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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第一話:第十六夜・理想の果てに・2

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燦然のソウルスピナ 第一話:第十六夜・理想の果てに・2

         ※

 意識が覚醒と混濁とを繰り返した。

 生きているのか死んでいるのかわからないまま、アシュレは真っ白なシーツの海にたゆたった。かたわらに女がいた。よく知っている女だったが、だれであるか想い出せなかった。

 従順で献身的でたおやかな娘だった。懐かしい香りがしてアシュレは顔を埋めた。

 アシュレを王と呼んだ。呼ばれてみればそうであったような気がした。

 強いてください、と懇願された。組み敷いてください、と哀願された。《ねがい》を叶えてやれなければならないと感じた。王の責務だった。
 アシュレは応じた。幾度も幾度も。恐いくらいよかった。アシュレに射込まれるたび、娘は歓喜に泣いた。名工の創り上げたヴィオラのように鳴いた。アシュレは応じた。なんども娘の《ねがい》に応じた。そのたびに娘は隷属の誓いを立てた。愛玩の、玩弄の、家畜の。


 思うようになさってください。歓喜の頂きで娘はすべてを許す誓いを立てた。
 最後に意識が途切れる直前、アシュレは娘の名を問うた。妻になってほしいと言った。応えてやらなければならない娘だと思った。

 なぜか、涙を浮かべ、はかなげに笑って娘は答えなかった。

         ※

 ずっとまえのことだ。

 まだ、国境の村パロでのことだ。
 アシュレと騎士たちが民主主義と革命について話をしていたときのことだ。

 自由、という言葉が耳に飛び込んできた。

 そのとき、給仕の手を止めユーニスは思わず質問してしまった。自由とはなにか、と。
 身分に関係なく、だれが、どんな職についてもよく、どんな場所に住んでもよく、だれと恋に落ちてもよいことだと彼らは説明した。説明した後で狂気の沙汰だと頷き合った。

 同調したふりをした。ありえないことだと追認するふりをした。

 じっさい、それは狂気の沙汰だった。だが、本当は、そう思っていなかった。

 窮屈すぎる世界の破滅を願っている自分を、そのとき自覚してしまった。
 自由になりたかった。家も身分も全部捨てて、逃げたかった。アシュレにそう持ちかけたかった。いっしょに逃げてはくれないヒトだからこそ、そんな夢を見てしまった。

 生まれ変わった世界で、別人になって生きたかった。
 ささやかでいい。自由がほしかった。

 無理だと諦めていた。
 だが、この地の底で、その方法を思いついてしまった。救い主を造ればよいのだ。〈パラグラム〉と〈デクストラス〉、そしてアシュレがいてくれればできる。

 あとはわたしが生めばよい。孕めばよい。救い主を。救国の、救世の、主を。

「よきかな」と声がした。
「あとは、倒されるべき《悪》があればよい」
 それは我が引き受けよう、とグランが言った。我が身が一身に。

         ※
 
 人気の絶えた中央区画のドアが開いた。

 這いずるような音がして、血塗れの男が転がり込んできた。ナハトだった。粉砕された左腕は上腕にまで及び、肉が割け、骨が剥き出しになっていた。左の頬骨が削れ、歯が露出し怪物じみた形相となった男が地面を這った。〈キュドラク〉が左上腕部を絞めて止血していなければとっくに失血死しているほどの傷だった。


 ナハトは這いずった。這いずりながら考えることは三つあった。それぞれが分け隔てなく混濁し雷光を飛ばした。そのおかげでナハトは意識を保っていられた。いや、すでに一種の狂気が彼を支配していたのだ。

 ひとつは、憤怒。己の腕を奪い、怪物のごとき形相におとしめたアシュレへの憎悪。
 ひとつは、独占欲。アルマステラへの。かつて自分が隷属させた女を再び組み敷しく妄想。
 ひとつは、夢想。強大な力を得、王として君臨した自分を思った。

 だから、こんなところで死ぬはずがない、とナハトは狂信した。
 狂信のままに〈パラグラム〉の祭壇に収まった。やりかたはアルマの前例を観ていたからわかった。どうやら、これは〈デクストラス〉を介して〈パラグラム〉に溜め込まれた《ねがい》を流入させる仕組みらしい。

《ねがい》は《ちから》だから、使用者の望みを叶える奇跡を起こすのだ。


 それにしたって、アルマには笑わせられた。
 まさか、他者の救済がお望みだったとは。つまらなさすぎて、笑わずにはいられなかった。思い返すだけで腹筋が痙攣を起こした。一番笑わせてもらったのは〈パラグラム〉を動作させるのに王家の血筋など不要だったということだ。アルマは用無しだった。傷の痛みにナハトは苦笑した。早くしないと笑い過ぎで死んでしまう。


「さっさとやってくれ」

 はたして〈パラグラム〉は起動した。面倒な手続きがないのは、じつにありがたい。時間がないときは特にそうだ。

「不死身の偉大で強力な王、それがご所望だ。早く叶えてくれ。逝っちまいそうだ」

 ナハトが言い終えるより早く〈デクストラス〉が反応した。
 ナハトは背を反らして《ねがい》を味わった。強大な力が無制限に流れ込んでくるのがわかった。あっという間に出血が止まり、頬が再生した。早くこうすればよかったぜ、とナハトは思った。騎士の演技などと馴れぬ芝居のせいだ。

「すげえ、すげえぞ」

 だが、それは再生というよりもっと別の現象だった。

 変形(へんぎょう)というべきものだった。ナハトは異変に祭壇から転げ落ちた。全身がかゆくて堪らなかった。甲冑が肉体の再構築に取り込まれていた。ありえない場所がばくり、と開きそれが口になった。何ヶ所も。骨が乱ぐい歯に作り直されていた。〈ニーズホグ〉が残った右腕と同化して新たな前腕となった。


「な、なんじゃこりゃああ」
 転げ落ちた〈パラグラム〉の底をのたくるナハトはたしかに、不死身で、強力な、王に変貌しつつあった。ただし、異形で、醜い。偉大かどうかは、ついにわからなかったが。

「はやまったことを」
 いつの間にか、その後方上空にグランがいた。空中を歩くように進んだ。

「どおおお、なってんだよおお、これはああああー、ぐうううらああああんんん」
 かろうじて人語と解せる言葉でナハトが言った。グランは深い憂慮の溜息をついた。
「だれの《ねがい》か、それが舵の役目をする。そなたはそれを知らずに〈パラグラム〉を行使した。なぜもう少し待てなかった」
「死ぬっってんだろーおおーがあああああ」

 グランの目が細まった。

「この窮地にあって、己のために身を投げ打ってくれるほどの友や、愛する者を得られなかったそなたは、あまりに不憫。しかし、それは自業自得ぞ」
 奪い続けてきた者は、いずれだれからか奪われる。

「いまのそなたを救おうという友か、愛する者か、いずこかにおらぬのか?」
「あんたがああ、やってくれえええ」
「それは、できぬ」
 ごああああああああッ、ともはや怪物の咆哮にしか聞こえぬ声でナハトが叫んだ。
「我はすでにして〈パラグラム〉の一部。《投影》(プロジェクタイル)に過ぎぬゆえ」
 そなたらのことなど、だれひとりとて、想うことなどできぬゆえ。

「だが……このままでは〈パラグラム〉が危ういか」
 がごん、と途端に〈パラグラム〉の底が抜けた。かつてナハトであったバケモノは奈落に向かって転げ落ちていった。怨嗟の咆哮を上げながら。

         ※

「キリがないッ」
 ビュウと唸りを上げ剣閃が骸骨の一団を切り裂いた。たちまちのうちに青い炎を上げて亡者たちが消滅する。だが、空いた隙間は瞬く間に補充される。物量がケタ違いなのだ。

 戦いはすでに一時間に及んでいた。

 文字通り絶望的な二騎対一万の戦いを、シオンとイズマは戦い生き抜いていた。屠った亡者の数は少なくとも二千は下るまい。卓抜した技量と連携、伝説に語られた武具と惜しみなく蕩尽される貴重な貴石、霊薬によってふたりは絶望的な戦いを支え抜いた。

「喚起せよ。紅蓮の石に封ぜられし業火よ。壁となれ」

 シオンが敵陣に作り出したわずかな隙をイズマは無駄にしなかった。装飾品の宝石のひとつをちぎり取ると呪いを起動させ、滑らせるように放った。たちまちのうちに炎の壁が二階建ての住居ほども立ち上り、敵の足を止めた。巻き込まれた骨たちが苦悶の叫びを上げる。
 返す刀で、イズマは技を放った。

「招来せよ。暗き奈落の淵より――貪る者ども。その長き手に贄を捧ささげん。存分に喰うがよい!」

 相手も定めず、イズマは掌に生じた三つの黒球を放った。それは炎の壁のむこうに飛び去りながら、見る間に姿を増大・変形させておぞましい混沌の怪物に育った。
 ごあああああああッ、と咆哮が響き渡り、骨と錆びた甲冑・武具の砕ける胸の悪くなるような音が谷にこだました。炎の壁の向こうから、ときおり長く伸びた触手のようなものが見えた。

「……イズマ……貴様のほうが悪役のような技だな」
「《アビサル・トーク・ウィズ・テンタクルス》。まあ、ほら地下王国と彼らはお隣さんなんで、よしみというか。でも、これでちょっと息がつけるでしょ」
「たしかに……そうか」

 シオンの黒髪が汗で額に貼りついていた。夜魔の姫が肩で息をしていた。
 戦いはそれほど想像を絶する熾烈さだったのだ。
 イズマも息は荒かったが、疲労はあきらかに軽いようだった。〈ローズ・アブソリュート〉の広範囲殲滅技で敵を圧倒するシオンに対し、数多くの呪具を投入し効果的な局面を見据え、最小限の技で対応するイズマとでは消耗の度合いが違うのだ。


「手を抜いている、と言わんか、それは」
「帰りのことも考えてるんスよ。ボクぁ、こんなところで差し違える気はないもんで」
 でも、ほとんど手持ちのヤツは使いきっちまった。あとは、ほんと切り札が幾枚ってとこで。傲然と笑いながらイズマが言った。
「まあ、さいわいなことは、最初の接触の後はグランが本陣に下がっちまって、出てこないってことですか。おかげでやたらと長引いちまっているが、持ちこたえてもいられる」
「アシュレ……まだ、かかるか」
 陽動にも、限界がある。シオンが焦りの滲む声で言った。

「どっちが陽動だったか、ってことですかね」
 イズマの発言にシオンが鋭い目を向けた。
「なんだと?」
「腐っても降臨王。坊やの、にわか戦術なんて、お見通しってことも、って話です」
 シオンの視線など、どこ吹く風といった様子でイズマは手元の呪具を数えなおしていた。口調は極軽だが、炎の壁が切れるタイミングを計っているのは明白だった。

「知っていたのかッ。知っていて、行かせたのかッ!」
「んなわきゃないでしょ。そこまで読めれば、ボクがグランになれますって。ただ、それぐらいの保険、王たる者はかけてるんじゃないですかね、と」
「貴様ッ、悪党め! アシュレを捨て駒にしたな」



 シオンのそのセリフに前方を見据えるイズマの瞳が鋭いものになった。口調に暗い響きが乗った。姫、と確認を取るようにつぶやいた。
「共闘の申し出を受けたとき、ボクぁ言いましたよね、はっきりと。ボクたちを《そうする》力の源を叩き潰す、と。そのためなら、ボクは手段を選ばない、と。ボクはそのようにしているだけです」
 それからね、とシオンを睨みつけて言った。
「どう誤解されてもけっこうですが、ひとつだけ、はっきりさせときますヨ。ご指摘通りボクは悪党かもしれませんが、仲間を売るような小物じゃない」
 その言葉の鋭さに、シオンは気圧された。

 そのときだった。姫ッ、とイズマが叫んだ。

「来るッ」
 数秒遅れて、地鳴りがした。地震と勘違いしてしまうほどの。そして、炎の壁が効果時間を過ぎて消滅し、戦場がふたたび姿を表した。
 地獄の淵から召喚された長い無数の口を持つ触手を、グランの黒雲が押し返していた。グランの技・《エクスターミネーション・イルネス》に相違なかった。猛威を振るった触手によって骨たちは総崩れになっていたが、その端から新たな軍勢が甦りつつあった。そこへ、地鳴りの正体が突如として割けた〈パラグラム〉の釜の底から転がり落ちてきた。

 それをなんと形容すべきだったろう。

 シオンの目には、グランがたったいま退けた地獄の生物を、悪意を持ってよりいっそう凄惨に組み上げ直したような姿に映った。
 同種の浅ましさとそれに倍する敵意――この世界のあらゆる他者に対する――が全身から瘴気となって噴き出していた。
 ヒドラとおぞましい深海の生物と、そしてヒトの臓器とを練ねり合わせ、その醜さだけを肥大化させたような存在がそこにはあった。
 
 生まれ出でたことそのものを怨嗟するような声でそれは啼いた。胸の悪くなるような怨恨に、硝子(ガラス)を刃で掻いたような不快さを何百倍も増強した聞くだけで精神にヤスリがけされるような声だった。全身に無数に空いた穴は乱ぐい歯を備えた口か瞼で、その奥にある目はひとつの例外なく白濁し腐汁を流し続けていた。




「なんだ、あれは」
「姫、こっち、いまのうちです」



 めざとくイズマがシオンの袖を引いた。
 戦場は混乱していた。新たに〈パラグラム〉より現れたバケモノは、敵味方の区別なく、いや、むしろグランとその軍勢を敵と見なし攻撃を仕掛けているようだった。
 ふたりはアシュレが使った高台へ避難した。途端にヴィトライオンが泡を噴いて座り込んでしまった。限界だったのだ。
 イズマが革袋から水を飲ませてやる。気休めだがないよりはマシなはずだった。羊は相変わらずフラフラとしており様子が掴めなかった。


「ぐえええええっ、あいつ、死体で冠を編むつもりか」
 おええ、とイズマが悪態をついた。バケモノは右腕を鞭のように振るいグランと対峙しながら、無数の副腕で頭部に周囲に散らばる骨を編み上げていった。それはたしかにイズマの指摘通り冠に見えないこともなかった。

「《ねがい》が暴走しておるのか」

 顔を蒼白にしてシオンが言った。よくよく見れば、バケモノにはヒトの名残りが感じられた。その怨嗟の声も、人語のようではあった。二人は知らぬことだが、このバケモノこそナハトベルグの成れの果てであったのだ。

「〈パラグラム〉のせいだ」
 イズマがうめいた。いくらなんでも、やりすぎだ。怒りと呆れがないまぜになった声だった。
「イズマ、貴様が《そうする》力に抗おうというのは、もしや、このことに起因しておるのか」
 眼下の惨状を見下ろしながらシオンが言った。ナハトの成れの果て、暴走した《ねがい》の因果と、グランという偉大な王の残骸――ともに夢の残滓に目をやりながら、シオンが言った。
「――そうだ。シオンザフィル。夜魔の姫よ」

 膝立ちになり、同じように惨禍の嵐を見守りながらイズマは返した。シオンはイズマという男の本性をやっと見た気がした。口調が完全に変じていた。問うた。

「もしや、そなたには、われらが夜魔や土蜘蛛といった種族が、どうしてそうなったのか、その見当がついておるのではないか」
「なにによって《そうされた》のかなら、姫のご推察のとおり」
「なぜか、もか」
「ご明察です、姫」
 もっともこれは、わたしの当て推量ですが。拮抗するふたつのバケモノ同士の争いを見下ろしてイズマは答えた。ざくり、と刃が岩肌に突き立つ音がした。途端に荊が茂りイズマとシオンを辺りから隠す。
 シオンが〈ローズ・アブソリュート〉の顕現を解いたのだ。


「手を貸せ。時間がない」
 イズマはシオンの意を汲んで立ち上がると馴れた従者の手つきで〈ハンズ・オブ・グローリー〉を外すのを手伝った。

「行かれるので?」
「これほど待って返事がないなら、相当に困った事態に陥っておるはず。アシュレが《ねがい》に翻弄されておるなら、助けがいろう」

 わたしの責任だからな。決然とシオンは言った。
「アレが、アシュレの成れの果てだとは思わないんで?」
 イズマは茂みの隙間から見える怪物を指さした。
「なぜかな、まるでそうは思えん。そういうオマエはどうなんだ」
「さて、なんとも。姫の使い魔は、どうなんです?」

 イズマの指摘に、憶えておったか、とシオンは笑った。だから落ち着いていられるのだろう、とイズマ言っているのだ。

「めざとい男よ。そなた、目端だけは本当に利くのだな」
「生きているので?」
「それは間違いない、が……ヒラリのやつ、寝ておるようだ。呼び出しに答えぬ。普通はありえぬことだ。……なにか起こっているな」

 武具を頼む。シオンはそう言うと〈ハンズ・オブ・グローリー〉を放った。白銀の装甲がアシュレの残した槍・〈シヴニール〉に触れて音を立てた。

「行ってくる。ここを死守できるか」
「状況次第ですが、粘ってみましょう。やばけりゃ逃げますが、それはご容赦を」
「そなたの騎士ぶりを期待しておる」

 それだけ言い残すと、シオンは《影渡り》を使った。
 自らを影と化しその中を自在に移動する簡易的な短距離転移法だった。夜魔独自の技。だが、聖遺物を携帯したままでは使用できないため、現在のシオンは徒手空拳と言ってよかった。
 危険きわまりない賭けだった。
 
 だが、シオンは躊躇なくそれにすべてを賭けた。


        
 
 ちょうどそのころ、アシュレは最悪の目覚めを体験していた。
 まるで鳥の巣のようにシーツに囲われた寝台にひとり、転がされていた。
 夢幻のなかにあったあの陶酔は跡形もなく消え去り、酷い吐き気がした。わけもなく苛立ちや嫉みや恨みつらみが胸の内で湧き上がった。それはアシュレ自身の記憶を借りて、別のだれか、不特定多数がそれを発露させているようにアシュレには感じられた。悪意に嬲られる気分だった。冷たい汗がとまらなかった。


 アシュレはそのひどい苦痛のさなかで、徐々に記憶を取り戻していった。
 
 ナハトとの死闘。グランとの邂逅。アルマ、ユーニスとの再会。悪寒と痙攣。〈デクストラス〉を備えた腕を持つ〈パラグラム〉。光の濁流に呑まれたこと。注がれる無制限な生の《ねがい》。それから――理想の娘との逢瀬。王であった自分。
 きっとその過程で自分のなかにあった尊いもの――《ねがい》の上澄みはすでにどこかへ流出してしまったのだ、とアシュレは得心した。だから、いまの自分は夢の搾りかす、澱の塊なのだ、と。夢の持つ負の部分を負わされた生贄なのだと。


 がちがち、とひどくなる一方の悪心にアシュレは身を震わせた。きっとだれかにぶつけてしまえば、もう少し楽になれただろう。物に当たり、ヒトを打ち、あるいは斬り殺し、女を組み伏せ犯し抜けば、あるいは。

 だが、そんなことをするくらいなら自刃したほうがマシだとアシュレは思った。
 それなのに、なぜ自刃せずにいまだ自分はこんなところに埋もれているのか。
 考えようとすると、ガンガンと頭が軋んだ。アシュレはのたうち回った。苦しみに胸を掻きむしりそうになって、柔らかいものに触れた。そこに、小さな生物がいた。


「ヒラリ」

 アシュレはひどい痛みのなかでそれを両手で抱いた。すうすう、と信じきった様子でヒラリは眠っていた。泣き笑いに涙が出た。シオンを思い出した。シオンが手渡してくれた分身は、肝心なときに安心しきって眠っていた。
 大胆不敵に相手を信じてしまう夜魔の姫と、ヒラリはなるほどそっくりだった。アシュレが悪心の虜になってこのまま自分を握りつぶしてしまうなどと、考えさえもしないのだ。


 アシュレはその柔らかさを支えに、苦痛の海を泳ぎきろうとした。

 だが、途端にグランの顔が頭のなかいっぱいに広がった。ごまかしようのない怒りと憎しみが湧いた。それにアシュレのなかの《ねがい》たちが便乗してきた。
 抑え難い破壊衝動にアシュレは怯えた。《ねがい》たちはアシュレの憎悪に一見追従するようでいて、その実、アシュレを《そうする》力だった。どうしようもなかった。このままではグランのように、アシュレもまた《悪》を引き受ける者にされてしまう気がした。
 唐突に理解した。グランの末路を。彼を《そうしてしまったもの》の正体を。イズマが警告してくれていたではないか。《そうする》力。それこそが敵なのだと。


 涙が止まらなかった。どうすればいいのか、アシュレにはわからなくなっていた。

 だれの《ねがい》がグランを《そうした》のか、アシュレには、はっきりとわかってしまったのだ。偉大な降臨王に奇跡を観、救国を《ねがった》すべてのものたちが、その主犯だった。
 悪心に乗っ取られてしまいそうだった。内側からはじけるように力がかかっていた。《そうする》力に相違なかった。

 だれかに助けを求め、弱音を吐きそうになった。その瞬間だった。

 清涼な空気がアシュレの鼻腔を通した。陸に上げられた魚のように喘いでいた呼吸が一瞬、楽になった気がした。帳のうちに、バラの花が咲いたようだった。

 とさり、と遅れて音がした。

 瑞々しい花束がアシュレの腕のなかに飛び込んできた。

 
 あ、あ、あ、とアシュレは唇を震わせてその花束を抱きしめた。強く抱き返された。花束はシオンだった。はじめて身を重ねた法王庁でのあの夜よりもシオンは強く香った。

「《ねがい》にあてられたな。グランめ、〈パラグラム〉をヒトの子に振うとは」

 抱擁をほどき、シオンがアシュレを覗き込んだ。身を離されると悪心が戻ってきた。アシュレは腕に力を込めた。ぶるぶると唇が震えた。うん、とシオンが頷いた。

「アシュレ、よく聞くがよい。そなたはいま、《ねがい》にあてられておる。〈パラグラム〉に溜められ、〈デクストラス〉によって打ち込まれた無数の《ねがい》が、そなたを《そうする》べく、その身のうちで渦を巻いておるのだ。負けるでない。自らを強く持つがよい。さもなければ、いかなる姿にあいなるか、見当もつかぬ」

 アシュレはかろうじて頷いた。たったそれだけのことに驚くべき《意志》の力が必要だった。うわごとのように自らに振るわれた所業の一切を説明した。途切れ途切れに、たどたどしく。それらは時列があっておらず、混乱していたが、伝わった。

 シオンは頷き、噛んで含めるように、ひとことひとこと言った。
「そなたに打ち込まれた多数の無責任な《ねがい》は、言い換えれば責任の取りようのない夢想なのだ。御すにはそなた自身が主となる他にない」
 アシュレは濁流に溺れる者のようにシオンの腕を取った。すでに限界までアシュレが耐え続けてきたことはシオンにもわかっていた。

 すまぬ、とシオンは謝罪した。つらすぎるな、と耳打ちした。

 にげてくれ、とアシュレはシオンに言った。このままではボクは《悪》の代行者に堕ちてしまう。キミを、どうしてしまうかわからない。そうなるまえに、ボクは自刃する。アシュレは血を吐くように言葉にした。

「だから剣を、せめて剣をくれ。もう、保たない。はぜてしまいそうなんだ」
「ならぬ。簡単に死のうなどと思うでない。ともに戦うと誓ったこと忘れたわけではあるまいな。そなたを《そうさせ》はせん。わたしの誇りにかけて」

 アシュレは呆然とシオンを見た。

「いずれかを選ぶがよい。どちらを選んでもそなたは助かる。わたしが助けてみせる」
 決然とシオンは言った。だが、その身体が震えていることにアシュレは気づいた。

「飽和した“夢”を外に吐き出すのだ」
 どうやって。目だけでアシュレは問うた。
「忘れたか。我らが夜魔は“夢”を喰らうものぞ」
 アシュレの瞳に動揺が走った。

「一つは、そなたの推測通り、わたしに血を捧げ、眷族となることだ。その身に打ち込まれた夢のことごとくを喰らい尽してくれよう。そのかわり、そなたはわたしの血を飲むのだ。それで取引は完了する。そなたはわたしと同じ、夜を歩むものとなる」
 真祖の娘の直系だから、純粋なデイ・ウォーカーは無理でも、陽光にさえかなりの耐性を持つ夜魔になれるであろうよ。
 アシュレは震えた。己の中で《ねがい》が暴れ回り、判断がつかなかった。

「いやか」
 シオンの瞳が感情に揺れているのをアシュレは見た。であろうな、とシオンは独りごちた。
 つぎの瞬間、シオンが身体を預けてきた。


「ならば、選択の余地はない」

 アシュレを見上げて腕のなかから言った。

「強いるがよい。わたしに。そなたのなかの《ねがい》のすべて、悪心の源のすべてを。……射込むが……よい。ぜんぶ――ぜんぶ、受けとめてみせようから」

 シオンの身体から力のすべてが抜かれた。観念した獲物のように、ちいさく震えて。アシュレは自らのなかで荒れ狂う昂ぶりを意識した。それは理性の制止をなどたやすく引きちぎる、手負いの狂獣のごときものだった。

 アシュレにできたことは、ただ強くシオンを想うことだけだった。



 気がつけばシオンを組み伏せた姿勢のまま、折り重なるように伏せている自分がいた。シオンに背後から強いたまま、アシュレは意識を失っていたのだ。どれくらいそうしていたのか、見当もつかなかった。両手を強く握り合っていた。
 ゆっくりと身を起こしたとき、ようやく周囲のありさまが目に飛び込んできた。

 引き裂かれた衣類とレースが、踏みにじられた花束を思わせた。血痕がそこここにあった。間違いなくアシュレ自身のしわざだった。うん、とシオンがアシュレの下でちいさく身じろぎした。染みひとつない剥き身の卵のようにすべやかな肌がそこにはあった。

 名を呼び、身を重ね、アシュレはシオンをいたわった。

「アシュレ……現世(こちら)に……帰ってこられたか」
 まだ夢の中にいる口調でシオンが言った。
「また、助けてくれたんだね」
「もとはといえば、わたしの責任だと言ったはずだ」
 すまなかった、とシオンが謝罪した。
「夜魔と――バケモノと肌を合わすなどと……おぞましかったろうに」

 あぜんとするアシュレの下でシオンが言った。まるで、自身の悪行を悔いるように。

「ぜんぜん。ぜんぜん、いやではなかった」
 自分でも驚くほど大きな声が出た。驚いたシオンが振り返った。見開かれた瞳が揺れていた。
「きれいで、かわいらしくて、愛おしかった」
 言葉にするたびに、どうしようもなく愛おしさが溢れてきた。気持ちの偽りようがなかった。

 照れたようにシオンが顔を伏せた。それから、遠慮がちに言った。


「アシュレ……その……まだ、繋がっておるのだ。あまり、その、そんなに、されると」
 わたし、と身を反らしてシオンが身を震わせた。
 アシュレもまた、シオンの肉体に同調してしまった。




「これほどの量の《ねがい》に、よく耐えた。つらかったであろう。さすが聖騎士だな」
 どこかよそよそしい口調でシオンが言った。アシュレはせき立てられるように衣類を身につけた。シオンはシーツを身体に巻きつけていた。再利用できる着衣はなかった。

「一人の人間にこれほどの《ねがい》が注ぎ込まれたなら、普通は人格を保っておられぬはず。それどころか変形(へんぎょう)を遂げておってもおかしくはない。そなた……断じてこれは世辞ではないぞ」

 そのような所業を人の子に強いるとは。グランめ、やはり許してはおけぬ。宙を睨み、シオンは独りつぶやいた。なにか、無理やりにでも踏切りをつけようとする態度だった。

「シオン、ごめん。それから……ありがとう」
 アシュレはその背中に謝罪し、改めて礼を言った。それからシオンを案じた。アシュレの気分は、爽快といっていいほどだった。悪心のことごとくが去っていた。だが、その源である《ねがい》を、こんどはシオンが引き受けていた。身を案じるのは当然だった。

「キミは、だいじょうぶなの?」
 アシュレの問いに、シオンがちらとこちらを見た。
「……それは……わからぬ」
「わからないって……」

 アシュレは蒼白になった。恐れていた通り、シオンはアシュレのために、その身を投げ打ってしまったのだと考えいたって。

「前にもすこし話したが、我ら夜魔は“夢”を糧にしておる。逆に言えば、注がれた夢は我らを形作る。そう言ったな。――これほど多量なら、影響がないとは言えぬだろう」
「ボクの責任だ」

 急き込んで言うアシュレに、シオンは見返りながら微笑んだ。

「たしかに。だが……そなた、行為のさなか、ずっとわたしを想ってくれておったな」
 なぜ、わかってしまったのか。アシュレは言葉を失ってシオンを見た。
「わたしは高貴な夢を厳選する、と言ったであろう。味にはうるさいぞ」
 ふふ、と笑いシオンが言った。

「そなたのなかで荒れ狂う《ねがい》のカタチのままなら、たしかにわたしでさえ危うかった。あれはほとんど毒液だ。だが、そのすべてにそなたが介在してくれていた。わたしへの想いで、護ってくれていた。だから、耐えられたのだ」

 ありがとう、アシュレ。シオンが頬を赤らめてつぶやいた。

「しかし、あれだな。ヒトの女性というものは大変だな、あのような求めにも献身的に応じねばならぬのか。うむ、異文化とはいえ、感服するところがあった」
 はじめてのことばかりゆえ、いたらぬところもあったであろうが、許すがよい。なるべく、そなたらの文化を尊重したつもりだが。シオンが、さらりととんでもないことを口走った。

 アシュレは改めて自身の行いを思い出し、青くなったり赤くなったりした。シオンとの間に、文化的誤解を生じさせてしまったことに焦りまくった。だが、その誤解を解くための余裕は、シオンの発言によってあらかじめ奪われていた。それは重大な四文字だった。

「はじめて」

 アシュレは阿呆のように繰り返し、固まった。その様子が抜け穴でのイズマそっくりだったことは、ここだけの話だ。

「粗相は許されよ。緊急事態だったゆえ。殿方に恥をかかさなかっただろうか?」
 シオンが向き直り深々と頭をさげた。シオンが公女であることを認識し直した。

「ぶ、文化的な質問ですが」
 バカのようにアシュレは言った。うん、とシオンは頷いた。
「夜魔の一族における婚前交渉とは」
 ん、とシオンは虚を突かれた顔をし、それから火がついたように顔を赤らめて言った。

「き、厳しいぞ」
 やはり、とアシュレは汗をかいた。頭頂からいやな感じの汗が垂れた。
「その……結婚してしまえばほとんど放任とでもいうべき状態になるのだが……だいたい、他の家の妻に孕ませるのが文化的に流行であったりするくらいだからして――略奪愛こそが真の愛だとかなんとかかんとか……わたしは、そういうところも夜魔を好かん理由なのだが、婚前はその反動ともいえるほど、厳しい」

 ごにょごにょと聞き取りにくい口調でシオンはレクチャした。

「ど、どれくらいでしょう、か。厳しさは」
「階級にもよるだろうが」
「た、大公家は」
「イフ城地下での無期限の拷問か、婚姻か、いずれかだ。夜魔において死は一種の救いにさえなるゆえ、相手が他種族の場合、わざわざ下級の下僕に堕してから拷問に処す場合もある」
 あ、安心せよ、わたしはすでに大公家とは関わりない身、そんなことにはならんし。
「こ、このことは二人だけの秘事ゆえ」



 シオンがアシュレを安心させようと手を振って言った。だいたいこんなものは、一夜の過ちと思うて忘れるのがよい。人生にはつきものぞ。はじめてだというシオンが人生訓を垂れた。

「そ、それに夜魔はたいていの傷を瞬時に復元する。い、意味はわかるであろう。その、つぎはまた生娘というわけで」
 あきらかに動揺してシオンが言った。うわずった声で、な、なにを言っておるのだわたしは、と自らに突っ込んだ。

 かちこち、という音が聞こえるくらいアシュレは硬直した。


「あ、アシュレ、だいじょうぶかや?」
 本人も動揺しているのであろう、宮廷での言葉づかいでシオンが訊いた。かくかく、と糸の切れた人形のようにアシュレは頷いた。
「では、よいな。時間がない、参ろう。靴と盾を忘れるでない」

 二人は寝室を抜け出し、前庭を目指した。







さて、ようやくお届けできました「燦然のソウルスピナ:十六夜・理想の果てに・2」
いかがでしたでしょうか?

シーン割りの関係で、今回は特別に長く複雑な構成になっています。

デクストラスに貫かれ、強大な《ねがい》にあてられてしまったアシュレ。
ユーニスとアルマは融合体となり、そのアシュレに更なる理想を願います。

そして、そのアシュレを救うため単身飛び込むシオン。

一方で同じく《ねがい》の虜となったナハトは醜悪な
《ねがい》の下僕として
主人公たちの前に立ち塞がります。

そして、グランはその全ての決着を受け止めるべく「悪」としての役割を
請け負います。

さて、この戦い、どう決着するのか?



残すところあと三回となった「燦然のソウルスピナ:第一話」

年内の決着を目指し、進軍します(匍匐前進で)


では、まちがいなく近いうちにお会いしましょう!!



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