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自走式空想会社:クルーシブル

二匹の空想生命体・トビスケとまほそがファンタジーを創ったり、おいしいご飯を食べたりするブログ。

M・S・R 第二話:ボーン・トゥ・ビー・ワイルド——中編

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M・S・R 第二話:ボーン・トゥ・ビー・ワイルド——中編

「いや、ほんとうに、なんども声をかけたのですが」

 照れまくり頭を掻きむしっている若い男、グレケットはネロの知人だった。
 貴族連の使い走りをしてはいたが、あくまでそれは処世術であり、貴族連に肩入れしていたり意志を売り渡しているわけではない、と主張していた男だ。

 コウモリ、などと庶子連からは揶揄され、貴族連サイドにおけるネロのような——つまり庶子たちに睨まれるという損な役回りを演じることが多かった男である。
 しかし、人当たりは抜群によく、あやういところで吊るし上げの対象からは外れるという世渡り上手でもあった。

 ネロは貴族連の陰謀をなんどもこのグレケット——グレコ、とよく考えたら葡萄品種と同じ愛称——からのタレコミで躱したものだ。
 見返りといってはなんだが、ネロがそのむかし、従士だったころ持っていたもうひとつのアルバイトの口は、クビになる際、このグレコに譲ったものだ。

 ヒトのよさと食えなさが同居する来訪者にメルロは恥じ入って奥から出てこない。
 まあ、当然かとも思う。あんな場面を目撃されては。

「どっから、見ていたんだよ」
「いや、ボクが来たときにはもう、そのなんていうか、佳境?」
「……どうして、オマエがここを知ってんの?」
「いや、むかし、密造酒飲ませてくれたろ? もし、このエクストラム市中でそんなもの隠し通せるとしたら、フォロ・エクストラーノしかないって。
 それに、だいぶ前——そうか、あれは十字軍の第一陣出陣前だから、もう、一年はたっているんだなあ——に、貴族連がキミを探しに行くって言ってたし」


 そうだった、とネロは額を押さえた。
 相手の頭も帽子掛けではないのだから、推理くらいはする。

「行けばわかるか、と思ってウロウロし始めたら降りがひどくなって。ご覧の通り、ひどいありさまさ」

 くしゅん、とグレコはくしゃみをした。

「んな濡れた服、着てるからだ。脱げよ。オレのを貸してやる」
「ありがたい」
 もたもたとグレコが濡れた衣服を脱ぎはじめたが、どうもうまくいかない。
「なにしてんだ、おまえ」
「いや、こう、ヒモが固くてさ。やっちゃったよ。固結びになっちゃったんだ」
「子供かよ、かしてみろ!」

 ネロが手に取ると結び目は簡単に解けた。

「どうした、手先の器用さで鳴らしたグレケットさまが、どうしたざまだ」

 冗談のつもりで言ったネロに、グレコは真剣な目を向けた。
 それでわかった。
 グレコの左の指はぎこちなくしか動かせないのだ。

「グレコ、おまえ、それ」
「腱をやられたんだ。十字軍でだよ。
 敵の矢が抜けてきて、浅かったし手当ても早かったんだけど、腐敗毒が塗ってあってね。
 でも、ボクはまだ運の良いほうさ。手足はあるし、目玉も両方ある。なにより生きてる。
 第一期で従軍した従士隊は約五〇〇。そのうち、帰ってこれたのは半分だ。キミを目の敵にしてた貴族連のガーミッシュいたろ。ニキビ面の。あの取り巻き連はごっそり戦死さ」


 だから、ネロ、キミは良いときに辞めたのさ。

 グレコは屈託なく言った。

「じゃあ、おまえ……いまは」
「従士は退役。うまいこと指導教官の口があってさ——まだ見習いだけど——新たな従士のみなさまの風紀を取り締まったり、寮の守衛をしてみたり、ときどきは読み書き教えたり、実戦のありようをお伝えしたり? まあ、うまいことやってますよ」

 こういうとき、ネロはどういう顔をして、どう声をかければいいのか、わからない。
 ただ、ひとつだけ言えることは、たとえその境遇がどうであれ、古い友が訪ねてきたときできることは酒を酌み交わすことだけだということだ。
 それが古なじみの礼儀というものだと心得てだけはいる。


「しっかし、びびった。アレはナニ? まさか、おまえの——奥さん? 
 すっげー美人、すっげー美人。
 おまけにチョーエロい! チョーエロい! あんなの商売女でもさせてくれねーぞ!」

「おまっ、結局、かなり最初から見てたんじゃねーか!」
「いやー白状する、白状する、最初、最初っから見てた。物陰で。
 考えやがったなー、あんな美人に葡萄絞らせるかー。ラベルは彼女の脚で決定だろ! 
 それにしたって、あれはもう、ないわ。絶対、夢に見るっ。
『えっち』とかチョー可愛い、チョー可愛い!!! オレもあんな奥さんが欲しー!!!!」

「おまえ、声がでけーよ。……でも、可愛かったろ?」
「あー、こいつのろけやがった。だけどっ、わかるっ、あの可愛らしさは異常!」

「あのっ、これ、頂き物ですけど……」

 きっちりとした身なりに着替えたメルロがテーブルに酒の肴を持ってきた。

 サラミとチーズ。それにドライフルーツを加えた黒パンだ。
 つけあわせに、その辺に生えてる草——セルバティカをオリーブオイルでドレスしただけのもの。だが、この草はここに粗塩をかけただけが、いちばん旨い。

「いやっ、奥さんっ、こんなにっ、こんなにしてもらっちゃあ」
「サラミもチーズも、おまえの持参だろうが」
「あれっ、あれえ、いや、こんなにきれいに切って盛りつけてあるとわからんもんだね。じゃ遠慮なくっ。うーん、これはワインに合う!」

 世辞もみえみえだが、グレコの巧妙なところはメルロを「新妻」と最初から断定してかかっているところだ。本当に妻ならあれほど褒められればうれしくないはずがなく、妻でないなら「妻になりたい」という願望をうまく刺激できている。そして、ネロ自身の口から「可愛かったろ」との評価を引きずり出しているのだ。
 心の耳が倍ぐらいのデカさになっているメルロには、効果てきめんの一撃だ。

「さささ、奥さまも、どうぞどうぞって、こりゃあネロの酒か」
「では、お誘いに甘えて」
「あ、いける口ですね? ネロの奥さんだもんな」
「グレコさん、おふたりは……どういうご関係? わたしにも教えてくださいな」
 ネコをかぶった口調でメルロが問い、ネロとグレコは一瞬、顔を見合わせた。
「ハグレモノ連合?」
「転がる詩人の会・会長と副会長?」
 どっと笑った。

         ※

「んで、なんだ、わざわざ雨の中、旨い肴をもって旧交を温めにきたってわけじゃないんだろう?」
「……鋭いもんだ。さすがは現役・スパイラルベインってとこか」
「急ぎの用、しかも公にできないような話じゃなけりゃ、晴れた日にスパイラルベイン本営に出向いてるだろ?」

 キャビン付きの馬車も傘も、すべて貴族のものだった時代だ。
 たかが雨とはいえ、庶民は雨中を出歩くような真似を嫌った。
 道は舗装もされておらず、雨を吸えばぬかるみ、泥水をはねあげる。
 好き好んで泥まみれになるバカはいない。洗濯も脱水も干すのもすべて人力だからだ。
 天候が人々の営みに大きく関与していた時代なのである。


「まいった、降参だ。泥をはくよ」
 つい、とグレコの目がメルロを見た。できたら、彼女には聞かせたくない、というニュアンスがネロにも伝わった。
「メルロなら大丈夫だ。いちばん信頼のおける、オレのパートナーだ」

 はっきりとネロは断言した。
 メルロの表情はその一言で引き締められたが、逆に瞳が光を帯びた。瞳孔が見開かれ生き生きと光を放っている。喜んでいるのだ。

「なるほど……奥さんも仕事人ってわけだ。じゃあ、まずこれを見てもらおうか」

 グレコは頷き、テーブルの上を拭いてから包みを取り出した。
 油紙に包まれたそれはどうやら手紙の束らしい。
 包みが開けられるとなんともいえず、よい香りがした。

「手紙……だな。拝見しても?」
「もちろん。そのために持ってきた」
「ルシルベルカ・アレクタール……ルシル……貴族令嬢か?」

 グレコの持ち込んだ手紙のほとんどは、上等の羊皮紙に記された彼女の筆跡だった。
 ルシル、の名前にネロは記憶のどこかがチリチリとするのを感じた。

「恋文……いっ、おまっ、これっ!」
 数行、本文に目を走らせたネロが慌ててそれをテーブルに投げ出した。
 本文を見て、その感覚がなんだったかわかった。
 ネロはこの手紙を知っている。


「せつせつとした文章じゃな」
 すばやく目を通しながら、メルロが感想した。
「達筆で文章も練れておるが……この娘、十代じゃろう?」
「よく……わかりますね?」

 メルロの口調の変化に戸惑いながらも、その分析力にグレコは感心して見せた。

「文通の相手に、納得できない政略結婚への想いをぶつける口調が夢見がちじゃ。
 相手の男——どうやら騎士らしいが、シュマイゼルというのか——にさらって欲しい、という願望が透けて見える。ほんに夢見がちな子じゃ」

 だが、笑う気にはなれんの。メルロは目を細めて感想した。

「この気持ち、わかりすぎるほどわかる」

 いっぽうで、ネロはうめいていた。

「騎士・シュマイゼル……」
「ん、どうした。おまえさま?」
 ネロの額に脂汗が浮いていた。
 ネロはこの娘・ルシルの文通相手、騎士・シュマイゼルをよく知っていた。


「じゃあ、メルロさん、これはどうかな」

 グレコが神妙な顔をして決定的な一通をメルロに手渡すにおよんで、ネロの顔色がはっきりと変わった。

「まてっ、それまてっ、メルロッ」

 ひらり、とツバメのようにメルロが身を翻し、ネロは床板に落下した。
「んー、なになに、菫の香りの君へ——ほう、ほうほう、ほうほうほうほう、ほう!」
 それはシュマイゼルがルシルへと宛てた手紙の——草稿だった。
 ぽっ、とメルロの頬が朱に染まった。

「一度で良いからこんな手紙をもらいたいのっ!」

 きらっきらっきらっ、と目を輝かせうっとりと溜息をついて手紙を胸に押し当てながらメルロは夢見る乙女になっていた。
「達筆で文章構成も素晴らしいが——なにより、この手紙にはまごころがある。それがはっきりと伝わってくるぞ。
 この令嬢・ルシルがさらわれたい、と想うのも無理はあるまいな。騎士・シュマイゼル、愛いヤツ! 会ってみたい!」


 ははは、とグレコが乾いた笑いで応じ、ネロは倒れ込んだ床板から立てずにいた。

「なんじゃ? ネロ、打ちどころが悪かったのか?」

 そっとメルロがしゃがみ込む。
 ネロはそのスカートの中身を横目で見上げながら放心していた。だが……。


「会うのは無理ですが、手紙はもらえますよ。いつでも」
 グレコがそう言うにおよんで、がばり、と起き上がった。

「な? 騎士・シュマイゼル?」

 ばりばりばり、とネロは両手で頭を掻きむしった。

         ※

「えっ、じゃあ、この手紙って、おまえさま——ネロが書いたのかえ?」

 ことを要約すればメルロの問いかけに集約される。
 騎士・シュマイゼルの手紙——つまり、ラブレターの代筆。それは従士時代、ネロがもっていたふたつのアルバイト口のうちのひとつだった。

 あまり恋文の得意ではない騎士の恋路のお手伝いを、ネロは引き受けたのだ。
 仲介はこのグレコだった。

 グレコが間でスケジュール調整や構成を練り、騎士・シュマイゼルがまとめた手紙の内容をネロに手渡す。その要約や、ときには相手からの返事の手紙を貸してもらい、ネロは一週間も頭をひねって恋文を作るのだ。
 だいたい一月に一回、多ければ二回、そのたびに銀貨・十枚がネロの懐に入った。一晩か二晩、公営のまともで清潔な娼館で過ごすことができる金額だと言えばだいたい物の目安になるだろうか。


 手紙一通、代筆の値段としてはけっこう破格だ。

「このシュマイゼルさまってひとは、文字も達者で要約も非常にうまいのに、どうして自分で手紙をお書きにならないんだろうな」
「なんでも詩才がないんだそうだ。実直ではあっても、こればかりは、な」
「その——実直な人柄を伝えればいいんじゃねえかな」
「そうはいかん、いかんのが貴族社会さ。だからこそ、ボクたち『転がる詩人の会』に依頼がきたんだ」
「グレコ——オマエも詩才ないだろうが」
「だから、ボクは仲介役。仲を取り持つのが仕事さ」

 おそらく五枚かその程度、仲介役として自分の懐に入れているだろうグレコを軽くにらみ、ネロは笑ったものだ。シュマイゼルはルシルからの返信内容いかんではボーナスを支払ってくれた。おかげで学費のやりくりに余裕ができた。

 また、ネロは自身の詩才というものに、このとき初めて気がついた。

 長兄であり、劇作家への夢破れた男——ダリル兄には申し訳なかったが詩の女神が微笑んだのは、そんな夢など見たこともない末弟・ネロのほうだったのだ。
 この奇妙なやりとりはネロが除隊になるまでの二年間、続けられた。

 ときどき、相手であるルシルの人となりをうかがうため、実際の手紙を借り受けたことがあるのだが——初々しい娘の感性がそこにはよく現われていた。
 ごくかるく香水がふってあるのだが、なんともその香気の加減がよく、なるほど人品・人格というものは、こういうところからも現われるのだなあ、とネロは感心したものだ。


 そして、ルシルはときおり従士隊の夜会訓練に顔を出すようになる。

 ダンスや社交界に馴れるための科目ではあったが、飽和した暮らしに退屈している貴族の次女、三女が物珍しさでやってきたり、それでもすこしは有望な貴族子弟に従士のうちから唾をつけたり、つけられたりするのが恒例ではあったのだ。

 だから、まあ、手紙の上での幻想と現実を混同しないようにしなければならない、とネロは戒め、そこそこうまくやっていたつもりだった。

 ただ、その晩はいけなかった。

 例のニキビ面の貴族子弟・ガーミッシュがその徒党をゾロゾロとひきつれ、にらみを効かせていた。庶子と貴族女性たちが接触できぬよう執拗に周囲を探っているのだ。
 やれやれ、とネロは溜息をつき、ふたつのゴブレットにサングリアをたっぷりと注ぎ入れると、焼けたソーセージを一本失敬し、暗いテラスへと退散した。

「あの……もしかして……シュマイゼルさま?」

 出し抜けにそんな声がしたのは、ネロがソーセージを半分食べ、一杯目のサングリアを飲み干しかけた時だった。

 振り返ると、可憐な娘がいた。

 すこし時代遅れの夜会服を着ていた。たぶん、母親か、祖母のものを手直ししたのだろう。だが、清楚な雰囲気がその娘にはよく似合っていた。
 ふわり、とあの香りがした。

「ルシル……ルシルベルカ・アレクタール?」
 酔いも手伝ったのだろう、ネロは思わず娘の名を呼んでいた。

「サー・シュマイゼル?」
 まさか、ほんとうに、とルシルが口元を押さえた。

「いやっ、ちがう、ちがいます。わたしはネロ・ダヴォーラ。ただの従士です」
「ただの従士さまが、どうしてわたくしのお名前を?」
「あー、いえ、サー・シュマイゼルはわたしたちの——その戦技教官で、あ、あとその礼儀作法と文学のほうも、ええ、それで、個人的に親しく、ルシルベルカ嬢のお話も、そのときにうかがいまして……ああ、想像どおり、可憐な方だ!」

 たぶん、そのときネロは完全にパニクっていたのだと思う。

「まあ、そうでしたの」
 すこし残念そうなルシルだったが、個人的な知己と聞き、シュマイゼルの話をネロにせがんだ。焦ったネロは、ネロ自身が創作したシュマイゼルのキャラクターをルシルに話して聞かせた。つまり、要約すれば、
「飛び抜けた美男ではないが、温厚で情に篤く、敬虔なイクス教者であり、また文学にも通じており、恥じるところのない清冽の騎士である」と。

「わたしが思い描いてきたシュマイゼルさまとまったく同じです」
 ルシルは小さく微笑んでネロに礼を言った。

「本人のいらっしゃらぬところで、ご友人の口からこのように賛辞される方こそ、まことの騎士であらせられる証拠」
 気がつくと、かなり熱弁を振るっていたのだろう。
 ネロの語りに、ルシルは引き込まれていた。
「でも、さすがはシュマイゼルさまのご友人でいらっしゃいますのね。話しぶりが、言葉の端々が、シュマイゼルさまのよう。良い影響を受けられていますのね。きっと、あなたも、立派な騎士になられますわ」
 年下の可憐な娘に持ち上げられ、照れかけたネロだったが、ルシルの洞察力の鋭さには舌を巻いた。

「今日はお話できてうれしかったですわ」
「あっ、あのっ、どうか今日のお話は、わたしと話したことはサー・シュマイゼルには内密に、どうか、どうか!」

 ネロは慌ててルシルに言い募った。ルシルの洞察力が恐くなったのだ。
 ネロがルシルへのラブレターを代筆していることをシュマイゼルは知らないはずだ。
 グレコは抜け目なく、そのあたりをはぐらかしていたはずだ。

 貴族が庶子に代筆を頼んだなどと、名折れもいいところだからだ。
 だが、ネロのそれをルシルは良いほうに解釈した。

「お若いのに謙遜の徳まで備えていらっしゃるのですね。陰口ならともかく、ネロさまはシュマイゼルさまを褒めてしかいらっしゃらなかったのに?」
「サー・シュマイゼルは陰口よりも、過度の讃美をお嫌いになられる方なのです。わたしがルシルさまにそんなことを申し上げたことが、わかったら……軽蔑されてしまう」
 ああ、とルシルはシュマイゼルの人柄に打たれ、さらに感激の度を増して、ネロに沈黙を約束した。
「でも……わたくし、ますます、ますますお会いしたくなりました」
 頬を恋に染めて、うつむくルシルに、心が動かなかったといえば嘘になる。

         ※

「だが、なんで、よりにもよっていまになって、こんなもん持ち出してくるんだよ」

 焦りまくるネロに、しかしグレコは冷静に言った。
「騎士・シュマイゼルが戦死したからだ」
「! いや、そりゃあ、事件だが……しかたあるまい。戦士階級にそれはつきものだ」
「ボクはそれをルシルに報せにいった。もう、三ヶ月も前のことだ。遺書を携えて」
 グレコは三通目の手紙をネロに差し出した。

 くしゃくしゃにされたのをもう一度伸ばし直したのであろうそれを、ネロは受け取り、
「見て……いいのか」と訊いた。
 他人の騎士の遺言を、見も知らぬオレなどが覗いていいものか、と。
「もちろんだ、ネロ。そのためにボクは今日、こうして来たんだ」

 ネロは頷いて、目を通した。ぶるり、と読み進めるネロの手が震え、二度、三度とグレコを見た。読み終え、ふー、と長い、長い溜息がネロの口から漏れた。
 それから、ようやく、という感じでネロは言った。

「オレに代筆を頼んでいたのは、騎士・シュマイゼルなどではなかったんだな」

 こくり、とグレコは頷いた。
「うかつだったよ。すっかり騙された。思えば、それらしい予兆は、いくらだってあったのにな。やられたよ。裏をとるべきだったんだ」
 ばさり、と羊皮紙の束をネロは卓上へ放り出した。


「なんだよ……ガーミッシュ——騎士・シュマイゼルは、おまえだったのか」


 そこには謝罪があった。
 死の間際で自らの罪を告白するガーミッシュの切実な願いが書き記されていた。ルシルへの詫び状。それからルシルのしあわせを願っていること。従士給金と戦死見舞金の全額をルシルへ送ること。総計デュカス金貨百枚は小規模な荘園と富農の家を贖える金額だ。


「馬鹿なヤツだ。どうして……どうして、正々堂々、告白しなかったんだ」
「ガーミッシュとネロ、オマエらは同い年だったな? じゃあ、知ってるか? 
 オマエが従士隊に入団してから、ガーミッシュは、一度もオマエを昇格試験の成績で抜けてないんだ。アイツは十五のときに入団して、オマエは十八。
 三年間もアドバンテージがあるのに、だ。そんなコンプレックスがあって、アイツは自分を自分だと名乗れなかったんだ」


「なんだよ、それ。わからねえよ。だいたい成績は非公開だろ?」

「蛇の道は蛇。いくらだって方法はある。たとえばオマエ、クビになる直前の試験——朱の柊賞で実は、選抜をかなり優秀な成績で抜けていたのしってるか?」
「嘘はやめろ。落ちてた——落ちてたさ。そうでなけりゃ——納得できるかよ」

「いいや、そうじゃない。落ちていなかったからこそ、オマエは除隊処分になったんだ。騎士にあるまじき醜態、ってな。優れているからこそ、より厳しくってわけさ。だが、ガーミッシュはかすりもしてなかった。
 アイツのことわからない、って言ったな、ネロ?
 いいだろう、わかるようにしてやるよ。
 アイツは、ガーミッシュは、貴族なのに、同い年なのに、学業でも戦技でも《スピンドル》でも庶子のオマエに負けた。騎士でもなく、従士でも優れていたとは言えなかった。そして——恋をした女の心を捕らえていたのは、自分の容姿でも家柄でも人格でもなく、オマエの言葉、オマエの渾身の恋文だったんだ!」

 そんな自分を、ルシルにさらせるか?

 ぐびり、とグレコが杯をあおった。ごくり、とネロも飲んだ。
 互いが互いの杯に酒を満たしあった。それから、また大きく飲んだ。

「死んだヤツにしてやれることはなにもない!」
 杯を叩きつけるようにテーブルに置いてネロが言った。
「ああ、そうだ。だが」
 グレコも言った。

 だが、とネロも言った。
「だが、ガーミッシュが——いや、結果としてオレたち三人が騙したルシルって娘のことは別だ」
 傷ついただろうな、とネロは言った。己の胸ぐらを掴んで。夜会で一度だけ会った、あの純真そうな娘を思い出して。

 ネロは自分を責めていたのだ。

 だから、グレコの言葉はそんなネロの虚をついた。

「そのことだが……否定されたよ。騎士・シュマイゼルは死んでなどいない、ってな」
「そりゃそうだろうとも。信じたくもないだろうさ」
「そうじゃない。彼女は——ルシルはオレにこの遺言状を叩き返して——いままで自分あてに送られたシュマイゼルの書簡をいちいち示しながら言ったんだ」

 ——あなたたちは成りすましね、と。

「え?」とネロは耳を疑った。

「お父様か、お母さまか、おじい様、そんなところに頼まれたのでしょう? 残念ですけど、わたくしにはわかりますの。おかしいとは思っておりました。
 一年あまり前から、十字軍遠征のころからいただく文が違っておりましたもの。それはわたくし、戦場での体験がそうされるものだとばかり思っておりました。
 けれども、いま、この遺言状なる物を見てはっきりいたしました。
 筆跡は同じようでも、言葉づかいが違います。視ていらっしゃる世界が違います。そして込められた真情が——ここから向こうのお手紙は(と、さっと卓上に線を引いて)——別人の手なる物です。
 ほんとうのシュマイゼルさまは、どこにおわしますの!」

 毅然とした態度でグレコを睨みつけ、ルシルは言い放ったのだという。

「たしかに、の」
 遺言状を読み終え、それを置きながらそれまで沈黙を貫いていたメルロが発言した。
「残念じゃが、こればかりはどうしようもない。想いの差で負けたとしか言いようがなかろう。命を懸けた遺言の評価としては——やりきれなかろうが」

 同じく女性であるメルロの言葉には真理だけが持ちえる重さがあった。

 呆然とするネロの手にメルロが己のそれを添えた。

「けど……なあ、オレがクビになったあと……このアルバイトの口って」
「ボクが……やってた。はは、恋をした女の子ってすごいんだな。完璧に、完全に見抜かれてたよ。彼女がより分けた手紙には、一通だって間違いがなかった」

 筆跡も、文体も、リズムも完璧に模倣したはずなのに。

「“好き”ってスゲエ“力”なんだな」

 いたたまれず、ネロは訊いた。
「それで、いま彼女、ルシルはどうしてる?」
「もちろん、ちょくちょく様子を窺っていた。はっきり言って責任を感じてさ。それに金貨百枚の受取人は彼女宛になっているんだ。友人の——まあ、あんまり良い友人じゃなかたけどさ——遺した金をネコババするほど、ボクも悪どくはなれない」

 なんどか日をあらため、訪ねてみたけど、会ってもらえなかったよ。

「それでさ。ガーミッシュの遺品整理のときに預かった過去の手紙をいまさらながら、読み返してみたわけ。それでネロを頼ること思いついたり、さ。ルシルって娘は望まない政略結婚に嫌気がさしてたんだな。せっぱ詰まって、追い詰められて、それで騎士・シュマイゼルに最後の希望を賭けたんだ」

 だが、その騎士・シュマイゼルはもういない。

 現在も、未来も、過去にさえ、どこにも。本当は、最初から……。

 胃に鉛を詰められたような気分にネロはなった。
 知らなかったこととはいえ、その娘の真摯な願いを自分が玩んでいた——銀貨に替えていたことに対して、罪悪感があった。

「オレにできることはあるのかな」

 ネロは、損得抜きでルシルのためになにかしてやろう、いやしなければならないという気なっていた。
「なければ——来なかっただろうな」
 グレコが言い、ネロの顔をみた。
 最後の手紙が、ネロの眼前に突きつけられたのは、その時だった。
       
         ※

 グレコは翌朝、まだぐずついてはいたが、ようやく雲間から光の差しはじめた空の下、ぬかるむ斜面に四苦八苦しながら帰っていった。

「この同じ空の下、かならず生きておられるはずの騎士さまへ——」

 その一文で始まる手紙がネロの手の中にはあった。
 ルシルベルカの直筆だ。
 シュマイゼルに恋をしていたこと。嫁ぐこと。もう、これを最後に筆をおくこと。
 だから、最後に、ほんとうのあなたからお手紙を頂きたいこと。
 それをいただけたら、すべてを受け入れること。

 簡潔にそれだけが記されていた。

 けれども、ネロはそのなかに丁寧に痕跡を隠されてはいたが、軽石で削り取られ消し去られた一文があったことを見抜いていた。

「会いにまいります」

 ずっと想いながら、行動に起せず、口にも出せず、文に記すことさえ許されなかった娘の引き裂かれた心の叫びを見出していた。

 ネロとグレコは一晩中、ルシルへの返信=騎士・シュマイゼルからの最後の手紙について話しあった。ほんとうはいない騎士に恋をしたルシルの心をすこしでも救えないかと。
 結論として、ネロは直筆の手紙を携え、グレコとともにルシルの元を訪れる約束を交わすことにした。
 ルシルに会い、自分こそがその恋文の代筆者、ひいては作者であり、またシュマイゼルなる騎士が——もういない同期の友・ガーミッシュと、グレコと、ネロの予期せぬ創作物であること——架空の存在で、しかし、夜会で初めて会った晩、いや、はじめて手紙を書いたときから、たぶん、ネロはまだ見ぬルシルに恋をしていたのだということ……。
 それを正直に告白すると決めた。


 殺されるかもしれない。いや、殺されてもしかたがない、とネロは思った。

 けれども、我が身可愛さでルシルにこれ以上、嘘を突き通すことなどできはしない。いや、そんな無法を許してはならない、とネロは思ったのだ。

 そんなことをしたら、オレは本当に人間ではなくなってしまう。

 決意を話すネロに、メルロは微笑み、その手を握りながら納得してくれた。

「けれども、ルシルとやらがおぬしを殺そうとしたなら、悪いがわしは全力で阻みにかかるからな」

 決然と告げたメルロのセリフに涙が出た。

 男の、男たちの不実を知りながら、それでもまだ自分の味方でいてくれようとするメルロの情の深さに、あらためてネロはこの娘に惚れているのだとわかったのだ。

 寝食を忘れて、ネロは手紙に取りかかった。
 グレコに替わりメルロが推敲を手伝う。

 女性からの視点を得ると、男の勝手なナルシズムの在処がよくわかる。誠実たろうとするあまり、逆にありもせず、できもしない夢想上の人格を手紙に落とし込んでしまいがちな回路をメルロは見抜くのだ。

 恋文なら、それもいい。だが、今回はそれではだめだ。

 ガーミッシュ、そしてネロやグレコ、さらにはルシルの恋心が三年以上もかけて組み上げてしまった幻の騎士・シュマイゼルを解体するための文でなければ。

 ネロは目を真っ赤に充血させ、ペンダコを潰しながら、それでも書いた。

 2週間後の朝、手紙は完成し、ネロはグレコと当初の予定どおりに打ち合わせたその日の午後の約束に向けて仮眠を取った。グレコがルシルとの会談を手配しており、問題がなければ互いに無駄な連絡は寄越さない約束になっていたからだ。

 あれから天気は常に微妙だ。降ったりやんだりをくり返す。

 髭を剃ったり、行水をしたり、身なりを整えなければならなかったが、それは仮眠の後に回すことにした。

 もう、完全にネロは限界だったのだ。
 やるべきことをやり遂げ、眠りに落ちていくネロは、このときまだ、知らない。
 
 このとき、ルシルがもうとっくに、ヒトではなくなってしまっていたことを。

         ※

 ルシルベルカが人狼病に倒れたのは半月前のことだ。

 飼い犬から感染した。突然、狂的になりルシルを噛んだのだ。
 犬は即座に殺された。
 その犬は婚約相手から送られたもので、結果として両家の関係は険悪になり、婚約は破談になった。

 ルシルの病状は世間体もあり隠蔽された。
 アレクタール家は手を尽くしたが、ルシルの病状は悪化した。
 まず、医師が匙を投げた。感染すればほぼ死に至る人狼病に治療法などない。また、末期となり暴れる患者が医師を噛む場合もあり、そこから伝染する病を畏れたのだ。

 頼みの綱は《スピンドル》能力者だけだった。だがアレクタール家は貴族階級では下級であり、ことは簡単に運ばなかった。倒れたのが法王であれば話は別だったかもしれないが、基本的に国家に登録されている《スピンドル》能力者は国家財産でもある。
 能力者自身の命の危険性のある治療に、簡単に応じることはない。


 例外はスパイラルベインだが、こちらには社会的信用がなかった。
 ルシルの命は風前の灯火と思われた。

 グレコは知らなかったが、ルシルの最後の手紙がグレコに渡ったのは、それが娘を不憫に思った家族がせめて最後の願いを叶えてやろうとしたからだ。
 娘の望まぬ結婚を強要したことに、アレクタール当主は強い後悔を感じていた。

 日に日に衰弱し、それとは対照的に精神は狂的になってゆく娘に、弱り果てたアレクタール当主を女医師が訪ったのはそのときだ。

「白衣医師団・人狼病撲滅推進委員」


 その名をさすがにアレクタールの当主は知っていた。

 現法王とは対立気味で、やや異端視されがちな派ではあったが、その施療院では献身的な看護が受けられる、それも、良心的な価格で、と噂の団体だった。

 フレアミューゼルと名乗る美貌の医師は、どこからかアレクタール家の窮状を聞きつけまかりこしたのだとのたまった。


 もはや打つ手のないアレクタール当主は、藁にもすがる気持ちでフレアの治療を受け入れることにした。


 施療は三日におよんだ。


 フレアはルシルの病室に泊まり込み、厳重に鍵をかけて他者を入れなかった。

 光に怯えるルシルのために昼までも厚いカーテンを降ろしたままの室内で、フレアはルシルと対峙した。耳を塞ぎたくなるような悲鳴と唸り声、家財が破壊される音が一日中、鳴り響いた。そして、一転、痛いほどの静寂が訪れた。
 そして固く閉ざされた扉がふたたび開いたとき、そこから現われたのはズタズタに裂けた施療衣をまとったフレアだった。

 ルシルはベッドでこんこんと眠っていた。


「娘は——娘は助かったのですか?」

「多少の後遺症は残るかもしれませんが、命に別状はない」
 にこり、と微笑み語りかけるフレアの四肢が義手・義足であることを当主が知るのは、このときだ。かちゃり、と鋼鉄の指先が音を立てた。

「病とそれに冒された患者のために捧げたのです」

 だから、噛みつかれても平気なのです。とくに誇る様子でもなく言うフレアの姿に後光を見、畏敬に打たれて当主はかしこまったという。

 噂どおり過分な請求もせず立ち去ろうとするフレアに、当主は切り裂かれた衣類と寄付というカタチで相応の謝礼をした。もちろん口封じの意味もあったろう。

「では施療院建設の足しとさせていただきます」
 フレアは深々と頭を下げ、素直にそれを受け取った。

 それがネロもグレコも知らぬ、ことの顛末だ。

 だが、この話にはまだ続きがある。
 病から回復したルシルは周囲が驚くほど元気に明るくなった。
 結婚が決まってからはふさぎ込みがちだったルシルの変化に、当主はこれでよかったと喜んだものだ。
 まるで解き放たれたみたい、とルシルは言った。毎晩とても気持ちの良い夢を見るのだと。

 ただ、奇行があった。


 朝、目覚めるとルシルの手足が泥に汚れているのだ。

 本人に問い正しても、首を捻るばかり。
 庭師が庭園の芝生に、巨大な狼の足跡を見出したのもこのころだ。人狼の病魔、と屋敷に住み込みの雇われ人たちが囁きあった。例の事件以後、番犬たちは庭から隔離されていた。
 当主はいまいちどフレアに相談した。
「もしかしたら、一度は払った病魔が性懲りもなく娘さんをつけ狙っているのかも」
 フレアは昼の診療を終えるとやってきてはルシルの様子を見、夜間の戸締まりを厳とすること、このことは委細自分にまかせることを当主に約束させた。
 娘の命の恩人であるフレアを当主は一も二もなく信用し、泊まり込み用のベッドまで用意させた。
 つまり、ネロを襲ったあの大狼は人狼の病魔であり、フレアはそれを追っていたことになる。
 この話が、本当であるのなら。


はい、M・S・R第二話:ボーン・トゥ・ビー・ワイルド——中編、お届けしました。

手紙の代筆というボクたちの基底現実での中世ヨーロッパではわりとスタンダードだった
習慣を題材に、これまたストレートな悲恋をファンタジーの薫りで仕上げるこのお話。

甘酸っぱい過去と苦い現実の味が交差するターニングポイントでした。

原稿用紙で言いますと前中後編で約120枚、ラノベフォーマットで80枚前後のボリューム
というところでしょうか。

活字中毒の方なら、一時間かからず(ヒトによりけりですが30分という方もおられるでしょう)
通しで読めてしまう程度のものです。

本来なら挿し絵と絡めてUPしていくのが、我がクルーシブルの流儀なのですが、
「燦然のソウルスピナ」の方で絵を担当する:まほその作業が間に合っておらず、

(いや、甲冑とか攻城兵器とかクリーチャーとかって、めちゃくちゃ手間かかるんです)

先に、外伝であるM・S・R第二話:ボーン・トゥ・ビー・ワイルドを
お届けするカタチになっています。

挿し絵を楽しみにされている方(来場してくださる方は、まだ少数なのですが)、
必ず、そして順次UPしてまいりますので、お待ちください。

文字原稿だけ先にUPでもいいよ、といわれる奇特な方——
もし、いらっしゃいましたら、一言コメントをいただければ幸いです。

では、また近いうちに。

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