吹き飛んだ。
 もんどりうって転がり、岩塊にぶつかって止まった。動かない。
 エレはゆっくりと間合いを詰める。詰めながら言った。

「わざと自ら飛んでダメージを軽減したか……それに、その甲冑:〈バラザール〉――古代金貨のスケイルメイル――には袋虫の呪いがかかっているはず……たいしたダメージではあるまい」
「ゆる、せねえ……美少女は……世界の宝だっつたろが」

 それがたとえ、非処女であったとしても、だ。岩塊にもたれていたイズマが呻くように言った。なんだと、とエレが嘲笑した。

「いまさら、そんなことか。元はといえば、貴様がわたしたちに吹き込んだデタラメのおかげでこうなったんだ」
「だから……自分で……自分が……ゆるせねえ」

 ズルズル、と音を立ててイズマが立ち上がった。うつむいていた瞳が、天を向いた。
 そして、叫んだ。

「エレのスレンダー極上ボディも、それにしてはサプライズなおっぱいも、意外に未発達なあれとかなにとか、じつはすっごく恥ずかしのそことか、エルマのちっぱいや窪んだおへそや、可愛い唇に脇下、膝裏とかもッ、ぜんぶ、ぜんぶッ! ボクちんだけのモンだったのにーッ!!!」

 聞いたエレが思わず息を呑むような叫びだった。
 吹きつける強風を圧して、それは響き渡った。エコーがかかっていた。たぶん、頭蓋に反響したのだ。


 数秒、総毛立ちしてエレは硬直した。

 それから、逆上して切りかかった。イズマのそれが挑発なのだとしたら、冷酷無比の凶手を逆上させるのだからまったく見事としか言いようがないものだった。

「だっ、だれがッ、貴様のものかーッ!!!」
 この真性下劣変質者めッ!!! エレの怒りはもっともだった。

 だが、それはイズマが張り巡らせた罠のトリガーに過ぎなかった。
 イズマはエレの蹴りを喰らい、わざとここへ吹き飛んだのだ。


「だから、キミが誰のものか、もっかい教えてあげる」
 ぎらり、とイズマの瞳が光を帯びた。襲いかかるエレを見ようともせず、腕を横に振り抜き、どんッ、と足元を蹴った。

 次の瞬間、漆黒の奔流がエレの肉体を飲み込んだ。
 突然、重油が地面から間欠泉のごとく吹いたようにエレには見えたろう。


「な、なんだッ、これはッ」
「《アビサルトーク・ウィズ・テンタクルス》。そのアレンジのうちのひとつさ。相手を攻撃するためではなく、無力化するのに特化させた、ね」
 地面から噴き上がった漆黒の奔流は間欠泉ではなく、異形の怪物の一部だった。

「いやー、こいつを呼び出す回路を島中に巡らすのに、どんだけ投資したか。時間も資材もさー。丸一月だよ? いろいろ歩き回ってさ。ま、事後承諾的になっちゃたけど、島の所有者にも承諾もらったしよかったでしょ?」

 イズマが後ろ暗い笑いを浮かべて言った。イズマがダシュカに許可をとったのは、儀式直前だ。事後承諾にもほどがあった。

 漆黒の触手がエレの肉体を搦め捕り、手足を縛りつけていた。満身の力を込めてもぴくりとも動かぬほどに。

「地底の、もっとずっと深ーいところに住んでるバケモノの腕だよ。ボクらの力じゃどうにもできないって。オウガや巨人族さえ地に這わせるほどの力があるんだから」
 イズマは言いながらエレを見上げた。

「悪いけど、物騒なものはナイナイさせてもらうよ」
 きりっと触手が手首と足首をひねり、エレを武装解除した。ぞるっ、と得体の知れぬバケモノの触手がうごめき、エレは上げそうになった声を噛み殺した。

「これで、やっと話せるね」
 エレの口元を覆っていた布地をイズマが下げた瞬間だった。
 ブッ、とその口元から閃光が走った。

「含み針ね……わかります」
 目を狙って放たれたそれを、イズマは指先でつまんで捕らえていた。
「うっほ、腐敗毒山盛り」

 イズマが指を鳴らすと、バケモノの黒い触手がエレの口中の仕込み筒をこじり開けるように取り出し、そのまま居座った。

「舌噛まれるのヤだからね」
 それ以上の意味はありませんよー。
 誰に対してなのだろうか、言い訳じみてイズマは言った。


 一見、軟質に思える触手は恐るべき膂力でエレを中空に捕縛していた。
 その外套が風を孕んで鳴く。


「イグナーシュでは派手に転げ回ったり、地脈誘導系の異能――《クローリング・インフェルノ》――を使ったりしてこれ見よがしに痕跡は残しといたし、トラッキング技能への適性とこれまでの対応を考えれば、どーせ追いついてくるのは土蜘蛛の連中が最初だろうね、とは思っていたけどさ……」
 イズマはため息をついて言った。

「まさか、キミを送り込んでくるとはなー。正直、けっこうショックだったよ」
 バロック様式の石柱さながら漆黒の触手に捕らえられ吊るされたエレに、イズマは語りかけた。口調は相変わらず飄々としていたが、その声には明らかな陰りがあった。

「同族で相食むなんて……悲しい、悲しいねえ」
 イズマはこの数百年の間で、数え切れぬほど土蜘蛛の刺客を退けてきた。シオンとともに相対したこともあるが、それは氷山の一角に過ぎない。
 シオンの知らぬまに、何十何百という暗殺者を屠ってきた。
 土蜘蛛同士の戦いは、基本的に暗闘だったからだ。


 イズマの手は血塗れだった。同胞の流した血で。

「ボクちんはただ、この《世界》の謎を解きたいだけなんだ。巨大な《願望機》に類する《フォーカス》が世界中に残されている理由。旧世界の人々が、どうしてそれほどまでに一足飛びに“理想”を実現しようと考えたのか。

 なにが《ねがい》というカタチのない概念に、その実現を可能とする根拠を与えているのか。なにがヒトをオーバーロードに堕とすのか。

 そして《御方》たちがどこから来て、だれによって生み出されたものなのか。

 それらを調べ上げ、責任を果たしたいだけなんだよ――エレ。黙って行かせてはくれないかな……キミを傷つけたくない」


 イズマはエレを見上げて言った。ほとんど独白のように。
 エレが唸った。喋ろうとしたのだ。イズマは指を鳴らし、エレの舌を自由にした。
 べっ、と唾を吐き、舌の自由を取り戻したエレは同じように吐き捨てた。

「都合のいいことだ……イズマガルム。

 それが、貴様が王としての責務を放棄した理由か? 
 《御方》を崇拝する風潮こそ、貴様が広めたものではないか。
 そのせいで、我らが神:イビサスは辺境の神に貶められた。

 それなのに、貴様は《御方》信奉派を見限り、国を捨てた。

 自ら死を装い、塚に籠ったのではないか! 
 土蜘蛛の力が、そのあいだにどれほど弱まったか、知らぬとは言わせんぞ! 

 いまや《御方》を奉じる連中の堕落がどれほど極まっているか、知らぬとは言わせんぞ! 
 それなのに貴様は柩のなかで惰眠を貪り、ほとぼりがさめたところで墓穴から抜け出した!」


 火を噴くようなエレのセリフだった。

「そして、今度は身分も、名も装って我らが教団に取り入った。
 イビサスに仕える巫女であったわたしと妹をたぶらかし、さらには神そのものを盗み出したッ!! 呪われろッ、貴様は我らが土蜘蛛の血に呪われろッ!!」


 頭上から降る罵声をイズマは黙って受け止めた。
 雲間から月光が降り、エレの背後からイズマの顔を半分だけ照らした。

 エレのものよりなお濃い血の色をした瞳にその月が映っていた。

「ずいぶんと調べたんだねえ、ボクのこと――謝って許されることではないし、言い訳もしない。必要だった。だからそうした。だけど……ひとつだけ後悔していることがある。それは……エレ、キミとエルマだけは、やっぱり連れて逃げるべきだった。あのとき、ボクを逃がすために残ると言ってくれたキミたちだけは……」
「いまさら、そんな告白が何になるッ!!」

 エレの声に小さな動揺があるように思えたのは、たぶん強い風のせいだったろう。
 そうだね、とイズマは笑った。薄っぺらい、厚みのない作り笑いだった。

「時は待たない。そして、還らない。

 ボクはキミたちの怨敵となり、キミたち姉妹はその追討者となった――しかたないことか。そうだね、ボクも思い出に囚われるのはよそう」

 言いながらイズマは長い針を懐から取り出した。これがなにか、わかるよね、と。

「〈傀儡針〉:〈コクルビラー〉――」
 エレの表情が強ばった。

「キミも土蜘蛛の凶手なら、覚悟はしてきたんだろ? 
 殺すことより生かして捕らえること、そして生きていることを後悔するほど苛むこと。それを神楽として神に奉じてきた一族の末裔だもの。
 これをあまり使ったことはないんだけれども――いや、ちょうど使える手駒が欲しくってねえ」


 いままでの旅のなかで、今回みたいな拠点防衛ってシチュエーション珍しかったから、あんまり試さずに済んでたんだけど。

「ゴメンね。そのかわり、こんどは死ぬまで愛してあげる。もう、絶対離さないよ? 安心していい、〈傀儡針〉:〈コクルビラー〉は肉体を縛るだけで心までは縛れないから――憎むこと、恨む自由までは奪わない」

 髪の毛よりなお細い〈傀儡針〉は土蜘蛛に伝えられた消費型の呪具である。
 犠牲者の中枢神経に打ち込み《スピンドル》の導体として使うことで相手の身体を操る。
 通常は単純な命令を一回強制するだけで融解し、消滅する。
 含み針として戦闘時に使われることもある。


 だが、イズマのそれは、それら消耗品の〈傀儡針〉、そのオリジナルのうちの一本であったのだ。《フォーカス》であるそれを打ち込まれたなら、それが抜かれるまで一生、相手を下僕として行使することができる恐ろしい呪具であった。

 ぶるりっ、とエレは震えた。

 イズマの、そのあまりに薄っぺらい謝罪の言葉に、凶手として感情の殺し方を徹底して仕込まれたはずの自分が恐怖していることに震えた。その軽薄さは、イズマの心の摩滅の現われだった。何百年もの間、同胞を手にかけ続けてきた男にとって、かつて情を注いだ女ですら手駒の、傀儡の材料でしかないのだと、そうすることになんの感慨もないのだと知って。

 いや、本当は違ったのだ。
 イズマが言った「死ぬまで愛してやる」という言葉にきゅう、と甘く胸を締めつけられてしまったことに。

 その間にイズマはエレの胸郭に針をあてがった。

 そして、そのままエレの胸に顔を埋めるようにして、頽れた。受け止める手はなく、エレの肢体をなぞって、くずおれ地面に横臥する。


「な、んだ、これ」
「ようやく効いてくれたか。どれほど鈍感なのかと心配したぞ」
「効いて?」
 エレが憐れむように笑った。背後に月が見えた。雲は無慈悲に流れていく。

「外套を開いた瞬間、蘭のような甘い香りがしただろう? 痺れ毒さ」
 拠点防衛を行う側が、その準備を抜かりなく行っていることなど、わかりきったことだからな。こちらだって考えるさ。エレは言った。

「あ、あらー、古典的ー」
「だからこそ、それはないと思う。そこに仕掛ける余地が生じる。虚々実々とは、つまりそういうことだ」
「外套空ける前に口元覆ったのはだからかー」
「どうだ、虫けらみたいに這いつくばる気分は」
「いーアングルなんだけどねー、エレがスカートならー」
「減らず口を。だが、これで勝負あったな」
「いやいや、その《アビサルトーク・ウィズ・テンタクルス》は持続力が長いし、いくらエレが使い手でも、ボクちんの異能はひとりじゃ簡単には解除できないからー、ほら、おあいこのお見合い状態かなー?」

 そして、ここがこちら側の拠点である以上、時間はボクちんに味方するわけでー。毒のせいだろう、腹話術めいた平坦な声でイズマは言った。

「あれだけたっぷりと吸い込んでおいて、まだ喋れるとはおかしな特技だけは相変わらず得意だな……だが、だれがひとりだと言った?」
 グゥン、と近くで《スピンドル》の唸る音がした。

「へっ?」
 自分は幻覚でも視ているのか、とイズマは思った。

 強風にはためく外套の奥から、ざわざわと音が聞こえた。

 それは最初、風になびく草が擦れる音のようだった。だが、やがてイズマにはその正体がわかった。それは外套の奥から、なにかが実体化しようとする音だった。たとえるなら、糸や髪の毛が絡まりながらカタチを得ようともがくような……音。


「まさか」
「そうとも、イズマ……わたしとエルマが『別々に』などということが、あるわけなかろう? 姉妹揃って同じ男に恋をしたのだ。

 殺すときも――いっしょさ」


 ひたり、とイズマは頬に冷たい掌があてがわれるのを感じた。
 姉とは違う灰褐色の肌。
 白の巫女と呼ばれたエレヒメラの妹にして、黒の巫女:エルマメイム――その右手。


 エレの外套の奥からまるでタペストリーのようにエルマが『編まれていく』さまを、イズマは見た。忘れようもない裸身、姉よりも小柄で華奢で、内気な少女だった。

「ああ、この温もり、感触、匂い――忘れられない、忘れない、忘れるものですか――わたしの、わたしたちのはじめてのひと――イズマガルム」

 その声は、この世ではない場所から響いているのではないか、とイズマには思えた。

「愛しています、愛していました、だから、愛します、愛せるカタチにします、永遠に、離れ離れにならないように、できないように、結わえて、結んで、縛りつけるますです」



 アアアアアアアアア――、とその編まれつつある娘は謳うのだ。


















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