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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第二話:第二十二夜・エピローグ、あるいは回顧録2(あるいは、騎士の帰還)

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燦然のソウルスピナ 第二話:第二十二夜・エピローグ、あるいは回顧録2(あるいは、騎士の帰還)



 自分自身の容態についても聞きたかったのだが、そんな雰囲気ではなくなってしまった。それでも一応、尋ねてはみたのだがイズマは曖昧な返事を返しただけだった。いわく、
「なんか、それについては姫が自分で説明するからって固く約束させられちゃっててさ」
 とのことだった。

 シオンの名を聞いて、アシュレは愛しさが募るのを覚えた。

 そういえば、目覚めてからまだ一度も会っていない。
 ずっと近くに感じていたのに。
 いや、近くに感じすぎるせいだ。まるで自分の一部に彼女がなってしまっているかのようだ。ことシオンに関することだけなら奇妙な安堵、安心が胸中にあった。


 これが信頼というやつかな、とアシュレは笑った。

 シオンを探しに行く、とイリスに言うと、挙動不審にイリスはなった。

  一緒にいこう、と誘ったのに断られた。
 自分の寝ている間に本妻争奪戦などという恐ろしい闘争が繰り広げられたのではないのか、と想像をたくましくしてしまったが、イリスの態度からはそういう敵愾心は一切感じ取れなかった。
 むしろ、シオンを案じる、思いやるような言動だった。


 そこで初めてアシュレは不安を覚えた。

 一日中、シオンを探して彷徨った。
 食事を忘れ、勝手のわからぬカテル島の方々を歩き回った。もっとも、施療院とそこに付随する教会、宿坊とその庭、あとは裏側の山くらいしか外出できなかったが。


 ときどき動悸がして、眩暈がした。当然だ。本調子ではないのだ。
 それでもアシュレは探すのをやめなかった。借りたままだったゲッコーブーツが役に立った。いや、壁面を歩く、という意味ではない。純粋に歩きやすかった。


 とうとう、夜になってしまった。

 気をつかってもらったのだろう、イリスもイズマも、アシュレを夕食の時刻になっても呼びに来なかった。

 どこをどう歩いたのか、気がつくと山の尾根に出てきてしまっていた。
 夢中で千メートル近く登ってしまっていたのだ。そこは月台(うてな)のようになった場所で、実際、星を観測するのに使うのかもしれなかった。 


 うっすらとかいてしまった汗に、秋の風がしみた。沈みかけた猫の目のような半分の月がアシュレを見ていた。

 と、アシュレはそこに影を見た気がした。それから、その物体が飛びついてきた。
 ヒラリだった。

 ぺた、とそれは身を合わせアシュレの体温を慈しむかのように味わった。
 首筋の白い柔毛(にこげ)、なにより全身から発される気品とバラの香りは間違いようがなかった。


 アシュレは胸にとまったコウモリを撫でた。さすった。なんども、やさしく。
 ヒラリが無事なのなら、シオンが無事であることは間違いなかった。
 安堵と同時に、たまらない切なさに襲われた。


 だったら、どうして会いに来てくれないのか。

 顔が見たかった。声が聞きたかった。抱きしめて、体温を確認したかった。

 会いたいよ、とつぶやいた。記憶のなかの彼女をなぞるように、指がヒラリの首筋を撫でていることをアシュレは自覚しなかった。

 ちいさな悲鳴があがったのは、そのときだ。

 背後だった。近くだった。振り返ろうとしたが、そのまえに体当たりをくらった。

「くくく、首筋は特に敏感だと、言ったであろうが、この大馬鹿者!」

 いきなり罵られた、顔も見ずに。
 うれしさと突発的な怒りでアシュレは混乱した。
 爆発するみたいに感情が湧いたのだ。血が沸騰するような感覚を味わった。背中に体温があった。風がバラの香りを運んだ。シオンだった。


「く、これでは綿密な計画が台無しではないかっ、ヒラリめっ」
 声しか聞こえないシオンは、ヒラリに八つ当たりした。

 かちん、とアシュレは来た。お門違いの怒りだ。こしこし、と怯えてちいさくなってしまったヒラリの首を撫でてやった。さっきよりすこし強く、長く。


「んんッ~~~~~~~~~‼」

  必死に声を押し殺した悲鳴をアシュレは無視した。
 指の腹で喉の下を撫でてやるとヒラリは身の強張りを解いて恍惚とした表情になる。
 
 五秒、十秒、三十秒、悲鳴は続いていたがアシュレはやめなかった。
 がくがくがく、とシオンが脚に来ているのを知ったが、それでもやめなかった。
 謝ればすぐにでもやめるつもりだったのだが、謝罪の言葉はなかった。さんざん探し回ったのに出てきてくれなかったことへの怒りも相乗した。

 シオンはもうアシュレに全体重を預けなければ立っていられない様子だった。それなのに降参しなかった。強情な姫だな、とアシュレは思った。

 しかたなく振り返って抱きしめようとした瞬間だった。

「ダメだ、まだ、ダメだッ!」

 拒否された。何か言う間もなく、指を絡められた。細い指、小さな手だった。自分の傷だらけの指とはまるでちがう、剥き身のゆで卵に触れているような感触だった。

「せ、説明を――釈明をさせてくれ」

  シオンは背中合わせになった。アシュレは無言で従った。
 シオンはフラフラで、ときおり膝が抜けそうになるのがわかった。

 アシュレは罪悪感に襲われた。いくらなんでも意地悪をしすぎた。
 抱き上げて楽な姿勢にしてやりたかった。せめて、どこかに腰かければと思ったが、どうしてもシオンはこの姿勢にこだわりがあるらしかった。

 きちんと、筋を正すまでは腰を降ろし、面とむかえないのだというシオンの心が伝わってきた。


「そなた――元気か?」
 とぎれとぎれにシオンが訊いた。荒い呼吸が妙に艶っぽくてアシュレは掌に汗をかいた。

「おかげさまで、傷だらけだけど、生きてるし、五体も満足だよ。朝までミイラ男みたいになってたけど、いまじゃノーマンのほうがひどいくらい」
「――そうではない」

 アシュレの受け答えをシオンは頭から否定した。

「そなたは死んでいた。いや、一度、死んだ。五体も満足ではなかった。〈シヴニール〉からのエネルギー逆流導線になった右腕は表面が炭化していた。竜皮の籠手:〈ガラング・ダーラ〉がなければ、肩まで消し飛んでいただろう。肺と心臓が破裂、肋骨は外開きになって爆発していたし、神経網は衝撃でズタズタだった」

 え、とアシュレは耳を疑った。それは重傷と言うレベルではない。シオンが言った通り即死級の負傷だ。いくら《スピンドル》が運命を変えうる力だといっても、通常の技の範疇ではその傷は癒せない。巨大な代償が必要となる。
 たとえば、治療者の命そのものだ。


「どういうこと」
「言った通りだよ、アシュレ。そなたは一度、死んだのだ」
「生きてるよ」

 ぶるぶる、とシオンの手が強張りに震えているのをアシュレは感じた。
 いや、震えているのは手だけではない。全身だった。


「繋ぎ止めた者がおるからに、決まっておろう!」
「奇蹟、だね」

 なるべく軽く言ったつもりだった。だが、だめだった。イズマのようにうまくやれない自分が情けなくてアシュレは涙が出た。

「奇蹟ではない。外法だッ」
「……たとえ外法でも、支払う代償にかわりはない。ボクは感謝するよ。その代償を支払ってまで、外法に身を染めてまでボクを助けてくれたヒトに」
「たとえ、人外と成り果てたとてか」
「……だれかな、シオン、知っているなら教えてほしい。そのヒトに、お礼が言いたいんだ」

 ぱたたた、と液体が石畳をたたく音がした。シオンの涙が落ちた音だった。それは止むことがなかった。

「バカがッ、そのような、ヒトを人外のモノに作り替えるような外法を知る者が、この世においそれとおる訳なかろうがッ! ましてやそれを使いこなし、実現する者などなおのことよッ!」
 はっ、はっ、と荒い吐息をアシュレは背後に聞いた。ましてや、ましてや、そなたの仲間のなかに、そのような外道は、おってはならぬはずだ。慟哭してシオンが言った。

「だれがおる。ほかにだれがッ、夜魔の姫・シオンザフィルを除いて、だれがそれを成し遂げうると思うのかッ」
 そなたを、そなたを、バケモノに。そこまで告げてシオンは必死で泣き声を噛み殺した。そんなことで許されてはならないと。涙で許されてはならないのだと。

 反対に、アシュレは冷静だった。自分でも驚くほどだった。

「じゃあ、ボクはいま、夜魔? キミの眷族かい?」
「いや――そうではない。もっと、悪いかも、だ」
「シオン、これは純粋な知的好奇心からなんだ。教えてくれ、それほどの損傷を負ったボクの身体を、夜魔にすることなく、どうやって再生させた? どうやってボクの命を繋ぎとめた?」

 アシュレは自らの裸身に縦に走る傷跡を意識した。これほど大きな切開痕、縫合痕を見たことがなかった。だが、一度死んだ身であるというのならば納得だった。

 言い淀むシオンの気配が手に取るように判った。
 震える唇の奥で奥歯が鳴っていた。限界だった。アシュレは強引に振り返った。
 つられて倒れ込みそうになったシオンを抱きとめた。
 背中を押されるように、シオンが言った。
 アシュレの胸に顔を埋めて。


「わ、わたしの臓腑を注いだ。そなたの失われた心臓を、わたしのもので補った。肺腑も。血も」
「それじゃ、キミが」

  アシュレは青くなった。つまりアシュレは現在、人間と夜魔のハイブリッド、合成人間ということになる。どうしてそれが可能だったかはわからない。わからないがアシュレは現に生きている。つまり、現実だ。

 それはいい。

 だが、臓器を提供してくれたシオンはどうなるのだ? 
 自分のためにシオンが命を投げ出してしまったのだとしたら、それこそアシュレは悔やんでも悔やみ切れなかっただろう。

 それなのに、シオンはいる。 いま目の前に、こうして。


「な、なぜか、生き恥をさらしておる」
 イズマが言うには、鏡面二重体だというのだ。臓器の一部を共有して存在する生き物だと。だから、そのいまのわたしには、心臓がないらしい。

「耳を当てると鼓動は聞こえるのだが。この心音はアシュレ、そなたのものと完全に同じなのだ」

 異能の奥義に、完全な別体を生み出す技があってな。たぶん、その応用なのではないか、と言うのだが。時空間がねじ曲げっているらしいな。

「つまり、われわれは別人の別体、別心にして、同一の生を生きる者となったのだ」

 わたしの完全な死は、そなたの死に、そなたの死は――どうなるか、わからない。
 あるいは、そういうことが起こりうるかもしれぬ、とイズマが言っていた。
 もっとも、そなたの胸から心臓を取り出せば、わたしは確実に助かるらしいが。


「許せとは言わぬ……ただ、ただ、生きてくれ。ほかには、なにも望まぬ」

 愛してもらえなくてもよい。蔑視されてもかまわない。疎まれても当然だ。
 涙を堪え、アシュレを見つめて懇願するシオンの装いに、アシュレはこのとき初めて気がついた。

 いつもは頭頂にまとめられている長い黒髪が下ろされていた。
 王冠はなく、ラインはシンプルだが手の込んだレース折りの白衣をまとっていた。
 肩も脚も剥き出しで無防備だった。
 首筋に巻かれたチョーカーだけが唯一のアクセサリーだった。葡萄の蔓が刺繍された瀟洒な品だった。


「すごく似合ってるよ」

 抱き寄せてアシュレは言った。

 月が雲に陰った。でも、ボク以外の男に見られたくない。見せたくない。こんなに独占欲が強い男だとは思わなかったよ。恥ずかしい。

 あ、あ、とシオンが震えた。
 アシュレがなにも言わず、すべてを甘受したからだ。堪えられなくなってシオンが泣いた。


「どうしていいかわからなくて、どうやってあやまればいいのか、わからなくて、なにでつぐなったらいいのかわからなくて――」
 震えながら、歯の根を鳴らしながら言うシオンの独白をアシュレは黙って受け止めた。

「かわりになにをさしあげたらいいのか、だって、わたしはもう、ぜんぶ、なにもかも、アシュレのものなのに――イリスが、どんなに苦しかったのかやっとわかって――それで、それで、もう、これしか、なくて」
 これ? アシュレは少女のように泣きじゃくるシオンの涙を唇ですくい取りながら聞いた。それから気がついた。
 チョーカーの意味に。これは装飾品ではない。プレゼントにかけられたリボンだ。


「夜魔の婚姻は、互いの首筋の血を確かめあうことで結ばれる。ほとんど絶えてしまった古式な風習だが……」
 最古の血に連なる夜魔の姫は、その伝統を継承する者だった。

「その血を飲む者は相手の夢を体験することができる。互いが互いの所有者となることができる。その血に溶けた記憶までも」

 相手の記憶を覗くという、あまりに残酷・淫靡な儀式ゆえに廃れゆくのは当然だと思っていた。あまりにヒトをヒトと思わぬ所業ゆえに、廃れゆくのは当然だと思っていた。

「だが……そうではなかったのだな」
 さしあげてもよい、いや、さしあげたいと思えるほどの相手に出会えなかっただけなのだ。先代の王族たちは。
 だから、廃れたのだ。

「受けて、いただけるだろうか」
 震える指がアシュレのそれを首筋へ導いた。

「条件がある」
 アシュレはそのチョーカーの肌触りを確かめながら言った。シオンはじっと待った。
「ボクのそれも、受けてほしい」

 シオンはこぼれてしまうのではないかというほど、瞳を大きく見開いた。それから誓いを立てた。

「いずれか灰に還る、その日まで」
 汝のかたわらに。互いに。最期まで。


         ※


「ずいぶんとまあ、世話の焼き甲斐のある姿になったものだ」

  長椅子に腰を下ろしたノーマンの表情は火傷のあとのせいで読みにくい。

 油断すると右目から意識せぬ涙が垂れてしまう。
 これでもだいぶ症状は改善されたのだ。

 フラーマの漂流寺院を抜け出したときは満身創痍、
 右目は目玉焼きのように焼けて、表面が白濁していた。イズマとイリスの適切な治療がなければ失明どころか眼球ごと失っていただろう傷だった。


 備えつけのキッチンで茶を準備している女性はだれあろう仕えるべき相手、カテル島大司教位:ダシュカマリエだ。
 ちなみにその姿をノーマンは直視できない。丈の短いワンピースを部屋着にするダシュカマリエが背伸びして茶葉を選んでいるのだが、おかげで三十前とはとても思えない美脚が眩しすぎる。目の毒だ。朴念仁とはいえ、男であることにはかわりない。性欲だって当然ある。


「大司教猊下、その……」
「あー、ちょっとまってくれ、たしか、このあたりに……いかんな、独り住まいだと好き勝手にモノを積んでしまって……うわっ」

 ぐらり、と傾いだ薬瓶が、隣りの大物を動かしてしまった。

 足場の台座がバランスを失い、ダシュカマリエは転倒する。その上部から薬草の詰められた重いガラス瓶が落ちかかる。頭部への直撃コース。危険だった。


 ごう、と身体が反応した。完全な反射。考えている暇などなかった。鍛練を積み重ねた肉体が雷光の速度でダシュカマリエと薬瓶の間に割って入った。かわりに薬瓶がノーマンをしたたかに打つ。場合によっては、割れて――。

 ダシュカマリエは奇蹟を見ていた。

 ノーマンの背が、薬瓶を受け止めていた。
 正確にはコントロールされた背筋とそこに撓められた《スピンドル》エネルギーが羽毛のように薬瓶を受け止めてい た。それから、ダシュカマリエ自身も。ふわり、とそこに不可視のクッションがあてがわれたかのようにゆっくりと着地した。


「ご無事で? 大司教猊下」
 当然のことのように訊くノーマンに、ダシュカマリエは動悸した。銀の仮面が頬まで覆ってくれていることをありがたく思った。小娘みたいに赤面しているのを見られたくなかった。

「礼を言うぞ。我が騎士、ノーマン」
「薬瓶を」

  言われるまでもない。ダシュカマリエは大ぶりな薬瓶を抱えた。

 薬瓶はノーマンには正確には触れてさえいなかった。
 ダシュカマリエはその包帯だらけの肉体 が、これまでどれほどヒトを庇った傷で痛めつけられてきたのかを知っている。

 おそらくノーマンはそうやって、ヒトを庇ううちに死ぬのだろう。騎士としては本望かもしれない。まるで英雄譚に出てくる理想の騎士たちのように。男たちはそれで満足かもしれないが、残された女たちの悲哀とその後について英雄譚は書き記さない。


 愛する男の死を乗り越えていける女ばかりだとでも思うのか。

 ノーマンがヒトを庇わなくともすむような世界を作らねばならない、とダシュカマリエは思う。

「戻されないので?」

 ダシュカマリエの胸中など思いも知らぬのだろう、ノーマンが訊いた。
 朴念仁め、とダシュカマリエは眉を吊り上げる。こちらも表情は見えない。目元がきつくなったのが判るくらいだ。


「戻すさ。ただ……ちょっと、恐いな。さっきの、いまだろう? やはり踵が高い靴は恐い」

  ダシュカマリエは足下を指した。
 女性としては長身で、威風堂々たる美丈夫という印象を周囲に与えがちなダシュカマリエだが、実際はそうでないことを側近たちだけが知っている。

 あの大司教としてのダシュカマリエは、胸はともかく、平均以下の背丈を踵の高い靴で押し上げ、指導者としての威厳を保つべく、姿勢も 話し方も涙ぐましい訓練を繰り返して成り立っているものなのだということを。


 瓶を抱え、倒れてしまった台座と見比べながらダシュカマリエは言った。

 もし、腕があるのなら、ノーマンはなにも言わずそれをもとの位置へ返したことだろう。

 だがいまや、ノーマンの両腕には義手はない。基部である接合部と骨のようなシャフトが覗くのみ。

 聖遺物:〈アーマーン〉 はその強大すぎる破壊力のため、戦時や聖務以外では礼拝堂の奥に封じられているのが常だった。大司教と騎士団長の両方の承認を持ってしか開けない隔壁がそれを守っている。それに、火傷の治療にも義手は邪魔だった。


「肩をお貸ししましょう」
 ノーマンが跪き、半ばまでしかない左腕を広げて見せた。こ、これは……騎士に跪かれた姫君のようにダシュカマリエは動揺した。こ、腰かけろということか?

「こ、これでいいか?」
「しっかり掴まって。わたしの頭を抱いて」

 立ちますよ、とノーマンは言い、ダシュカマリエを肩口に乗せたままリフトした。

「ノーマン! 傷に障る!」
「平気です。猊下がケガをするよりずっと平気です」

 また、当然だという口調で言うものだから、ダシュカマリエの胸は痛むのだ。
 ノーマンの肩から見る風景は同じ自室のものとは思えないほど変わって見えた。

「すごいな、視点が変わっただけで別の部屋のようだ。ひとりではできないことも、ふたりならできるということか」
 きっと世界もそうであろうな、とダシュカマリエはつぶやいた。薬瓶を戻し、目当ての茶葉を探し当て降りた。茶を点て、ノーマンを労った。

「まずは……これは公式の場でも言ったが……聖務遂行ご苦労だった」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「ただ、わたしとの約束を違えたな」
「? 生きては帰りましたが?」
「無事に! 無事に帰れ、と言ったのだ。こんなミイラ男になってしまいおって!」

 あー、とノーマンは思い返した。
 たしかにそうであったかもしれない。茶を飲んで場を濁したかったが、いまのノーマンには両腕がない。


 すると思考を先回りしたようにダシュカマリエがティーカップを取った。そう言えば、カップが一組しかないのだが? それからダシュカマリエは自らの口もとにそれを運んだ。微妙な嫌がらせを受けている気分にノーマンはなった。

「うむ、いいだろう。ほんとうは熱いのが身上の茶なのだが、それでは飲めまい」

 は? と思う間もなくカップが差し出された。ダシュカマリエが身を寄せる。これは、とノーマンが横目になって訊いた。

「飲ませてやる、と言っているのだ」
 いや、それは、とノーマンは硬直した。

「なんだ、まさか、いやなのか?」
 傷ついた様子でダシュカマリエが言い、いえ、そうではなく、とノーマンは汗をかいた。
「ならば遠慮はいらん。飲め」

 これまで体験したことのない種類の緊張にノーマンは戸惑った。
 うまいか、と訊かれた。味など判らなかったが、けっこうなお点前で、と返しておいた。

 ふうむ、とダシュカマリエは鼻を鳴らした。同じ器から茶を飲んだ。

「おまえとは、やはりもう少しわかりあわねばならんな」
 そう感想した。なぜだかノーマンは胸騒ぎを覚えた。ダシュカマリエの瞳が悪戯っぽく微笑んだからだ。

「戻ってからさっそくだが、ノーマンよ、働いてもらうぞ」

 一瞬にして冷徹な大司教の顔に戻ってダシュカマリエが言った。ノーマンはダシュカマリエに向き直った。

「聖務を与える」
「なんなりと」
 通常考えれば、ありえないオーダーだったが、聖職者には上位者への服従の義務があった。

「越してこい」
「は?」
 言われたことの意味がわからず、ノーマンは混乱した。なんですと? もう一回お願いします、と訊いた。

「越してこい、と言ったのだ。ここにな」

 三度は言わぬぞ。それとも命令されるのが好きなのか? ならば、もう一度言おうか、とダシュカマリエは冷然と言い放った。

「わたしの介抱を受けよ、と言ったのだ。手なし、腕なしでは日々の生活も困るであろう」
「あ、いえ、施療院では充分な治療と、手厚い看護を受けて……」
「カテル病院騎士団の筆頭騎士を支えるには不十分だと我、大司教:ダシュカマリエ・ヤジェスが判断した、と言っている」

「うへえ」

 思わずおかしな声が出た。イズマの癖が移ったのだ。なんだ、不満か、とダシュカマリエが言った。

「加えて、今後わたしのことはダシュカ、と呼び捨てるように。統率に問題があるようなら、ふたりだけのとき限定でよい」
 不満そうだな、とダシュカは言った。いや、あの、これはいったいどういう任務で? ノーマンは挙動不審になった。

「二十四時間、つきっきりでわたしの身辺警護をしてほしい、という要請だ。お願い、といってもいい」
 さっきのようなこともある。ダシュカは胸元に手を当てて言った。

「その代償に、わたしはおまえの不便をすべて引き受ける。あらゆる要求に献身的に応えると誓おう」
 不満があるなら言ってくれ。献身の意味はわかるであろう、とダシュカの目が言外に言っていた。

「それとも、あの一夜は……あれか……遊びであったか?」

 酒がほしい、とノーマンは思った。前後不覚になりたかった。それは聖務に赴く前のこと、半年前の出来事だ。あの日も半ば、謀のようにノーマンはダシュカマリエの自室に捕まっていた。

 だが、悪戯っぽく笑うダシュカマリエが継いだ言葉に、その思いは吹き飛ばされた。


「聖騎士・アシュレダウを匿ったこと、また人類の仇敵とも言える二種族の王を迎えたこと、なにより降臨王の孫娘とその腹に宿った運命の子を得たことで、おそら くわたしやわたしを含むカテル病院騎士団は、これまでの歴史上最大の岐路に立つことになるだろう。かつてハイア・イレムでの拠点を失い、流浪の騎士団となったあの頃よりも、はるかに」 

 わたしはそう遠からず、防諜や陰謀や暗殺の対象となる。


「そのとき、我がかたわらに、おまえにいてほしいのだ。もし、志途中で果てたとしても、それなら迷わず逝けるだろうから」

 そう言うダシュカマリエの口調は先ほどまでとは、冷静さは同じでも、込められた熱量がまったく違っていた。

「おまえの命をわたしにくれ」
 そのかわり、わたしのすべてをさしあげる。
「我らカテル病院騎士団が密かに願い続けた大願成就は近いのだ」

 この荒み切った世を救いうる者の誕生を助く、という。その礎になろうという。

 ノーマン、とダシュカはさらに身を寄せた。ノーマンは失われて久しい自らの手に、彼女のそれが重ねられるのを感じた。

「あの疫病の村で、出会ったときのことを憶えているか? 
 妻子も業病に冒され、おまえの両腕も切り落とさざるを得なかったあの日のことを。

 わたしはまだほんの小娘で、司教でさえなかった。
 聖務を受け、疫病・病魔の駆逐と民の救済に向かったカテル病院騎士団も多くの犠牲を出した。領主にも教会にも見捨てられ、最愛の妻と子を病魔に取られ、抜け殻のようだったおまえに、この世のことなどまともに知らぬ小娘のわたしが、無責任にも誓ったことを憶えているか?」


 かならず、かならず、この世界からこのような悲劇を拭って見せる、と。

「あの日の約束を叶えさせてくれ」

 ダシュカマリエの色素の薄い瞳がノーマンを見ていた。
 ノーマンは熱病に罹ったように震えた。そのひび割れ、震える唇にダシュカはそっと自分のものを重ねた。どちらからともなく、涙が流れて落ちた。

「ほかのだれにまかせるのではない、わたしたちで《そうする》のだ」
 ダシュカの銀の仮面が、ちりちりと音を立てた。

「視えるのだ。偉大な王の誕生が。世界を導きうる者の生まれ出でる、その瞬間が」


 ともに来てくれるだろう? 
 ノーマンは頷いた。



 がちん、とどこか遠いところで運命の歯車の噛みあう音がした。


                  





                「燦然のソウルスピナ第二話:廃神の漂流寺院」 end





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