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二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第二話:第二十夜・《魂》の秘跡

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燦然のソウルスピナ 第二話:第二十夜・《魂》の秘跡


□燦然のソウルスピナ 第二話:これまでのあらすじ(第十九夜を終えて)


 同僚の尼僧:アルマが関与を疑われたエクストラム法王庁襲撃事件に図らずも立ち会い、そのために奪われたふたつの聖遺物の奪還を任ぜられた若き聖騎士: アシュレは、聖務に従い赴いた先=廃虚となった亡国:旧イグナーシュ領で、オーバーロード:グラン率いる亡者たちの襲撃を受ける。

 圧倒的な物量と常軌を逸する亡者の群れにアシュレ率いる聖堂騎士団は壊滅の憂き目に遭う。
 アシュレは、その最中に幼なじみであり、また最愛のヒトであったユーニスさえ失ってしまう。

 亡者とその主:グランの纏う破滅の黒衣に包囲された絶体絶命のアシュレを救ったのは、驚くべきことに、法王庁から聖遺物を奪取した主犯と目された存在——夜魔の姫:シオンとその下僕を自認する土蜘蛛の男:イズマであった。

 ユーニスの生存を確認し、また途上で亡者に襲われる村落:イゴの村民に加担するにいたり、共闘関係を結んだ三人は、それぞれの想いを胸に、オーバーロード:グランと対決する。

  

 絶体絶命の窮地に陥りながらも、シオンの献身とイズマの協力により、アシュレは辛くも勝利を掴む。

 しかしそれは、苦く報われぬ栄光なき勝利であった。

 亡者たちに襲われ死に瀕したユーニスは、実はかつてイグナーシュの姫君であったアルマとともに、アシュレを愛するという《ねがい》のもとに融合を果たしていた。


 それは、エクストラム法王庁の規範に照らし合わされたとき、火刑を免れぬ重罪であった。
 そしてまた、アシュレは夜魔の姫:シオンと土蜘蛛の王:イズマと共闘した咎で、法王庁には帰還できなくなってしまう。

 イゴ村に偶然居合わせたカテル病院騎士団の男:ノーマンの申し出により、その本拠地:カテル島への逃避行を、アシュレは決断する。

 ノーマンの手引きにより無事、船上のヒトとなったアシュレとその一行(夜魔の姫:シオン、土蜘蛛の王:イズマ、ユーニスと融合を果たしたかつての同僚に してイグナーシュの姫:アルマ=記憶を失いイリスという名をアシュレに与えられた)は、酒宴などのハプニングに見舞われつつも、互いを想い合う心を確認し あい、ささやかな平穏を享受していた。 


   
 だが、その彼らの行く手に暗雲が垂れ込める。


 それこそは“廃神:フラーマの漂流寺院”

 かつて、邪神として海に放逐された女神の彷徨える海上寺院が立ち塞がったのである。
 アシュレは仲間たちとともに、海路を確保すべく解決に乗り出す。


 だが、そこで彼らを待っていたのは、突如として本体を現した邪神:フラーマによる分断であった。

 仲間とはぐれたアシュレは、その漂流寺院にて、本来敵対勢力であるはずの異教:アラムの姫君を救助する。



 アスカリア・イムラベートル。
 アスカと名乗った彼女を伴い、離れ離れとなった仲間たちとの合流、そしてこの漂流寺院からの脱出を図るアシュレたちはいつしか、語ることを禁じられた古い神話のなかにとらわれてしまう。

 土蜘蛛の王:イズマをして「神話の再演」と言わしめた、神話的呪縛・回路。

 その渦中に囚われたアシュレたちの眼前で、神話が徐々にその姿を、現実の脅威として
 あらわにし始める。

 戦いのさなか、互いが課せられた目的を明かしアシュレとアスカは真情をぶつけ合う。
 

 いっぽうで分断された仲間たちのうち、シオンとイリスはふたり、アシュレたちとの合流を図る。
 現れるフラーマの眷族をいなしながら進軍を続ける彼女たちは、思わぬ陥穽に嵌まってしまう。
 
 十二体のフラーマの司祭たちのよって捕らえられ窮地に陥ったふたりは、かつてフラーマが無数の《ねがい》を練りつけられ邪神と成り果てた過程を追体験する。

 だが、変成の儀式の仕上げとしてフラーマ本体がその坩堝によってシオンを取り込もうとしたまさにそのとき、一条の閃光が闇を切り裂いた。


 アシュレダウ、そしてアスカリア――ふたりの英雄に続いて、獅子の如き咆哮をあげる《フォーカス》:
〈アーマーン〉励起させ、カテル病院騎士:ノーマンが戦場に舞い降りたのだ。

 神話の再演舞台としての漂流寺院を、英雄たちは一丸となって駆け抜ける。 
 


 邪神:フラーマを相手取った最後の戦いが、ついに決着しようとしていた。










 速力だけが勝負だった。

 アシュレ自身、こんな恐怖を味わったのは初めてだった。
 隊のだれも甲冑を身につけていなかったし、盾もなかった。それどころか、ノーマンもアシュレも上半身は素肌だった。
 男たちの刃傷、槍傷だらけの肉体にアスカが見蕩れて、ほぅと溜息をついた。ふたりの肌にアスカは戦士としては細すぎる指を這わせた。


「誉れ傷ばかりではないか。なんと美しい肉体だろう。勇敢な騎士たちとともに戦えること、光栄だ。断じて世辞ではないぞ」

 ノーマンもアシュレもそう言われて悪い気がするはずがなかった。
 異教・異国のとはいえ、アスカは美貌の姫だった。騎士冥利に尽きるというものだ。
 意識してかしらずか、アスカは騎士に命を賭けさせる術を心得ていた。


 だが、実際にポジションに着けば、絶望的な突撃に武者震いが止まらなかった。思えば騎士の乗騎である軍馬たちは皆この恐怖を味わっていたのだ。
 戦場では上に乗った騎士よりも先に、真っ先に騎馬が的になる。


 馬から降ろしてしまえば重装の騎士を取り囲むのは容易だ。
 この場にはいないが、愛馬・ヴィトライオンのありがたさをアシュレはしみじみと噛みしめた。生きて帰れたら、しっかりブラシをかけてやろう、と心に誓った。


 そうして、三人は駆け出した。
 アスカが三人全員に《ラピッド・ストリーム》をかけた。
 さきほど、指を這わせたときのことだ。


「下手な司祭の祝福より、よほど効きそうだ」
「そなた、僧職であろう。バチがあたるぞ!」
 ノーマンの直截な物言いに、アスカが便乗して容赦なく笑った。からり、とした性格のアスカはノーマンとも馬が合うらしかった。

「アスカ姫の《スピンドル》はスミレのようですな」
「……体臭を嗅がれたようで、気恥ずかしいな。今後、使う相手は選ばせてもらおう」
 ノーマンが思わず陶然とつぶやき、アスカは恥ずかしげに目を伏せた。
 あー、これは失敬、とノーマンが慌てた。
 アシュレは慌てるノーマンを初めて見た。アスカがイクス教徒ならば、あるいはアシュレたちがアラムへ亡命すれば、良き友、いいチームとして共にあれるだろうかと考えてしまった。


 見てはならぬ夢だと首を振り、未練を払った。

 しかし、とアシュレは嘆息した。
 甲冑なし、盾なし、無手で怪物の軍団と相対する恐怖は並大抵のものではなかった。
 装甲するものがなにもないのだ。剥き出しの自分を刃にさらしている恐怖。


 ナイフ・ファイトの教練を思い出す。
 だが、それとは比較にならない重圧にすくみそうになる自分を叱咤した。おまけにイズマから借り受けたブーツと《ラピッド・ストリーム》のおかげで、やたらと速度が乗る。風になったようだ。恐怖は速度の二乗に比例する。


 フラーマの落し仔たちがアラムの英霊たちを迎え撃つため、自らの組織を編み上げ直して肉の槍衾を作りつつあった。
 方陣を敷き、騎馬の攻撃をキノコの傘のような肉の盾で搦め捕り、一騎ずつ引きずり落として捕らえようとしていた。

 いったん陣を組んでしまった重装歩兵の群れは強靱だ。
 英霊たちも手を出しあぐねていた。そこをフラーマの異能・《エレメンタリィ・コラプション》が襲う。徐々に不利な局面があらわになりつつあった。


 そこにアシュレたちが突っ込んだ。
「バカめ! 《スピンドル》能力者のいる戦場で密集方陣を組むなど、自殺行為よッ!」

 號! とノーマンが吠えた。獰猛な笑み。アシュレはその両腕に《スピンドル》が伝達され凶悪な顎門のカタチに〈アーマーン〉が変形するのを見た。

「《ブレイドリィ・タービュランス》!」

 アシュレは激しい耳鳴りを憶えた。
 前方を駆けるノーマンが行使した技が、敵前の気圧を急激に低下させている証拠だった。
 強力な真空が生まれたのだ。風が吹き込む。
 
 そして、直後、恐ろしい光景を見た。敵の一軍がついに耐えきれなくなってそのなかに引きずり込まれ、捻じられちぎられ切り裂かれた。肉片混じりの血煙が渦巻く柱となって天に伸びる。落し仔たちの血の色は白く、そこに断末魔の金切り声が重なるさまは悪夢そのものだ。


「《シャイニング・ヴァラー》!」

 己の怯懦を打ち払うかのように腹の底から声を出して、アスカが続いた。
 振り抜いたジャンビーヤの軌道そのままに白光が爆発し、敵は視界を奪われ、次の瞬間には超高熱のエネルギー流に焼き払われる。


 ノーマンの怒号の通り、密集方陣は効果範囲の広い異能には極端に弱い。
 新兵器大砲の隆盛もある。もしかしたら主戦場からやがて姿を消してしまうかもしれない戦術だった。戦法も用兵も常に移り変わる。フラーマは陣形を誤ったのだ。これでは二〇〇年前の戦い方だ。
 彼女が女神で、伝説に謳われた救済の聖女だったことをアシュレは事実だったと痛感した。戦いに疎いのだ。


 アシュレたちたった三人が、敵の鉄壁の守りを食い破っていくのをイズマとイリスは羊に跨がり、バラの蔦の上から見守っていた。
 脚長羊の足の裏は棘に影響されないようだった。
 半分夢の側の生き物だからねえ、とはイズマの談だ。もう何百年もつきあっているけど、いまだによくわからないよ、とお手上げのポーズをした。


 そういえば、と戦況を見守っていたイリスが突然慌てたようにイズマを振り返って訊いた。イズマと言えば戦況を見守るふりをして、イリスの体温やら体臭やら柔らかさやらを堪能してはご満悦だった。
 イリスが振り返ったところを聞き取るふりをして覗き込めば、絶景が待っていた。
 サイコーっすね、とイズマはつぶやいた。ヨダレが垂れそうだ。

 呂律が怪しい。

「んあ、なんんでしょ?」
「? いえっ、そうではなくて、シオンはどうしたのかなって? シオンは、どこ? わたし、薄情すぎる。アシュレのことばかり気にして……どうしようっ」
 あー、それなら、とイズマは笑った。
「だーいじょうぶ。イズマにおまかせっ。あのマントに込められてる能力を使ったから、絶対だいじょうぶ!」
「マント? あ、そう言えば、イズマって上着の下、スケイルメイルだったんですね? でもこの鱗って……アガンティリス期の古金貨じゃないですか! なにこれ! 宝飾品も……やだ、この玉、ルビーだ。三〇〇カラットはある。え、この肩口のは、本物のエメラルド? じゃあ、これもサファイア? 装甲じゃなくて宝飾品じゃないですかッ?」
「袋虫の王が『流通貨幣を傷つけることまかりならん』ってかけた呪いで括られてる金貨・財宝たちだよ。これはゾウが踏んでも壊れません! たぶんドラゴンブレス喰らっても、鎧だけは残るんじゃないかな?」

 あのコ、アスカの陣羽織にも天上の王国が封ぜられて、英霊に護られてたでしょ? 

「王族の衣装てーのにゃ、大概から保険がかけてあるもんなんだよ」
 だから、それに包まれてる姫は無事です。心配しなくて良いんだよ、とイズマはイリスを撫でた。

「どういう……原理ですか?」
「原理はわかんないけど、効果は説明できる。《アストラル・コンシールメント》。アストラル秘匿、とでもなんのかねえ? 一時的に着用者の位相をずらしてあらゆる害毒、攻撃、探知から、その対象外にするってやつ」

 ま、一回使ったら、また満月の光に何度もさらして、力をチャージしないとダメなんだけど。

「ボクちんが効果を解除するか、姫が自分で出てこないかぎり、敵もそうそう手はだせないよ」
 すごい、とイリスは目を輝かせた。でしょ、ボクちんかっこよいでしょ、とイズマは胸を張った。
「惚れてもいいんですよー」
「そうしようかな」

 さらっと予期せぬ答えが返ってきて、イズマの喉が変なふうに鳴った。イリスが噴き出した。

「ホントは奥手なんですよね? かわいい。知ってますよ?」
「あーんま男を挑発しないほうがイイと思うよーイリス姫。そのけしからん胸の突出を、こう、こういうかんじにッ」
「どうぞ? イズマならいいかな? お礼しなくちゃだし。胸くらい」

 あうー、とイズマは空中で指をわきわきさせた。あはは、とイリスが笑った。それからあらたまって訊いた。

「あのとき、どうして嘘ついたんですか?」
「あのときぃ?」
「ごまかしてもダメです。わたしが《侵食》されたんじゃないかって話のとき」
 あー、とイズマはいま思い出したように声をあげた。ぽりぽりとその鳥の巣のような頭を掻いた。

「同条件で、姫も疑われちゃうからね」
「やっぱり、優しいし。でも、それだけ?」
 ふー、女のコって恐いねえ、とイズマは肩をすくめて言った。

「もちろんそれだけじゃないさ。呪いの話、したよね? 憶えてる?」
「解くことでさらに致命的な状況になってしまう呪いのこと、ですか」
「そう、それ。なーんかさ、やな予感がしててね。まるで、ボクちんがそれを指摘するのを待たれてる気がしてさ」
 イリスは息を飲んだ。

「それにね、ボクちんの基本行動理念は『巻き込まれて巻き込み返す』なのよ。だから、毒杯かもしれないけれど飲んでみようって、わけ。それにこうしてれば、イリスはボクちんが管理できるし、姫はあちら側に秘匿していられるしさ」

 ま、なんかあっても、そんときゃボクちんひとりで被害が済むかなって思ってさ。こともなげに笑うイズマに、イリスは尊敬の念を抱いた。

「……イズマ、わたし、アシュレとのことがなかったら、絶対あなたに恋をしてました」
 イリスが偽りのない表情でイズマを見上げた。
「うっひょー、マジで? 不倫は文化ですよ奥さん?」
「どうしても、さびしい夜が来たらお願いします。でも、それまではダメ」
 ふふっ、とふたりは顔を見合わせて笑った。

「危険な賭けをあなたにさせてしまっていたんですね、わたしたち」
「まあね。こっちも好きでやってることだから、いいんだけど。たださ、どうも気になることがあるんだよ」
「気になること?」
「この漂流寺院に辿り着いてからの皆の言動がさ、ちょっとヒロイックすぎやしないかってね」
「どういう……意味です?」
「神話や伝説をなぞっているように見えてしょうがない、って言えばわかるかな? どこかにだれかが書いた脚本があるみたいだって言ったら、信じてくれる? この場合は聖女:アイギスとフラーマ姉妹、騎士:ゼ・ノの物語ってとこかな? ノーマンにはもすこし詳しく話したんだけど」

 え、とイリスはイズマをまじまじと見た。

「かつてあった物語を演者を変えて再演することで、再現する……いや、再編する。結末を書き換える巨大な装置としての神話、って寝言がイキすぎかな?」

 さあ――と血の気が引いていくのをイリスは感じた。
 イズマの発言は妄言・寝言の類いにしか思えなかっただろう。その物語の登場人物として、自分が取り込まれてさえいなかったなら。ここが世界に自身の《ねがい》を押しつけ変質させるオーバーロードの所領・《閉鎖回廊》でさえなかったら――。


 恐ろしいことに思い当たって背筋が寒くなった。
 イクス教に駆逐される以前、各地にあった異教ではその神話を神楽として再演することが教主や信徒の義務であり、祭りの本旨だったからだ。そうすることで、神憑きとなり、神託や奇蹟を地上に降ろしていたのだ。


 オーバーロードの所領・《閉鎖回廊》はその舞台としてこれ以上ないほど条件が整った場所だ。《そうする》力に満ちているからだ。

 イリスの推理は、イズマがノーマンに行った説明とぴたり、と吻合していた。

 邪神・邪教などに霊験などない――そう断言するのは強弁が過ぎた。その一柱、本尊たるフラーマが、現に猛威を振るうさまを目のあたりにしながらでは。

「降臨王・グランのときと同じように、〈デクストラス〉や〈パラグラム〉と同じようにヒトを書き換えてしまうような装置があるんじゃないか、とイズマは言うんですね?」
 この一連の事件にはそれが関わっているんじゃないかって、イズマは言うんですね?

「ごめんね、イリス、キミが賢いコだから損な役回りを、しなくていい心配をかけてしまう。でも、その通りさ。ボクちんが危惧してんのは、まさにそこさ」
「――じゃあ、この決着は……解決は?」

 問いかけられた土蜘蛛の古代の王は、じっと激しさを増した伝説の戦いを見守っていた。
 無言で。ひたすらに。



 たった三人の決死隊が血路を切り開いた。
 アラムの英霊たちがそれを見逃すはずがなかった。アシュレたち三人の働きは、伝説の英霊たちの刮目に値していたのだ。つづけ、と腕がふり降ろされ、金色と純白のつむじ風が戦場を駆け抜けていった。


 騎士たちの雄叫びと、軍馬のいななき、蹄鉄の唸り、そして、槍を突き込まれた異形のものどもが上げる肉が引き攣れて起こる断末魔が場を支配していた。

 どこをどう駆けたのか、アシュレにはわからない。ノーマンが、その両腕の〈アーマーン〉が道を切り開き、アスカの掲げるジャンビーヤに灯る輝きがアシュレを導いた。

 恐れはいつの間にか脳裏の片隅に追いやられ、奇妙な高揚が神経を支配していた。
 戦場で感じる高揚はいつものことだったが、今回のそれはいつにも増してアシュレを昂ぶらせた。


 酷使された肺が軋るように痛んだが、脚は疾風のように走り、雄叫びが腹の底から轟き出た。
 まるで自分が伝説の英雄の一員に加わったかのような気分だった。

 爽快だ、とアシュレは思った。

 汗だくで、熱い返り血を浴び、汚れても、心は澄んでくるようだ。不思議だった。

 まるで自分たちは幼い日にいつか聴いたあの英雄譚の登場人物にでもなったのではないか、とアシュレは思った。ノーマンの顔に笑顔があった。信ずる友と戦場をともにする喜びに満ちていた。アスカの顔にも笑顔があった。もし、アシュレの思い上がりでないのなら愛するヒトと白刃の下を潜り抜ける歓喜がそこには見てとれた。

 そして、アシュレ自身も笑っていたのだと思う。

 行けッ、とだれとはなく言われた気がした。振り仰げば頭上に《槍》があった。見紛うはずがない。アシュレ自身の武器だった。〈シヴニール〉! 

 応、とアシュレは吠えて増速した。落とし仔たちの肉体を壁面に見立て、ウォール・ライドの要領で〈シヴニール〉を目指した。

 同時にノーマンが《フラーマの坩堝》に取り付いた。

 取り込まれれば変質を強制され、おそらくはフラーマとの結合体に繋がれてしまう恐ろしい融合力を前に臆さなかった。ごうごうと渦を巻くエネルギーの奔流をその両手が受け止めていた。〈アーマーン〉が司る破滅、消滅の力と《フラーマの坩堝》の司る創造の力がぶつかり合い、激しい火花を散らす。ノーマンの肉体はその飛沫に触れるたび火膨れを起した。それでもカテル病院騎士団の筆頭は一歩も引かなかった。

 先陣を切ったノーマンの体を、円を描くように回転しながらアスカが避けて間合いを詰めた。しんがりを守り、ノーマンの背に群がる軍勢を足止めする最後の技を放って、数十秒を稼ぐために。

 光刃が弧を描いて放たれる。つい先ほどまで自分たちが切り開いてきた血路に向かって。殺到するフラーマの軍勢を押し戻す。

 アスカの両腕の皮膚が熱にあぶられ、真っ赤に剥け返っていた。

 強力な技には、代価が必要なのだ。血や傷、ときには四肢や重要な器官を取られることもある。もちろん、最大の代価となれば個人や、複数の命、あるいは国土を消耗させるものさえあるという。

 本来人類には発現しえない能力で現実を強制的に書き換えるには《意志》の力だけでは不可能なのだ。

 捧げられる代価は、消費されるというより異能を発現するための変換装置として使用され、その過程で破壊されるのだと解釈すべきなのだろう。《スピンドル》は強力だが万能の力ではない。願ったり祈ったりするだけでは、どんなことも叶えられない。肉体を持って成されるすべてのことと原理的には同じなのだ。《意志》には行動が伴わなければならない。

 いや、こうとも言える。
 困難に立ち向かう行動を選び取らせ、引き起こしうる心の動きだけを《意志》と呼べるのだと。


 いまこの、一瞬、一瞬が、その貴重な《意志》と代価を支払って得られた時間だった。

 アスカは光刃を推進力に肉体を回転させ、風を切るツバメのように持ち上がった《フラーマの坩堝》の下面へ潜り込んだ。フラーマの胎内が見えた。

 イリスの観察力と〈スペクタクルズ〉からもたらされた確定情報がなければ、気違いじみた特攻にしか思えなかっただろう。
 いや、とアスカは思う。たとえ、そのような助言がなくとも、わたしは飛び込んだ。アシュレたちと出会えなくとも、たとえだれの助力を得られなくとも、飛び込んだはずだ。


 己の勇敢さ、勇猛さを見せつけたいからではない。

 アスカには理由があった。
 祖国:オズマドラには、この鋏――〈アズライール〉が必要だった。国家のため、臣民のため、どうしても持ち帰る必要があった。いや、とアスカは思う。ごまかすのはやめよう。
 父には、どうしてもこれが必要なのだ。大帝・オズマヒム・イムラベートルには。助けるのだ。取り戻すのだ。父を。やつらから。やつらの思惑から。

 はたして、そこには鋏があった。
 巨大な異形の。

 それは義足の姿をしていた。尖端に向かって鋭く組み合わされた刃の群れで構成された義足。装着者を恐ろしい刑具と化すであろう、それ。

 かつて、まだ未熟だったフラーマは業病に苦しむ人々にのために自身の脚を切って与えた。
 それを補うために脚を義足に置き換えた。それを見た騎士・ゼ・ノはならって己の腕を切り落とし、同じく貧民に与えた。そこでフラーマは同じく騎士に義手を与えた。共にがらんどうのそれは、もう二度と動かせるはずのない代物だった。


 だが、いかなる奇蹟か、それは聖遺物としての力を帯び、彼らのシンボルとなった。もうあるはずがないのに、そこにあるものの顕現として――失われた手足が空であるのに動作する――消滅・破壊の力を司るものとなった。

 それはアラム側に伝えられた堕天使とヒトの騎士の物語だ。堕天使はやがて、正しくヒトを死に導く役割を忘れて、死を穢す邪神と成り果てる。

 原因は騎士の死だ。墜ちる前、天使・フラーマ(フラギュール)は姉・アイギス(アギュール)に訴える。炎の天使・アイギスの持つ坩堝を貸して欲しいと。アイギスはそれを拒むが、最後には妹の抜け殻のように倒れ伏し打ちひしがれる姿にほだされ、坩堝を貸す。
 交換条件にフラーマの銀の仮面を借り受ける約束で。正しき答えを得るために。


 どうすべきか、を。

 結果として、騎士・ゼ・ノは甦り、堕天使・フラーマは邪神と成り果て、姉にして炎の天使・アイギスはこれを討つ。騎士はアイギスの永遠の従者として、とこしえにこれに仕える。アラム側の神話のダイジェストだ。

 形容しがたい轟音が頭上を掠めた。
 一秒にも満たない時間、脳裏を掠めた神話の俯瞰図にアスカは苦笑した。


 自分だけに忠節を尽くしてくれる永遠の騎士などと乙女な夢にもほどがある、と昔は思っていた。また、姉天使アイギスの狡猾さにも嫌悪があった。結局は妹から、理想の騎士を奪い取るのだ。手を汚しもせず。

 けれども、いざ眼前に自分の理想を超える男が現れたとき、女としてそれを願わずにいられるだろうかと考えると、そうでないとははっきりと言い切れなくなっってしまっている自分がいて、アスカは動揺した。

 そのとき、そんな方法があって、決断するだけですべてが手に入れられるなら、と。
 ちらり、とアシュレの顔が過って、アスカは慌てて妄想を振り切った。

 そんなもの、しょせん夢だ。自分でアシュレに宣言したではないか。

「しょせん、血塗られた道だ」と。

 わたしではアイギスにはなれまい。せいぜい、妹のフラーマの役が関の山だ。アスカは苦笑した。それから、不敬なことだと自らをたしなめた。その不憫な妹の成れの果てと、自分たちはいま相対しているのだ。

「自分を見失い、迷って、墜ちてしまったのだな。哀れなフラーマ。どうして銀の仮面などに決断を委ねてしまったのだ。正解はいつもそなたのもとにあったのに」
 せめて、そなたの手で愛する騎士に引導を渡してやればよかったのに。

「それで、迷い迷って彷徨い出てしまったのだな。過ちを正す方法を探して。かつて、そなたが備え司っていた力を。いいだろう。その役目、わたしが引き継ごう。だから、〈アズライール〉は使わせてもらう――わたしにも理由があるのだ」

 死は正しき終り。
 アスカは〈アズライール〉に触れた。

 ぐんっ、と《スピンドル》が回る音がした。
 それは〈アズライール〉に通された《スピンドル》が、その機能を目覚めさせ、数百年ぶりに励起した聖遺物が装着者を認めて展開する音だった。

 がぎん、ぼぎん、と胸の悪くなるような音が《フラーマの坩堝》と〈アーマーン〉が生じさせるスキール音を圧してフラーマの腹部から聞こえてきた。
 獣の慟哭のようなアスカの叫びも。悲鳴とも雄叫びともつかぬ。

 その恐ろしいサウンドは装着音だとノーマンは理解していた。

 〈アーマーン〉装着者であるからわかるのだ。〈アーマーン〉もまた同じような機構を内部に持っている。

 まだ腕があるものが――つまり不具ではないものが、それを扱おうとすることを不敬と判断する機構だとノーマンは理解している。

 戯れに不具者を装う者には、それなりの報いがある。

 義手は、義足は、手足を失った者たちの切実な《ねがい》のカタチなのだ。
 歌曲にもあったではないか。汝、戯れに亡霊を装なば、汝、亡霊となるべし、と。悪戯に亡霊を装うものは、結局、ほんとうに亡霊になってしまう。

 けれども、アスカの行為は不敬からではなく、覚悟――強い《意志》から来る――そのものだとノーマンにはわかった。

 ただ無謀なだけでは、死地には飛び込めない。
 譲れぬなにかを持たぬものは、無謀には振る舞えても、いざ決定的な決断が眼前に現れたとき選択できない。我が身を危機にさらしながら、それでも最善を掴み取ろうとする行為を。


 二匹の猛獣に両脚を付け根まで生きながらにして噛み砕かれる地獄を、アスカは味わっていた。ああっ、あああああっ、と《意志》とは無関係に声が迸った。〈アズライール〉が肉を食み、骨にボルトを打ち込む音だ。文字通り食いちぎられる痛みに、何度も気絶しそうになる。結合部から吹き上がる鮮血に短衣が、下着が濡れた。

 父の顔を思い浮かべ、アスカは拷問のような十秒間に耐えた。聖句を唱えようとしたが、なにひとつ言葉にならなかった。

 代わりに口を吐いたのは、アシュレの名だった。

 しとねをともにする女奴隷たちはだれしもがアスカの脚線を讚えた。嫉妬するほどの美しさだと。自分でもまんざらではなかった。世辞でないことがわかっていたからだ。触れ比べてみればわかることだからだ。

 だから、こうなってしまうまえにアシュレに触れて欲しかった。褒めて欲しかった。

 未練と言えばそれくらいか。ふっ、と笑いが漏れ、気がつくと苦痛は遠のいていた。〈アズライール〉。神代の武具がアスカを主人と認めたのだ。その血肉を文字通り飲み干して。

 自らの血で深紅に染まった短衣を翻し、アスカは死の舞踏を舞いはじめた。

 空間の断裂する音を、戦場をともにしただれしもが聞いた。
 
 凄まじい力の衝突が生み出す白熱した光の粒がフラーマの腹部――回転する坩堝のあるあたりから吹いた。〈アーマーン〉と〈アズライール〉、ふたつの対なる破壊の力が、ついに創造の力・《フラーマの坩堝》のエネルギーを上回ったのだ。光が奔流となり、爆流となってあたりにぶちまけられた。


 戦場は混乱の極みだった。

 フラーマの落とし仔たちは狂ったように走り回り、デタラメな叫びを上げた。
 あるものは膝をつき、己の崩壊を恐れるように顔を、肉体のあちこちを手で押さえた。
 あるものはうずくまり、両肩を自分で抱いた。この世の終りを恐れる修道士のようだった。共通していたのは恐慌に襲われた、《魂》のひしぎが声となった絶叫だった。


 そして、また英霊たちも自らの領分へ還るときが来ていた。一騎、また、一騎と黄金の粒になって還っていった。

 そんななかで、イズマとイリスはフラーマの姿を見ていた。
 ぼっ、ぼっ、と巨体のあちこちに破れ目が生じつつあった。青白い超エネルギー塊がその破れ目から間欠的に吹いた。それらは自らを必死に押しとどめようとする乙女の姿をしていた。

「やっべえぞ」
 イズマが目を剥いてつぶやいた。やっと言葉にした、というそういう感じだった。
「まずいんですか?」
「んな、生易しいもんじゃない。《スピンドル》エネルギーの連鎖崩壊だ。いままで、フラーマが退け続けてきた負の力が逃げ場を失って、瞬間的に連続的に崩壊するんだ。こんだけの規模だと因果が逆転して……《ブルームタイド》が起こる! くそう、これがこの物語の結末かよッ! 隠されていた、揃えてはいけない、解いてはならない呪いかッ!」
「ぶるーむ、たいど?」
「虚構に喰われちまうのさ。空間ごと。ないことに、なかったことにされちまうんだ。そこにはたしかにあるのに、もうだれにも認識できない場所になっちまう。《閉鎖回廊》なんてメじゃない。《テラ・インコグニタ》が生まれちまう! デカイ穴が世界に開いちまうんだ!」
「その言葉――《テラ・インコグニタ》――不可知領域。いったい、どんなことが起きるというんですか?」
 その言葉に、いままで体験したことがないほどの悪寒が背筋を駆け上がるのを感じながらイリスが言った。

「人類は世界を失う。正確には一部だけど、こんだけパワーがあるんだ。どれくらい無くなるのか、わかんないよ。でも、それよりも問題なのは! そこが《通路》になるっつーことだ! そこは現実の桎梏(しっこく)から解き放たれた場所だ、どんな無茶もまかり通る」
「《通路》ッ? ――なにか……出てくるんですか? そのなかに取り残された人間は、どうなるんですかッ?」
「皆を逃がさなきゃっ、あー、なんでもうちょっと早く気がつかなかったのかー! 
 神話も英雄たちの戦いも、フラーマやアイギスやゼ・ノの苦悩さえ、仕組まれた《通路》開通のための儀式に過ぎないってーのか! 
 やつらめ、《御方》どもめッ! 人間の奮戦も、愛するものへの執着も、ぜんぶ、ぜんぶ、自分たちがこちらへ顕現するための供物、生贄、エネルギーでしかねーってのかッ! 
 虚構が、物語が、現実に勝る瞬間を狙ってたっていうのか!」


 考えろ。どうすりゃいい、どうすれば……防げる?
 イリスには理解できない悪態を吐きながら、それでも方策を巡らせ続けるイズマにイリスは畏敬の念を覚えた。
 そしてイズマの言を証明するように、ゆらり、と揺らいだ空間の向こうに、なにものかの影を見た気がした。
 それは――あまりに異質で強大なものにイリスには感じられた。
 イズマの言葉、その断片にあった《通路》が開いたとき、あれがこちらに出てくるというのか。
 全身を震えが走った。
 それでも逃げたいと思う心に肉体が従わなかったのは、《意志》の力だけではなく、イズマが抱きしめてくれていたからだ。

 逃げようと思えばイズマひとりなら、これまでだって出来たはずだ。
 こういう事態をもっとも警戒していたのはイズマだったからだ。それなのに逃げなかった。だから、堪らなく恐ろしいはずなのに冷静になれた。


 自分でも驚くような発案が、唇から言葉になって転げ落ちた。

「それって、呪いを解いてしまったら、ですよね?」
「?」
 なにを言われたのかわからずパニクった表情でイズマはイリスを見た。

「イズマの怒りの源はわからないけれど、だれかこの状況を、この《閉鎖回廊》に満ちる呪いを、神話の再現を利用しようとしてる第三者がいるんですよね? 《御方》? だから怒っているんですよね? じゃあ、この呪いをだれかが受け止めたら、どうですか? つまり、解決して、呪いをなかったことにするんじゃなく、わたしが、あるいはわたしたち全員が、すこしずつ分担して呪いを引き受けたなら?」
「そりゃあ、たぶん、すこしずつ呪いは薄まって、それから、イリスやアシュレのパーソナリティーから影響を受けて、変質するから、ちょっとはちがう結末にできる――かも?」
 いや、ちょっとイリス、とイズマは慌てた。

「気でも違ってんの? 神話級の呪いなんだよ? 半端じゃないよ。だいたい、キミらなんにも悪かないじゃない。引き受ける義務なんてないんだ。ほんとはそういうのはこれまで生きてきた大人の、ボクちんみたいなダメな大人がやるべきことで……!」
「イズマは、もう、引き受けてるでしょ?」
 はへ? とイズマは本気で虚を突かれて阿呆面をさらした。イリスは微笑んでイズマの手を裸の乳房に押し当てた。
「グランの槍・〈デクストラス〉を防いだとき、いくら《ムーンシャイン・フェイヴァー》の発動シークエンスだったからって、無事に済むはずないもの」

 自分を危うくして、アシュレやシオンを護ってくれたんですよね? どれだけそうやって書き換えられたり、押しつけられたりを引き受けてきたんですか?

「その鎧の下、衣服の下が、どうなっているのか、いちど、お互いで確かめ合いますか?」
 いやん、エッチ、とイズマは返した。イリスは笑ってイズマに言った。
「だから、急いで行きましょう。みんなのところへ! 
 こんどは、わたしたちが受け止める番です! 
 たぶん、アシュレもノーマンさんも、アスカ姫も、シオンも、みんな言わないけれど、覚悟してるんだと思います。だから飛び込んで行くんです。
 どんなに危なくても、割に合わないと知っていても、もしかしたら――そんなこと思いもせずに! それしかないなら、やるしかないんです。……でも、どういうことなのか、後でちゃんと説明してください。
 《テラ・インコグニタ》や《御方》や《ブルームタイド》のこと!」

 ドンッ、と閃光が吹いたのはその直後だった。

 アシュレが〈シヴニール〉に辿り着いた瞬間、《フラーマの坩堝》が崩壊をはじめた。

 ノーマンとアスカの奮闘とその代価が、《スピンドル》の振動となって伝わってきた。
 ノーマンはひどい火傷を負っている。アスカは自らの両脚を〈アズライール〉基部として捧げた。フラーマに伝導した《スピンドル》の律動がそれをアシュレに理解させた。

 アシュレの肉体はこれまでになく《スピンドル》に順応している。

 ノーマンの騎士としての矜持、そして、だれか愛しいヒトを想う心がアシュレを奮い立たせた。
 アスカの偽りないアシュレへの恋慕ががあった。アシュレは想われていることに感謝した。


 それから、唐突に声を聞いた。

『逃げてッ! 逃げてくださいッ!』
 この周辺の現実が崩壊する、と声が告げていた。
 肉声ではない。
《スピンドル》が形成した生体間ネットワークが伝達した脳裏へ直接響く声だった。


「フラーマ!」
 アシュレは声の主に呼びかけていた。

 その途端、アシュレの脳裏に美しい乙女の姿が鮮やかに投影された。
 痛々しい姿だった。両脚は根元から失われ、全身が傷に覆われていた。暴れ回るエネルギー流を華奢なその身体で必死に押さえていたせいだ。頭髪は抜け落ち、傷は尊顔にも及び、汚濁と汚泥にまみれていた。
 だが、汚されても汚されても、なお輝く美が彼女にはあった。

『逃げて、逃げて、騎士さま!』

 懇願された。
 彼女は血塗れになりながらもなお自らより、自分以外のだれかを案じていた。ああ、とアシュレは納得した。そのだれかとは、彼女と彼女の姉が愛してしまったヒトの騎士のことなのだ。


「あなたを置いては行けないッ! 助けると誓ったッ!」
 アシュレは叫んだ。

 脳裏にアルマの姿があった。国を失い、暴徒に穢され、それでも恨みを飲んで、静かにひとりこの世から消え去ろうとした。それなのに過去に追いすがられ、理想を求められた。死毒に侵されたアシュレを救おうと、聖遺物の力を振るった。結果としてそれはアシュレに理想を押しつけるカタチになってしまったが、そうでなければアシュレは確実に死んでいた。


 ユーニスのイメージが去来した。アシュレの幼なじみだった。家系という呪縛に捕われながらも一途にアシュレを想ってくれた。かたわらにはべるため、従者として志願した。ともに赴いた聖務の地で襲撃を受け離別し、非業の死に襲われた。死に瀕しながらもアシュレを想い、アルマとひとつになった。

 夜魔の姫:シオンが記憶のなかにあった。夜魔の真祖の姫として生を受けながら、永遠生の呪縛から同胞を解き放とうとした。《ねがい》に蝕まれたアシュレを文字通り身を持って救ってくれた。

「こんどは、ボクが、ボクが助ける番だッ」
 フラーマの両目が、これ以上ないほど大きく見開かれた。

 どうして、と。なぜ、まだ、こんなに想っていてだけるのですか、と。
 わたしは、あなたさえ、あなたさえ――。

 末期の、フラーマの思念は最後まで届かなかった。臨界を迎えたエネルギーが爆ぜるように彼女の腕のなかで跳ね回り、やがて腕を食いちぎり飛び出して――。

 刹那、アシュレは計算し、決断した。
 この暴走するエネルギーには捌け口が必要なのだと。

 このまま、無制限に、無秩序に制御されない力が解放されたなら、一帯は消し飛ぶ。

 いまここには空間断裂、次元断裂さえ引き起こしかねない超エネルギーが撓んでいる。それが突き立った〈シヴニール〉を通して感じ取れた。
 超弩級のスピンアウトによって現実が食い荒らされ、最悪、なにかとんでもない現象を引き起こしてしまうかもしれない。


 そうなったとき、いま生還を信じて死地を戦う仲間たちはどうなるのか?
 ノーマンは? イリスは? アスカは? イズマは? シオンは? 死? いや、もっとおぞましく、いたたまれない結末が? 

 させやしない、とアシュレは思った。
 いや、思うなどという曖昧で、責任の所在の不確かな感情ではそれはなかった。

 がちん、と脳のどこかで歯車が噛み合い切り替わる音がした。精神と肉体が合一する音――《魂》がそこに生まれる音だった。


 助けたいという想いと助けようとする肉体の働きが、ごく一瞬、まさしく刹那だけ合一し散らした火花――。

 それが《魂》の秘密だった。
 最後の瞬間、アシュレはかつてイズマが夢のなかで告げた言葉を思い出していた。

「ヒトに《魂》などない。この世界のすべてのものにさえ、だ。オマエのような小僧になど言わずもがなだ。――ただ、《魂》に近づくことはできる」

 ああ、これがそうか、と納得した。《魂》などないというその言葉に、アシュレは理由のわからぬ憤りを感じたものだった。
 いま思えばそれは自分たち人間の存在の基底を攻撃されたと感じたからだ。


 だが、その憤りが激しければ激しいほど、あきらかになることがある。
 ヒトは、嘘を言うことでほんとうのことを言う。
 憤るのは、それを指摘されることを恐れているからだ。図星だからだ。

 ほんとうは、ないのではないかと怯えているからだ。《魂》など、自分には。だから、無条件に、無制限に、その所在を認め、証明を発行してくれるなにものかに依存する。

 イズマは、そのヒトの性根を一撃したのだ。

 たしかめろ、と言ったのだ。オマエ自身が、オマエ自身を燃焼させて、と言ったのだ。

 なにもかもが、鮮やかだった。
 たったいま、手に入れたものを手放さなければならないのに、ふしぎと恐くなかった。
 いまを逃したら、どうせ、これは消えてしまう光なのだ。
 だから、いま、つかう。
 アシュレはもう一度、〈シヴニール〉の柄を握りしめた。
 
 そして、つかった。

 

 次の瞬間、アシュレダウは死ぬ。


 最大出力の《スピンドル》エネルギーが、文字通り、心臓を破砕し、胸を内側から裂いたからだ。










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