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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

燦然のソウルスピナ 第三話・第二夜:修練場と手紙

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燦然のソウルスピナ 第三話・第二夜:修練場と手紙




 底冷えのする訓練場に呼気が白い。

 アシュレは敷き詰められた砂に足を取られぬよう慎重に間合いを計る。
 練習着は汗とそこに付着した砂で汚れている。寒さは感じない。むしろ熱気で湯気が全身から立ち上っている。呼吸を整える。
 相対するシオンの胴着は対照的にまっさらだ。呼吸は平静で、呼気の湯気さえ確認できない。柔らかい砂地の上にいるのに、その足跡さえ残さない。自然体なのだが、その立ち姿に、どこにも隙を見出せない。

 こうして相対していると焦燥ばかりが募っていく。
 アシュレは意を決してシオンにタックルを敢行した。

 もちろん掛け声などしない。
 そんなことをするのはよほどの間抜けか、戦場で怯懦を払う時だけだ。


 会心の入りだった。相手の腰から下を狙う超低空のタックル。シオンの瞳には、一瞬、アシュレがかき消えたように見えたはずだ。

 疾風さながら、アシュレがシオンを捕らえる。

 シオンの身体に触れた、とアシュレが思った瞬間だった。
 まるで羽毛が斬撃を自然に躱すように、ふうわり、とシオンの身体が回転しながらアシュレの進路から外れた。躱しようのないタイミング、間合いだったはずなのに。

 次の瞬間には脚を払われ、アシュレは砂地に頭から突っ込んだ。おかげで口一杯に砂を噛んでしまった。
 たまらず吐き出しながら仰向けになる。熱い、呼吸が苦しい。

 その腹上に、どすっ、と柔らかなものが落ちてきた。シオンだった。

 そこは鍛えた聖騎士の肉体であるから、さほど堪えはしなかったが、周囲にギャラリーがいればかなり恥ずかしい状態だっただろう。

「そなた、格闘技の成績、あまりよくなかったのではないか?」
 出し抜けにシオンが言った。
「ぐっ。……なんでわかるの?」
「真っ正直すぎる。得物がないだけに素手での格闘戦は駆け引きがより重要なのだぞ。虚々実々とはまさにこのこと」
「ボクの成績が悪かったのは認めるけど、シオンの動きが訳わからなすぎるんだよ。さっきだって、捕まえた、と思ったのに」
「格闘技では体躯の差がもろに出る。それが定説であり、また一面では覆しようのない真理でもある。けれども、力とその流れを理解することで、その真理を覆しうる技法もあるということだ」

 ゆらゆらとシオンは掌を天に向け舞い落ちる羽毛のように躍らせた。

「羽毛や綿毛だってそうであろう? 力任せに掴もうとすると逃げてしまう。そっと手を添えて受け止めてやるほうが、掴みやすい。そういうこともあるということだ」
 女心もおんなじさ。くすり、とアシュレの腹上でシオンが笑った。

「真っ正面から受け止めたのでは身がもたんこともある。そういうときは流れに手を添えて、方向を変えてやるのさ」
「理屈はわかるんだけど、こう、向かっていく側としてはさ、どうしたらいいんだろう」
「焦りが挙動に出ておるよ。気持ちは……わかるが」

 イリスのことであろ? とシオンが言外に言った。
 うん、とアシュレは曖昧に答えた。

 アシュレは一月半ほど前に瀕死の重傷を負った。
 はるか昔、ファルーシュ海の東の果てに遺棄されたはずの邪神・フラーマとの死闘を演じた、その結果だった。


 いや、もし、いま腹上でアシュレにレクチャする夜魔の姫・シオンが胸を断ち割り、その臓器をわかち与えてくれなければ、アシュレは完全に死んでいた。戦いが決着したそのとき、アシュレの右腕はなかば炭化し、胸は文字通りはぜ、心臓は消し飛んでいたのだ。

 シオンはそのアシュレに、己の危険も省みず強力な異能の力を振るって命をわけ与えてくれたのだ。夜魔の真祖の娘であるシオンであるならば、死に行くアシュレの血を啜ることで下僕として生かすという、もっとずっと安全で確実な手段があっただろうに。

 おかげでアシュレは夜魔の下僕に堕ちることもなく、絶望的な死の縁から生還した。

 もっともそれは半魔半人として再生されたということでもある。もはや、アシュレは正しい意味での人類ではない。
 その証拠に、瀕死だった肉体はたった数週間で全快した。

 それでもそれほどの時間を傷病者として過ごしていれば、戦闘の勘は確実に鈍る。
 騎士や戦士たちが日夜訓練に余念がないのは、なにも民衆にその存在意義を見せつけるためばかりではない。あらゆる職業と同じで、戦闘技能もまた、放っておけば錆びついてしまうデリケートな代物であるということだ。


 たゆまぬ鍛練は道具の手入れと同じ。それは《スピンドル》能力者であってもかわらない。

 だから、アシュレはここ一月以上、鈍りきった肉体を研ぎ直すことに費やしてきた。
 さずがに訓練で《フォーカス》を使用するわけにはいかないから、乗馬や戦技、そして登山に夜間の市中を使った探索行というメニューがアシュレの日課だった。


 その相手をシオンが努めてくれた。

 普段、聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉を佩き、強大な範囲攻撃によって敵戦力を壊滅させるシオンの印象ばかりあったアシュレは、ここ一月で彼女がそのほかのあらゆる戦技に恐ろしく熟達していることを知った。
 馬術でだけ、アシュレがわずかに勝る程度。それも愛馬・ヴィトライオンのおかげだと自覚があるから、竜槍:〈シヴニール〉と聖盾:〈ブランヴェル〉なしでは、アシュレはこの可憐な姫君にほとんど勝ち目がない。


「そなたとでは年季がちがう。そう気落ちするな。四百年の生、そして夜魔の歴史の重みがそなたの腹上にはあるのだ。簡単に勝たれてもらってはこまる」
「まいった。ぜんぜん勝てる気がしないよ」

 アシュレは肩で呼吸しながら、正直な感想を述べた。
 シオンは時間の問題だと言ったが史上最年少の聖騎士、つまり自覚はなくとも間違いなく希代の天才であるアシュレは、そうではないことを、もちろん見抜いていた。


 あらゆる技術はたゆまぬ修練の積み重ね。
 気の遠くなるような時間投資の結晶だ。打ち負かされた悔しさはなくはないが、純粋な敬意の前ではなにほどのものでもない。


 たしかにシオンのセンスは天稟のものであった。
 だが、それを長い時間をかけシオンは磨いたのだ。努力する天才にはかなわない、とアシュレは思う。もちろん、その自分こそが世間では「規格違いの天才」と見なされていることは知りもしない。


「アシュレ」と腹上のシオンがなぜか頬を染め、そっぽを向いて呼びかけてきた。
「ん? どしたの?」
「そのだなっ、好意や敬意が伝わりすぎて、胸が苦しい。あまり想ってくれるな。平静を失いそうだ」

 そうだった、とアシュレは了解した。
 瀕死からの生還以来、アシュレとシオンは心臓を共有している。普通に考えればありえないことだが、極限の異能、《スピンドル》が呼び覚ましたそれは、ときとしてそのありえない奇跡を引き寄せることがある。


 次元捻転的二重体、というのだとイズマが解説してくれた。あやとりのヒモを捻じったりして、かなり具体的なレクチャだったのだが、正直言ってアシュレにはさっぱりだ。

 だが、はっきりとわかることもあった。それは、あの日以来、アシュレとシオンの間には超常的なリンクが生まれているということだ。考えが読める、というのではないのだが、互いの感情の動きが相手に伝わってしまう。
 こんなふうに触れ合っているとなおのことだった。

「ご、ごめん」
 アシュレが慌て、シオンは腰を上げた。そっぽを向いたまま、それなのに無言で手が差し出される。アシュレはその手を握った。ぽかぽかと温かかった。

「さきほどまでは、イリスのことが心に引っかかっておっただろう?」
 アシュレを助け起こしながら、シオンがもう一度、訊いた。図星だった。
 こんどは、アシュレも素直に認めた。

「ひどく辛そうだったからね。それなのに、そばにいてやることさえできないなんて」
「しかたあるまい。そばにいては症状が悪化するとあっては。それに、あまり案じすぎるな。あれは病ではないゆえに。むしろ、めでたいことぞ? まあ、新郎が我が子を宿した新婦を想うのはしかたのないことだがな」

 うん、とアシュレは頷く。そうだね、とつぶやいた。自分を納得させるように。

「ボクが父親か――はっきり言って実感がないよ」
「子供のような顔をして、とんだ色事師だこと? 憶えがないとはいわせんぞ?」

 シオンの唇に艶っぽい笑みが浮かんで、アシュレはたじたじとなる。アシュレとイリス、そしてシオンの三人の関係が普通のものであるのなら、なにもこれほど動揺することはなかっただろう。
 だが、そうではないから慌てるのだ。なにしろ、アシュレはこの美しい夜魔の姫とイリス、そのふたりと妻妾同衾の仲なのだ。


「……やっぱり、ボクは火刑台送りだ」

 これまでの経緯を思い出すにつけ、アシュレはのたうち回るような懊悩、煩悶に襲われるのだ。
 不貞どころの騒ぎではない。不実を責められ、ふたりに八つ裂きにされてもしかたがないとアシュレは思うのだが、シオンもイリスもそんなアシュレを好いている、とまじまじと言うのだ。男冥利に尽きるといえばそうだが、それは素直には受け入れがたい評価であるのもまた事実だった。


 すくなくとも大多数の女性、もちろん男性からも糾弾されて当然だ。

 けれども、どこをどう間違ったものか、そんな迷図に迷い込んでしまう者たちもいるという話だ。人生は正か否か、邪か聖かで割りきれるものではない。
 ない、と信じたいアシュレだった。

「それで婚約は発表したのか?」
「うん、ダシュカマリエ大司教とノーマンには伝えた。イズマも知っているし、周囲への告知は聞かれればするけれど」

 その証拠に、腹上のシオンはふつうなら嫉妬や憎悪に怒り狂うところだろうに、逆にアシュレの決断を称賛さえしてくれた。手を取り合えば、感情の動きが伝わってくるのだから互いに嘘のつきようがない。まぎれもなく本心だった。

「挙式は?」
「イリスの容体が落ち着いたらすぐに挙げるつもりだよ。安定期に入ると治る……はずだよね? つわりって」
「の、はずだがな。ふつうなら」

 トレーニング・グラウンドには四隅に暖気用と照明を兼ねた篝火用のポールが用意されている。だが、それは気休め程度だ。岩山をくりぬいて作られた練習場の採光窓から、はらりと雪片が舞い落ちてきた。
 

 アシュレはそれに気づき、掌をかざした。真っ白なそれはアシュレの上気した掌に舞い降り、またたく間に溶け消える。かすかな滴となって。

「ふつうなら、か」
 アシュレのつぶやきには、どこか言い知れぬ不安が含まれていた。
「〈デクストラス〉と〈パラグラム〉のことだな」

 そのアシュレの不安をシオンは言い当てる。うん、とアシュレはまた首肯した。

「滅亡したイグナーシュ王国、その王家の墓で、ボクは《ねがい》を射込まれた。《ねがい》を溜め込む器:〈パラグラム〉に充填されたそれを、《ねがい》の切っ先:〈デクストラス〉によってこの身体に注がれたんだ。無数の人々の《ねがい》の作用によってボクはボクではないものに変異しかかっていた」

 そして、アシュレにその所業を強いたのは他でもない。イリス本人だった――いまは、その記憶を失っている。シオンはアシュレを除けば、その一部始終を知っているただひとりの存在だ。

「運命を凌駕しうる王として、か」
「人々を善導し《救済》しうる存在の父親として、ね」

 記憶を失うより以前に、イリスは――王女:アルマと幼なじみ:ユーニスの融合体としての記憶持ったまま――そのためにボクと交わった。
《救世主》をこの世に生み出すために。変えられぬものを変えるために。巨大な堅固なものを変革するために。

「〈デクストラス〉も〈パラグラム〉もともに、強大すぎるほど強大な《フォーカス》だった。そこから注がれたおびただしい量の《ねがい》の容器に、あのときボクはされたんだ。あれは強力な《ちから》だった。運命すらねじ曲げかねないほどの《ちから》。だとすれば、イリスが宿した子供が、あの夜のことが無関係であるとは思えない。無意味であるはずがない」

 なかば断言するアシュレをシオンはまっすぐに見た。

「《ねがい》のすべてが、悪いほうに傾くとは限らんのだぞ?」
「その《ねがい》とシオン――キミやイズマは何百年も戦い続けてきた。なぜだい?」

 それは、無条件に、無制限にねだるだけで叶う――そうして、だれかにそのつけを背負わせる《ねがい》が、結果としていったいだれをどうするのか、なにを押しつけて《ねがい》を成就するのか、シオンもイズマも身をもって知っているからじゃないのか。

 そうアシュレは問うたのだ。


 けれどもシオンは答えなかった。アシュレを気づかったのだ。イリスのなかに宿った命を、場合によっては敵としてくびらなければならぬ可能性を、言葉にはできずに飲み込んだのだ。

 ただ、静かに微笑んだ。悲しい笑みだとアシュレは思った。

「すまなかった。気休めを言った」
「いいんだ。イリスのことはボクの責任でもあるんだ。だから、ボクはイリスを生涯の伴侶とする。そして、その結果がどうであれ、真っ正面から受け止める。そして、もし必要があるなら――」

 決意を口にしかけたアシュレの唇をシオンの指先が止めた。
 それは、そのもしも、が来た時でよいというサインだった。

「黙っておれ。だが、その時には必ずわたしもかたわらにおるからな。そなたと、ともに戦うからな。相手が運命そのものだろうとも。最後まで」
 シオンの深い紫色の瞳がアシュレの鳶色のそれを覗き込んだ。
「たどり着けるところまで行ってみようぞ」

 そして、忘れてもらっては困るがそなたに注がれた、その《ねがい》の半分を受け止めたのは、このわたしなのだからな。
 アシュレを元気づけるためだろう。胸を張り、はっきりと笑みのカタチを取ったシオンの唇に、アシュレは吸い寄せられるように己のそれを近づけようとした。

 そのときだった。

「行くよ~行きますよ~、ボクちんもご一緒しますよ~、姫ぇ~」
 背後の扉が開き、のんきな調子でイズマが入ってきた。
 はー、とシオンがため息をつき振り返った。

「んんー? どーしたんですか? ふたりで格闘技の練習かな~? 寝技の? ふたりっきりで寝技の練習? いーけないんだー、エロいんだー。なーんてそんなこと言っちゃったりしてみてからに!」

 余談だが、イズマはイリスとアシュレの関係は知っているが、シオンとアシュレが相思相愛であることは知らない。
 ちなみにイズマはシオンを盲目的に愛していると公言してはばからない。件の次元捻転的二重体であることを知ってなお、それは変わらないと断言するのだから、首尾一貫という意味では通りすぎるぐらいスジの通った男だった。


「まー、アシュレのそのなりをみると、一方的すぎて話にならないって感じだけどね~」
「ちょーどよいところにきた」

 シオンが棒読みで言った。
 アシュレとの口づけを邪魔された苛立ちが言葉の端にちらちらと乗っているのだが、イズマは気づきもしない。よいところにきた、という言葉の意味をそのまま受け止め、軽薄な笑顔をさらに広げた。


「でしょでしょ、ナイスでしょ? ボクちん、タイミングを間違えるということはしない男でしょ? ベリーナイスなタイミングでしょ?」
「ナイスナイス、ベリーナイスだな」
「ちょっと待っててくださいねー、着替えてきますから。お相手、替わりますよ。やっぱアシュレくんじゃ、まだちょっと姫のお相手はねー」

 ものすごい勢いで勘違いし、イズマは手にしていた手紙をシオンに渡すと稽古着に着替えに行ってしまった。

「うるさいのに捕まったな」
 あきれて果てて、その後ろ姿を見送る。アシュレはそう言うシオンの肩に毛皮のコートを無言で羽織らせた。はるか北方、黒曜海のさらに北側から送られてきたのだというクロテンの毛皮を丁寧に継ぎ合わせたそれを、アシュレはシオンに贖った。

 襟元には特に柔らかな毛質のこちらは白い毛が使われていて、どこかシオンの使い魔であるヒラリを思わせる。イリスには色の配分が逆転しているものを送った。装飾にはさまざまな鳥類の羽が使われていて、シオンをその化身のように彩っている。

「イズマにはボクの相手をしてもらうよ」
「練習熱心なこと」
「市街地や人口の密集している場所では〈シヴニール〉は使えない。隠密にもまったく向いてない。雷みたいな閃光と轟音で嫌でも居場所が知れてしまう。敵がボクらにとって有利な交戦点(エンゲージ・ポイント)を選んでくれるとは限らない。むしろその逆の方がずっとありうる。この間、フラーマの漂流寺院で思い知ったよ。特にボクらはいま、お尋ね者の潜伏中なんだ。静かな戦い方も学んでおかないと」
「よく考えておるではないか」
「大事なヒトを護れない騎士なんて、存在意義がないからね」
「まあ、その保護対象であるべき女にころころと転がされておるようではな?」
 シオンがさらりと言い、アシュレはがくり、とうなだれた。

「おっしゃるとおりです」
「わたしを転がすのに、そなたなら指一本使わずとも容易いというのに」
「?」意味が判らず、アシュレはただぽかんと口を開けた。
「ただひとこと『ひざまずけ』と命じればよいのだ」
 あまりのことにアシュレは、ぱくぱくと陸に上げられた鯉のように口を開閉させた。鳩が喉を鳴らすように、シオンは笑う。

「口先だけと思うのか? 遠慮はいらぬ。試してみるがよい」
 艶やかにシオンが笑い、アシュレに向き直った。そっ、とアシュレの砂にまみれた手を取る。さあ、と唇だけが動いて、深い紫の瞳に見つめられた。
 ごくり、と唾を飲み込む音がやたらと大きく聞こえ、アシュレは動揺した。

 ひざまずけ。アシュレが意を決してその最初の一音節を口にするかいなやだった。

「おまたせ~! いやいやいやいや、お待たせしてしまいましたね~!」
 背後のドアが開き、着替えたイズマが再登場した。
 シオンは口元を抑え、身をかがめて必至に笑いを堪えている。気配に敏感なシオンのことだ、このタイミングを見計らってのことだったのだろう。


 引っかかったアシュレはいい面の皮だ。

 仏頂面になり、アシュレはイズマの方へ挑むように、シオンから逃げ去るように歩いて行った。

「だが、さっきの話はほんとうだからな」
 小声でそっとシオンが言い添えるので、アシュレはますます肩をいからせてイズマに挑むしかなくなるのだ。
「あれっ、アシュレが相手なの? んで、アシュレ、なんで真っ赤なの? あ、そか、姫にこてんぱんにやられて、お説教喰らってたんだ。いいよ、ボクちんがちょっとレクチャしてあげるよ」

 イズマがそう言い終えるより早く、アシュレは殴りかかっていた。
 半身になり左手を拳の側を内側にして前方に構える。右手は脇に溜める。左手のストレートを防御させてから相手の反撃を誘い、最終的には右の肘を撃ち込む一連のコンビネーションだった。
 シオン相手に、アシュレは基本的に打撃技を使わない。
 相手が上手と判っていても、心理的に手を挙げられなかった。だが相手がイズマならば遠慮は無用だ。

 けれどもイズマの防御は、アシュレの拳を受け止めるのではなく大仰に身をくねらせて躱す奇妙なスタイルだった。それなのにアシュレの左腕に蛇のように抜き手が絡んできて、危ういところでアシュレはそれを右拳で迎撃した。

 最初の攻防を終え、ふたりは身を離す。

「ひょう! なかなかやるじゃん。普通はいまのでキマリなんだけどなぁ」
「なんだッ、いまの動きはっ!!」
 紙一重で躱すシオンの体術とはまたまるで別体系のイズマの動きに、アシュレは一瞬で頭に昇っていた血が冷めていくのを感じた。

「各氏族にはそれぞれ特有の武技があり、それぞれの特徴がそこには表れている。
 たとえば、姫の格闘戦は『紙一重』で躱すだろう? 
 それはね『ただの武具では傷にさえならない』っていう夜魔の特質が色濃く現われているのさ。
 かすり傷などものの数ではない。手足を切り飛ばされても、だからどうした? 内臓に傷を負ってもたいしたことではない。
 そういう思想がああいう研ぎ澄まされた様式には現われているのさ」


 だけど、ボクらはそうじゃないでしょ? イズマは続ける。

「かすり傷だって、武器で負わされたものならずいぶんと引きずる。
 手足を落されたら、戦場では普通、死んだも同然だ。
 だから、夜魔たちの格闘戦を他種族が理解するのは難しい。極端な生死観に生きる真騎士や、オウガたちなら話は別かもしれないけれどね」


 こんどは打ちかかりながら、イズマが言った。
 化鳥のように大げさな跳躍、屈伸を織り交ぜ、手足を大きく振うそのさまはフェイントなのか、舞い躍っているのかわからぬ有様だ。それなのに、予期せぬ状況から間合いを詰めてくる。

 おまけにいま気づいたのだが、イズマの長い手足を指先まで覆う横縞の着衣のせいで、目が錯視を起し、さらに挙動が掴みづらい。

「どうなってるんだっ、これっ!!」
「土蜘蛛って種族はね、アシュレ、無駄に長生きなくせして、種自体の生命力はそう高くはないんだ。筋力も人類のほうが優れている。重い甲冑は苦手なのさ。
 そのくせ夜魔みたいに手足を切り落とされても、にょきにょき生えてきたりはしない。多くの定命の生き物と同じでね。手足を切り落とされたら、呪具や《フォーカス》のような特別な機材で補わないかぎり、外科的手術で命を取り留めても、その後の長い生を不具者として過ごすことになる。
 外科手術が発達したのも、薬学や練金学を発達させたのだって、そういう理由からなのさ。
 大きく飛び退ったり、大仰に躱してみせるのは、土蜘蛛の格闘技のすべてが、それら武装した敵を相手取ることを前提に組まれた体系だからなのさ」


 なるほど、とアシュレは思う。

 たしかにアシュレが従者時代から受けてきた戦技のレクチャでは、どれもまず、地面に引き倒されるなと注意されたものだ。
 基本的に騎士の仕事は重甲冑を着こなして戦場を駆けることだ。地に這わされれば重い甲冑が徒となり、乱戦ともなれば簡単には起き上がれない。
 騎士たちの戦技教本に相手の上半身を狙う蹴り技がほとんど存在しないのはそのためだ。


 無手で武装した敵を相手取るのは基本的に絶望的な状況で、そんなときにバランスを崩したり掴まれる危険性の高い蹴り技などもってのほかだ。多数に取り囲まれているときもいけない。重要なのはなるべく取り囲まれないよう動き回ることだ。
 相手を地面に引き倒し挑む組み打ちの技は乱戦時、最後の手段だ。


 だが、それは裏を返せば『重甲冑』という強力な装甲に全身を覆った騎士ならではの発想なのだとアシュレは気がついたのだ。

 イズマの攻撃はその長いリーチを生かした変則的なものである上に、的確にアシュレの腰から下を狙ってくる。脚を止めるつもりなのだ。

 と、下方に意識を向ければ突然、左ハイキックが頭部を狙って上がってくる。
 アシュレは慌ててガードを引き上げるが、衝撃は腕ではなく膝裏に来た。パシィイッ、と革の鞭で打たれたかのような鮮烈な痛みが右脚に走った。たったそれだけでもう踏ん張りが利かない。


「どうなってるんだこれっ」
「さっきから、そればっかりじゃないかアシュレ?!」
 あはあは、と軽薄に笑いながらイズマが間合いをとって飛び跳ねている。

「いまの、完全にハイキックの軌道だったでしょ?」
「んー、途中まではね。でもアシュレが反応したから、変えたんだよ。ローキックに」
「どうやって!!」
「んー、こう?」
 びゅびゅん、とイズマの左足がそれこそ鞭のようにしなった。アシュレは砂地に膝を突いてあぜんとそれを眺めるしかない。

「それ、異能? 《スピンドル》能力?」
「技術だよアシュレー、技術なんだよー」
「すごいけど、キモっ」
「失敬だね、キミは」

 そんな会話を挟み、アシュレは立ち上がると、ふたたびイズマに挑んでいった。

 結果はコテンパンにのされた。

 イズマは実はシオンとアシュレの関係をすでにして察知ており、それで嫉妬のはけ口に、この状況を利用しているのではないのかというほど徹底的にアシュレを叩きのめした。おまけにあの軽薄な笑いは止まらないのだから、たちが悪い。


 たぶん、普通なら青あざだらけ、顔面も腫れ上がり二目と見れぬ仕上がりであったはずだ。さすがにイズマも気が咎めたのか、手を止め、アシュレの傷の具合を見てくれた。

「しかし、アシュレ、キミむちゃくちゃタフだね。こんだけ手数出してるのに、倒せない相手はなかなかいないよ?」
「いや、普通に、めちゃくちゃ痛いッス」
 なにか体育会系の口調にアシュレがなるほどには、その攻撃は熾烈だったのだ。だが、イズマはアシュレの全身を触診して驚いた。

「ねえ、アシュレ、まだ痛いかい?」
「えっ、そりゃ、とうぜん……いや、あれ、あんまり痛くないかも?」
 初撃を喰らった右脚は先ほどまで腫れ上がりまともに動かせなかった。それがいまはどうだ。ほとんど痛みがない。動きにも以前のキレが戻ってきている。

「自己治癒能の加速……次元捻転的二重体として姫と臓器共有した副作用だ」
「そういえば、だんだん喋りやすくなったきたかも」
 あきれたヤツだな、キミは。イズマは心底驚いた様子でアシュレの肩を叩いた。
「いや、それだけじゃない。確かに初撃はきれいに入ったけど、それ以降はかなりの確率でガードされてる。だんだん見えてきてるんだよ」
 アシュレ、キミの適応能力はやっぱり、すごい。イズマに褒められ、アシュレは頭を掻いた。

「なるほど、これは確かに逸材かもね」
 イズマがシオンの方を見やって言った。どういうこと、とアシュレはシオンとイズマの両方を交互に見た。
 イズマはなにか確信的な笑顔、一方のシオンは澄まし顔でふいっとそっぽを向いた。


「異種族の戦技が、それぞれの利点があるのに他の種族に流布しないのは、さっきも言った各種族の物理身体的、生態的特徴によるところが大きいんだ。逆に言えば、その種の短所も如実に反映されているってこと。とくに、長命種である夜魔やボクちんたち土蜘蛛は少子化が顕著でね。こういう技術の継承者そのものが減少傾向にあるのさ」

 どんなに優れた技術も、継承するものがいなくなっちゃったらオシマイなのさ。イズマは深刻な話題をさらりと言ってのけた。

「それでボクにレクチャを?」
「そ。ボクらが互いを知り合うのには、けっこうイイ方法だと思わないかい?」

 笑顔でアシュレを覗き込むイズマに、むちゃくちゃ痛いけどね、とアシュレは苦笑で返した。ふむん、とシオンはひとり離れてため息をつく。

「まあ、あんまし一度に学ぼうとするといままで積み上げてきた基礎が崩れてムチャクチャになっちゃうかもしれないけど」
「学ぶときはまず裾野を広げてから積み上げろ、とは習いましたけど。小さく盛るな、それぐらいなら崩して広げろ、と」
「まず開展より入り、やがて集束に向かえ、だね。なるほど、わかっているならいい」
「それだけではないぞ」

 にこやかに話を続ける男ふたりに、シオンが冷水を浴びせるような声をかけた。
 いつものシオンからすると、ありえないほど厳しい声だったのでアシュレもイズマも驚いてそちらを見た。


「イズマ、貴様にもだが、わたしにも追手がかかっているのを、よもや忘れたわけではあるまいな。
 土蜘蛛の暗殺者集団――凶手や、邪神崇拝派の闇司祭たち、そして我がガイゼルロンの月下騎士団は、そのどれもが一筋縄ではいかぬ能力の持ち主たちぞ。
 カテル島滞在も、もう二ヶ月近い。嗅ぎつけてくる連中がおるやもしれぬ。そうなってからレクチャしていたのでは遅すぎる」

「立ち寄った先々を、有無を言わせず焦土作戦のように焼き払われたことも過去にはありましたもんね~」

 うんうん、と頷くイズマに、アシュレはいまさらながら祖国すべてを敵に回して戦い続けてきたシオンとイズマの足跡を思い、畏敬の念を覚えるとともに、それら異種族の追討者たちとの来るべき戦いを想像し、覚悟を求められているのだと知った。

「ここをそのようにはさせん。われらはすでに仲間。運命共同体なのだからな」
 そのためにも、とどこか急き込んで、そっぽを向いて言うシオンはなぜか耳まで上気していた。
「そのためにも、アシュレには我らの戦い方の特徴と、その対処法を熟知してもらう必要があるのだ」

 その態度に、くすりっ、とイズマが小さく笑ってアシュレにささやいた。

「姫って、ああいうとこがかわいいっしょ? 冷徹ぶっていても、ほんとはちがうから」
「ほんと、かわいい、です」

 思わず口をついたアシュレの本音にイズマはにんまりと笑い、あろうことか声を大にして告げ口した。

「ひめ~、アシュレくんが、姫の可愛らしさにやられちゃったみたいですぅ~」
「「なっ、ななあっ?!」」

 アシュレとシオンがハモって動揺を言葉にした。
 そして、シオンが真っ赤になってこちらを向いた瞬間、アシュレは思わずイズマに飛びかかっていた。胸ぐらを掴み、全体重をかけ押し倒していた。


「およ? いいよっ、アシュレッ、そのタイミングッ!!」
 倒されながらも笑っていられるイズマは、もしかしたら底抜けに器の大きな人物なのかもしれなかった。もちろん器としては底が抜けているのだから、役には立たないのだが。

 けれども、イズマの余裕は理由のないことではなかった。

 イズマを完全に床に組み伏せた、とアシュレが確信した瞬間だった。
 ボゥム、と羽毛のクッションにイズマを押しつけたかのような感触がアシュレの全身に伝わってきた。それはイズマが落下の衝撃を完全に殺しきったという意味で正しかった。


「?!」アシュレの困惑は当然だった。
「驚くようなことじゃない、アシュレ。これもまた《スピンドル》能力の応用に過ぎないんだよ。《スピンドル》の発現は別に手足に限ったことじゃない。肉体のどの場所にでもそれは伝導し、発現することができる。習ったろ?」

 その理屈はアシュレもまた知っていた。
 だが、既知情報と既知体験を混同するほどアシュレは愚かではない。そうでなければ戦場では生き残れない。たとえそれがどんなことであっても、言うのとやるのでは大違いなのだ。


 法王庁には、実はアシュレたち聖騎士以上の戦士階級が存在する。
 
 対魔物、十一氏族、オーバーロード戦の専門家である聖騎士に戦技、それも《スピンドル》能力を教える専門の教官たちが存在するのだ。

 教導騎士団などと呼ばれているが、実際には聖騎士あがりの古強者たちばかり、たった四名で構成される特殊な騎士団だ。かくいうアシュレも幾度か手合わせ(といっても《フォーカス》を使用しないだけで、刃引きしていない本物の武具を使う実戦形式だが)を経ていたが、これほど見事に《スピンドル》を使いこなす相手を見たのは、その教導騎士か聖騎士でも上位数名を除けばイズマが初めてだったかもしれなかった。


 ちなみにアシュレは教導騎士のひとりに右腕を二度、切断されている。《スピンドル》を制御し、傷口を接合しなければ失血死に至る致命傷だ。自らの血でぬかるんだ泥のなかからそれを拾い上げ、とびそうになる意識を必至でたぐり寄せながら縫合の異能を使ったのを憶えている。

 まるで虫けらを視るような目で教導騎士たちはアシュレを見下ろしたものだ。
 その時の記憶が甦り、アシュレの肌を粟立たせた。

「いいかい、アシュレ? 神経を自分の指先、その末端まで行き渡らせろ! 肉体を、自らの精神が命ずるままに操作できるようになるまで修練するんだ。腕から伝導するのも、背中から伝導するのも本質はなにも変わらない。それができない、難しい、と感じるのは、ただそこに『己を理解しようとしない自分』がいるだけなんだ!」

 そしてなにより、とイズマは言いながらアシュレの首筋に脚をかけた。
 両腕を封じられ、イズマの全体重がアシュレの首と背筋にかかる。上位を取っているのに身動きが取れない。とっさにアシュレも《スピンドル》を使い、異能を呼び起こそうとした。《インドミタブル・マイト》。全身の筋力と骨格保持能力を底上げする効果を持つそれが発動すればこの状況を打開できるはずだった。


 だが、勢いを増す車輪のように全身を駆け巡るはずの《スピンドル》の律動は、尻すぼみに弱まっていくではないか。
 はっ、とアシュレは気がついた。

 イズマの仕業だった。《カウンター・スピン》と総称される技(アーツ)だった。

「《スピンドル》を、ふたつ、同時にっ」
「数が増えたって変わらないよ。いいかい、アシュレ、完全に統御するんだ。肉体と精神の合一の先にしか、《スピンドル》の、ひいては《魂》の秘密は解けないようにできているんだよ」

 そう諭すイズマ相手に、それでもアシュレは五分間奮闘した。けれどもまるでダメだった。もし相手の手に短刀が一本でもあれば、アシュレの命はなかっただろう。恐るべきは《スピンドル》への理解と、それを裏支えする体術、技術だった。

「参りました」
 アシュレが素直に負けを認め、タップを示すとイズマは拘束を解いた。
「こっちが上になってるのに追い詰められるてるなんて初めの経験だった」

 滝のように汗をかき、咳き込みながら言うアシュレの肩を励ますように抱きながらイズマはレクチャを続けた。

「一対一であの状況に持ち込まれると、武具系の異能に頼ってきたタイプは封殺されることが多いんだ。土蜘蛛相手にむやみにとびかかっちゃダメだよ?」
 はい、とアシュレは頷きながら対策をすでに考えはじめていた。イズマはそのアシュレの態度に好ましいものを見る笑みを浮かべた。

「なにやら、見ておる分にはあまり気持ちの良い絵面ではなかったな」
「ま、そうですねー。男同士がくんずほずれつ、つーのは控えめに言ってもあんましイイ絵面じゃないですなー」
「でも、すごく勉強になった。ありがとう、イズマ」
「アシュレのそういうとこって、たぶんヒトを引きつける要因だと思うから大事にしなよー。ちゃんとお礼言えるって、大切なことなんだよ」
「次は、ボクがお礼をいわせるからね」
「おお?? なんか掴んだね? いいね、いいね若いってのはさ。そう、転んでいいときに転んでおくのがホントはいちばん成長する人間の特徴なんだぜ? 失敗や挫折を知らん人間はダメさ。コケた後の起き上がり方を知らないのは不幸なことなんだ。ま、実戦じゃ、その次なんてないんだけどね。だから、いま、しっかり学ぶんだ」
「……あの状況は、わたしが教えようと思っていたのに」

「「ん?」」

 シオンのつぶやきに男ふたりが揃って耳をそばだてたとき、当のシオンはそしらぬ様子で話題を変えたところだった。

「それで、この手紙の内容はなんだ? 開封してもよいのか?」
 シオンは二通の羊皮紙の束をうち一通を振って見せた。

「あ、こっちはボク宛だね。封印がイリス(菖蒲)の紋章になってる」
「ではこっちをわたしが開けよう。法衣を背景に円十時と仮面をつけた海獅子とくれば、ダシュカマリエ大司教以外あるまい」

 ふたりのやりとりをイズマは止めなかったから、間違いのない話ではあったのだろう。
 そして、ふたつの手紙の内容は差出人は違いこそすれ、実際にはまったく同じ内容を
別の観点から語っているに過ぎなかったのである。

 読み終えたふたりは、互いの手紙を交換し、また顔を見合わせた。

「ボクちんも読んでいい?」
 イズマがダシュカマリエの手紙を読み終えるより早く、シオンは言った。


「今夜、ダシュカマリエに会う。湯浴みと身繕いをするとしよう」











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