「聞け、死者でありながら偽りの生に囚われし哀れな者どもよ。貴様らを繋ぐ呪わしき縛鎖・連鎖を断ち切るため、慈悲の心を持って参ぜられた姫殿下のお言葉を。こちらにおわしますは、畏(かしこ)くもガイゼルロン大公息女にして王位継承権第一位、シオンザフィル・イオテ・ベリオーニ公女殿下であらせられるぞ!」
秘密の抜け穴を使い、穴の底に降り立ったアシュレたちは打ち合わせ通りに行動を開始した。
アシュレは単身、乱立する巨岩の陰を縫うように進み、墓所の侵入口のひとつにほど近い高台に陣取った。狙点を確保するためだ。途上で亡者の群れとの不期遭遇戦に陥らないかと肝を冷やしたが、杞憂だった。
墓所・〈パラグラム〉の裏側には奇怪な光景が広がっていた。
温泉の流れ込むその先は小さな湖だった。星を映し込む地の底の鏡のような岸辺に〈パラグラム〉は面していた。奇岩・巨岩がその台座となり、また周囲に林立していた。
それはただの岩ではなかった。そのすべてが神の顔だった。
赦す神があった。罰する神があった。創る神が、壊す神が、和合の神が、呪う神が、アシュレの知りうるあらゆる多神の頭部がそこには転がっていた。その光景は邪教の神殿に足を踏み入れた心持ちをアシュレに味あわせた。
そして、それはほとんど正解だった。
「グラン・バラザ・イグナーシュに告げる。これ以上、そなたの祖国と良民とを害し冒涜せしめること、我――シオンザフィル・イオテ・ベリオーニが許さぬ。同様の警告は十年も前に告げた。しかるにこの所業、従う気はないとみなす。ならば剣に問う他あるまい。汝が、かつて降臨王と呼ばれしほどの男ならば、せめて合戦にて決着をつけようぞ。我が挑戦を受けるべし」
朗々たる声でシオンが告げた。イズマといい、舌を噛みそうな口上を淀みなく堂々と呼ばわるそのさまは、間違いなく彼らが王の血脈のものであるとアシュレに思わせた。イズマなど普段のあの調子からはまったく想像だにできぬ、ますらおぶりであった。
奇岩のひとつに立ち口上を述べたふたりに、がちゃり、がちゃり、と骨どもが応じた。どこに伏せていたのだろう、墓所の背面エントランスと前庭はまたたく間に無数の亡者であふれ返った。細い上弦の月が雲間から光を投げ込み、それが明らかになった。
骨たちはしわぶきひとつ立てず、しかし、錆びた刃を携えて、たったふたりの挑戦者を見上げた。その数、約五〇〇。全戦力ではないことは容易に見てとれたが、前庭に展開できるものとしては最大値であろうと知れた。
これ以上は逆に効率が落ちる。烏合の衆ではなかった。イズマの言が正しいならば、グランはあとこの二十倍以上の戦力を予備兵力として温存していることになる。
状況だけを冷静に判断するならば、敵戦力は圧倒的であり、刃を合わせるまでもなく絶望的だった。
「謝っちゃおうかな~」
唇を動かさず腹話術のようにイズマが言った。脚長羊の鞍上だった。隣のシオンにだけ聞こえるように。
「帰ってもよいぞ」
な、ヴィトライオン。シオンは乗騎の首筋を撫でてやった。
「オマエは落ち着いているな、ヴィトラ。この腰抜けは刃を合わせる前から逃げる算段だそうだ。オマエのご主人である少年騎士など、愛する女のため甲冑を脱ぎ捨て死地に飛び込む志願までしたというのに。ああ、女としてどちらが愛おしいか、聞かずともわかると言うもの」
にこやかに世間話でもするように、シオンは言った。
ヴィトライオンは傷封じの貴石とシオンの手当てにより重傷から回復していた。貴重な貴石はイズマの持ち物だったのだが、なついたのはシオンのほうだった。いまや仮の主人として手綱を任せるほどだった。
「モチ、冗談ッスよ。ほら、緊張をほぐそうという」
「わたしもだ」
イズマを一瞥さえせずシオンは言った。イズマは虫みたいな顔をした。
「グランは出てくるかな」
シオンがそうつぶやき前線に目を流した瞬間だった。夜よりなお暗い黒雲が耳に障る音を立てて戦場の中央に降り立った。
「かかった」
シオンが姿勢を直した。
黒い霧が渦を巻き収束し、突如として晴れた。瞬間、そこには焼死体を思わせる怪物が立っていた。眼窩に炎が燃えていた。骸骨にヒトの皮を貼り付け火であぶったような外観をしていた。ケロイドと骨と消炭を捏ねくり回したような姿をそれはしていた。
だれからとなく骸骨たちが道を開けた。
漆黒の、猛毒の着衣がざわざわと、ささやき声のような音を立てて従った。
その怪物の足下に転(まろ)びでるものがあった。
数名の、童の姿をした骨たちだった。遊びに興じていた。輪を枝で転がす遊び。転がされる輪は王冠だった。怪物は、その輪をそっと取り上げ、埃も払わず己が頭上に戴いた。
それが降臨王・グランだった。
「ひさしいな」
声をかけたのはシオンだった。高台の馬上から降りもせず。固い声だった。
「これはシオンザフィル殿下。お美しくなられた」
うやうやしくグランは応じた。
「夜魔にとって十年など、瞬きするほどの時間ぞ。姿にさほどの違いはあるまいに」
「内面のお話でございますれば。ずいぶんと経験を重ねられた。高貴な血の香り、女王の片鱗が伺えまする」
「……オマエはバケモノになったな」
「因果応報、かと」
そなたは、それでよかったのか。平然と受け答えするグランにシオンの瞳が揺れた。
「これこそ、民の望みなれば」
「そなたの望みであろう。主語を取り違えておるぞ」
「たしか、以前にも同じやりとりをいたしましたな」
我らふたりは、いつまでたっても平行線。グランは声もなく嗤った。
「たしかに。これ以上の問答は無粋か。疾く、決着をつけようぞ」
「決着ならばすでに十年前のあの日、ついたかと存じますが、姫殿下のおぼしめしとあらば、このグラン、心ならずも再戦の申し出に従いまする」
「王手(チェックメイト)を叫ぶまで、勝負はついておらぬと教えたはず」
「古い戦術に固執なさると、足下をすくわれますぞ。戦の術は日進月歩。十年前の醜態をお忘れではあるまいに」
「ぬかせ、小童。歴史の重みを知るがよい!」
ずらり、と鋼と布の擦れる音がした。月下に華が咲いた。〈ローズ・アブソリュート〉が震えていた。屠るべき獲物の群れを前にした肉食獣のように。
互いが同時に動いた
びょう、とグランが掲げていた右手を振り降ろした。一斉に骨たちが矢を放った。その弾着を隠すようにグランの着衣――黒雲――が高台のシオンたちを襲う。
その瞬間に高台を放棄せねば躱せぬはずの攻撃だった。
だが、シオンたちは微動だにしなかった。白銀の雷電がすんでのところでその攻撃のすべてを防ぎ止めていた。聖剣の刃がまさに花弁のごとく展開し、その間に生じる電磁網によって黒雲とその後に続いた鏃の驟雨(しゅうう)を防ぎ切ったのだ。矢は軸と羽根をまたたく間に黒雲に喰われ、錆ついた鏃を残すのみとなった。それが電磁網に分解され光の粒となる。
「なるほど、アシュレの観察通りであったな」
言いながらシオンは技(アーツ)を放った。
《プラズマティック・アルジェント》。広範囲殲滅用超技の出かかりを防御に転用した工夫だった。白銀の刃の群れがプラズマの尾を引いて骨の軍団を粉砕した。
たった一撃で百を屠った。その効果範囲にグランがいた。
だが、グランは一瞬早くその身体を塵に変え、後方、本陣へ転移していた。再結着しながらシオンの手際を褒める。
「工夫されましたな。かつての手合わせではなかった動き」
「学ぶことと歴史を紡ぐことは同じ。浅薄な目新しさとは違う」
「しかし、その後がいけません。すさまじき技なれど、既知のものなれば我には届きますまい」
「そりゃあ、どうだろね」
イズマが言い終えるのと、錆びた槍衾がグランを縫い止めるのは同時だった。骨たちが主であるはずのグランに牙を剥いたのだ。ぬう、とグランがはじめて呻いた。
「この技は、はじめまして、かな? 降臨王。相食む骸骨の小夜曲(セレナーデ)。この演目は楽しんでもらえると思うよ」
相手の下僕や妻を分捕るのはボクらが本家だって忘れてたのかい? 凄みのある笑みを浮かべてイズマが言った。《グラン・ギニョール》。相手の使役する使い魔や死霊を奪い取り操作する邪術。通常は一体に対して行使される技だが、イズマは一時に数十体を相手取っていた。下級の骸骨相手だとは言ってもあまりに手練れだった。
グランが呵呵と嗤った。
「虚を突かれたが、ただの鋼で不死者を屠ることはできぬ。そこな姫君に教わらなんだか、愚か者よ。それに、どこの馬とも知れぬ輩にふさわしい姑息な技よな。足止めにしかならぬわ」
「足止め結構。それが目的だもん。姑息ってーのは、そりゃ褒め言葉だね」
その通り、グランの動きが止まる瞬間を狙っている男がいた。高台のアシュレだった。
ごうらん、と空気の爆ぜる音がした。
網膜に焼きつく光条とともに高熱によって炙られた大気が壁となって骨たちを打ちのめした。怒れる龍の吐息(ブレス)にも似た一撃が、グランの拗くれた胸郭を撃ち抜いていた。
光条は胸を貫通し、地面を赤熱させた。グランが爆ぜ飛ばず、また地面が吹き飛ばなかったのは、ひとえにグランに練りつけられた不死の呪いの強大さがゆえだった。
ごはあ、とグランがあえいだ。光条の通過した胸郭には巨大な貫通孔が空き、そこが白熱していた。《ラス・オブ・サンダードレイクズ》。文字通り雷龍の憤怒のごとき一撃が不死の王を打ち据えていた。これこそまさにアシュレの操る神槍・〈シヴニール〉の真骨頂だった。
シオンが敵の攻撃を誘い、攻防一体の着衣を引き剥して敵の守りを削ぎ、転移直後の足止めをイズマが、とどめはアシュレの槍で行う。にわかに組まれたパーティーとは思えぬ完璧な連携だった。
だが、相手はさすがに降臨王・グランだった。
すかさず二射目を放とうとしたアシュレを戻ってきた黒雲が襲った。
視界を阻まれながらも二射目を放った。当たったかどうかもわからなかった。気がついたときには黒雲にのしかかられていた。
「アシュレッ!」
シオンが戦いを忘れて叫んだ。戦場をプラズマの斜線が舐めつくし、土煙が上がった。
「チビッコが、無茶しやがって~。死んだらなんにもなんねーゾ!」
イズマが暴れる羊をどうにかなだめながら悪態をついた。
カッ、と煙と黒雲の間から雷光が翻った。いや、それは雷光などではなかった。シオンもイズマも己の胸の上で《スピンドル》にトルクがかかるのを感じた。ごお、と大気が渦を巻き土煙と黒雲を吸い上げた。《ブレイズ・ウィール》!
アシュレの携えたもうひとつの神器・〈ブランヴェル〉が可能にした防御技だった。盾の表面装甲に激しい力場の乱流を造り出し、敵の攻撃そのものを搦め捕りながら受け流す能動的防御。呪いや聖別によって護られていない刃なら、回転する力場によって粉砕され、無数の見えざる顎門に食い散ちらかされるように塵に帰ることになる。
重甲冑を纏った騎士たちによるランスチャージの戦列すら受け切ることを可能にする超防御能であった。
生きてるよ! 自分を見上げるシオンとイズマにアシュレは槍を掲げて答えた。
「あのバカッ、派手にやりやがって」
イズマの怒声にアシュレの槍がこちらを向いた。
「うっ、そーん!!」
またまたイズマがすっとんきょうな声を上げた。アシュレは撃った。本気だった。
「若い世代がキレやすいって、本当だったのか! 姫ー、アシュレがボクちんを撃つんだよー、助けてー!」
イズマが岩の上で羊をむちゃくちゃに走らせた。
おかげで狙いが逸れたようにイズマには感じられた。びゅう、と光条が岩の背後を舐め、直後に爆散した。
そのなかにシオンは無数の骨とポールアームの穂先を認めた。混乱に乗じ背後に敵が回り込んでいたのだ。高台のアシュレからはそれが見えていた。
間違ってもイズマを狙ったのではなかったのだ。
「伏兵か!」
「なーにが姑息な手をだ、グランめ、てめーもやってんじゃねーかよ!」
先だってのやりとりを、イズマはやはり根に持っていた。アシュレに対する罵倒など瞬間的に忘れている。器の大きさの計りづらい男ではあった。
こちらはもうよい、ゆけ! シオンは剣を掲げ乱戦に身を投じることでアシュレを促した。
そして、アシュレもそれを受け取った。以心伝心が嬉しかった。躊躇なく槍を捨て、盾だけを頼りに走った。〈パラグラム〉へ突入した。
※
「アシュレってさ、抜けてるのか、鈍感なのか、わからないときがあるよね」
時間は少し巻き戻る。墓守たちの秘密の抜け道。温泉の流れがかたわらを下り落ちる地下の川辺を三人と二頭は墓所を目指し歩いていた。
先頭をシオンが努め、最後方をイズマが歩いていた。装甲度の違いからアシュレは先頭かしんがりを申し出たのだが、あっさりと却下された。
「そなた、夜目が利くまい」
明かりが必要なのはアシュレとヴィトライオンだけだった。シオンはその主武器である大剣の間合いもあり、先頭を譲らなかった。その直後にイズマがいるといらぬケガが増えるからという理由でこのような行軍順になったのだ。
たしかに振りかぶった大剣の切先がかすれば人間でも危険だが、その刃の特性を考えればイズマにはかすり傷が致命傷に発展する可能性もあった。
「姫にぶち殺されないようにしようっと」
言いながらイズマは羊に乗って最後尾にそそくさといってしまった。
おとなしくしておるならよい、ということなのだろう、シオンはちらと視線を送っただけだった。馬の手綱を引きながら暗い川岸をどれほど歩いただろう、不意にイズマが話しかけてきた。
「ねえ、アシュレ、どっちなの? 抜けてるの? 鈍感なの?」
いつのまにか敬称略になってしまっていることと、その質問ではどちらにせよバカにされているのではということにアシュレは気がついていたが、あえて指摘はしなかった。
「なにがです?」
「ヒトの目的も訊かずに、ただ敵対する勢力が同じってだけで、ほいほい同行するもんかね~って話。ふつうちょっとは勘ぐるでしょ」
「たしかに、そうかもしれません」
アシュレは認めた。己の愚を。ユーニスを人質に捕られた時点で、それ以外のことに血の巡りが悪くなり視野狭窄に陥っている自分がいることをイズマは指摘しているのだ。
「ありがとうございます。やっぱり、イズマさんって、いい人なんですね」
「……なんか、調子狂うよね、キミってヤツは。ボクの質問に答えてないし、それじゃあ、ボクちんが悪者になっちゃう流れじゃん」
人気が落ちてしまうじゃないかッ。イズマは言った。だれからの、とアシュレは思ったが、たしかイズマは王だと言っていた。民からのか、と思いいたり、しかし、こんな王に統治される領民を思うと複雑な気持ちになった。
「でも、シオンからは聞きました。目的も、どうして行動を起こしているのかも、グランとの過去も、ぜんぶ。それらをひっくるめての共闘だとボクは了解しています」
沈黙があった。嫌な予感がした。
ゔあー、と文字では伝わり難い大声がした。やかましいッ、とシオンが怒鳴り返した。
「よびすて」
「な、なんですと?」
おかしな訊き方でアシュレは問い直してしまった。蚊の鳴くような声でイズマがつぶやいた。どんな顔をしているのか容易に想像がついた。夜目が利かなくてよかった。
「いま、よびすてにしたな。姫の御名前を」
「シオン、ってこと?」
あひい、とまた大音声がした。やかましいッ、とまた怒鳴り声がした。奇襲の成否に関わるだけに、アシュレはイズマの口を封じたかった。最悪、物理的手段に訴えてでも。
「ま、まずかったですか?」
「まずい、まずいよ、キミぃ。よびすてはマズイ!」
いや、さっきアンタだってボクを呼び捨てにしただろうに。アシュレは思った。
「ボクちんだって、まだ許してもらってないのに、姫ぇ~」
「呼んだら、いいじゃないですか」
「畏れ多い。ぶち殺される。二人の関係が壊れるのが、コワイ」
いや、いくらなんでもそりゃあないんじゃないかとアシュレは思ったが、そうではないかもと思い直した。アシュレには見えなかったが、イズマは恐縮しまくりで首を左右に振っていた。
「じゃあ、せめてボクらは呼び捨てで」
「男と馴れ合ったって、ぜんぜんうれしかないね、ボクぁ」
面倒くさいヒトだなあ、とアシュレは半笑いになった。先に折れて見せる交渉術で事態を打開しにかかった。
「そうですか。だけど……ボクは“イズマ”の話が聞きたいなー」
「……ま、そこまで言うなら、しかたないなー、ほんとはもっと親密になってからなんだけど」
うわずりそうな声を必死で抑えているのが暗闇でもありありとわかる調子だった。面倒くさいが、ツボを心得れば操作はたやすい。イズマの評価をアシュレは訂正した。
さて、どこから話そうか、とイズマは言った。長い刻の流れを遡るような口調だった。
「――ねえ、もし、アシュレの姿を完全に写し取れる姿見があったとしてさ」
夢見るようにイズマは言った。
サーガを語るようなその口ぶりは、先ほどまで茶番を演じていた男のものとはとても思えなかった。はい、とアシュレは先を促した。
巨大な姿見――磨き上げられた鏡とそこに映る自身の似姿を想像して。
「あまりに精巧に写し取れるもんで、仕草や声色や考え方のクセをさ。そいつが――写し取られた本人が鏡の前から去っても残っていたなら、それは本人と見分けがつくかな」
「?」
なにを言われたのかわからない、という表情をアシュレはした。寝言の国の話を聞いたように、想像が追いつかなかった。
「つまりね、消えない精巧な誰かの残像が、キミの目の前ですでに消えてしまったその誰かを演じ続けているとき、キミはそのまやかしを見破れるかって話さ」
イズマはアシュレの想像のいたらなさを責めなかった。
むしろ、大切な考えの萌芽を助けるように言葉を繋いでくれた。アシュレはこれは仮定の話だと頭を切り替かえた。そんな姿見が現実にあるかどうかは問題ではなく、あると仮定して考えることが重要だった。
「その立ち振る舞いはカンペキ?」
「声も、仕草も、考え方の発露のクセも」
「でもほんとうは、からっぽのがらんどうで、考えもなくて?」
「そう、アシュレの言うとおりに、からっぽでがらんどうで、考えもなくて」
「じゃあ、その残像はどうやって動いているの? どうやって……ボクらにそれが本人とすり替わっているとわからないようにしているの? つまり――反応しているの?」
「相手は鏡だよ、アシュレ」
瞬間、アシュレはイズマの言わんとすることがすとん、と理解できた。
筋道を説明するのは難しい。一晩中考え続けた問題に一足飛びで正解だけが直感できたときの、あの感覚だった。
「そうか、ボクたちの《ねがい》を反射しているんだ。その姿見は。ボクたちがその姿の本当の持ち主に対してそうあってほしい、そうであってほしいと願う、その《ねがい》に反射して演じて見せるんだ。中身なんてないんだ」
ああ、と長い溜息が聞こえた。それが賛辞だとアシュレにはわかった。
難しすぎる例え話を投げ出さなかったアシュレの思考力のタフネスへの。
わたしは、とイズマが言った。別人の声だった。あるいは、これがイズマの本性であったか。
「無制限に“だれか”の《ねがい》を叶え続ける姿見。それが、わたしの敵なんだ。わたしたちの責任なんだ。この世界に散在するそのすべての姿見を叩き壊すまで、わたしは戦う。姫とわたしは、その敵を一部だが同じとしている。だから共闘する」
それは、とアシュレは続けて問うた。すでにイズマの語る姿見は仮定の存在ではなかった。それはある。実在するのだ。イズマの話はその例えに過ぎないのだ。それはなんですか、どのようなものですか、どこにあるのですか。アシュレは問うた。
仮想の姿見は、すでに現実の問題だった。
「たとえば〈パラグラム〉はその姿見のひとつさ」
ぞくり、とアシュレの背筋を悪寒が走った。
「考えたことはないか? オーバーロードは生まれ落ちたときから、すでにしてそうであったか、と? 傍若無人な神の模倣者であったか? 否、彼らはなにがしかの過程をもって、そうなる。いや、正しく言い直そう。彼らは――オーバーロードにされたのだ」
がつん、と側頭部を強打されるような衝撃をアシュレは感じた。ヒトをオーバーロードにするもの、それが姿見の正体。ぶるぶると全身が理由のわからぬ震えに粟立った。
「あるいはキミのお父上は、このことを知っておられたのかもしれん。それゆえに、法王庁はお父上を葬ったのかもしれん。そして、謀事に関わったすべての人間が、その事実に対して無自覚だった可能性がある。
――すべては仮定だが、ひとつだけ確かなことがある。アシュレ、キミがこの事実をいまの年齢になるまで知らなかったということは、間違えようもなく、お父上の愛ゆえだということだ。《意志》ゆえだということだ。キミがせめて立ち向かえるようになるまで、お父上はこの事実からキミを遠ざけておきたかったのだ」
だから、本来父親が話すべき事実を成り代わり告げるわたしの罪深さを許してほしい。
「だが、これから我々が行う所業は、ともに戦う友に、事前に語らずしては加担させることなど、とてもできぬことだ。だから語った。キミの行く道はいっそう厳しい。そのうちのいくばくかは、間違いなくわたしに責任がある。
つらければ責めるがいい。なじるがいい。しかし、それはお父上の責任でもあり、この世界全体の責任でもあり、そしてまたキミ自身の責任でもある。
ただ――キミは意識してその責を負わざるをえない人間になったということだ」
アシュレは立ちどまり、じっと背後に目を凝らした。
掲げたトーチがパチパチと音を立てた。壁面には古い古い神話が絵巻物として描かれていた。この抜け穴自体とてつもなく古いものなのだろう。
その古代の穴ぐらの底で偉大な王に語られているかのような、そんな錯覚をした。
背後の暗闇から夢で見た黄金の王冠を戴いた男が現れ出るのではないかという錯覚を抱いた。
「振り返っちゃあ、だめだ」
恥ずかしいよとイズマが言った。口調はおどけていたが、いつもの調子ではなかった。たどたどしく、どもりがあった。本当の言葉は――真情とは、どもらざるをえない、たどたどしくあらざるをえない。イズマは泣いていたのかもしれなかった。
「やめてもいいんだ。いまなら、まだ間に合うかもしれないんだ」
イズマが言った。後戻りする気はない、とアシュレはかぶりを振った。
「ユーニスを助けないと。ずっと昔からいっしょだった。彼女がボクに対してそうであるように、ボクも彼女の全部を知っている。血肉と同じくらい、彼女はボクの《魂》に組みついている。切り分けられない」
「キミは責めないのか、それほど愛しい女が命の危険にさらされているのは、わたしのせいかもしれないんだぞ」
「どうしてあなたが自分のせいだというのかわからないけれど、あなたはすでにここにいて、自分の責任をまっとうしようとしている。世の中には物陰に隠れて他人の言葉尻ばかり追いかける姑息な連中が多いけれど、あなたは違う。シオンも。だれからも責められるようなひとたちではない。そんなやつがいたら、ボクがぶん殴ってやる」
それだけ言うとアシュレは前進を再開した。わけもなく誇らしかった。イズマから本当の話を聞けたことが嬉しかった。
「ボクはあなたたちを信じる」
「忌むべき異種族でも?」
「関係ない」
「アシュレ……わたしは長い間、信じるという言葉の使い方を忘れていた。大嫌いな言葉だった。だが、君たちに出会って、いまは、すこし違うかもしれない」
アシュレには、シオンといい、イズマといい、自らの責任を果たそうとする連中の仲間になれたことがたまらなく誇らしかった。聖騎士に叙任されたときより、ずっと。
ヒトは過ちを犯す。それは夜魔であるか、土蜘蛛であるかに関わりがない。もしかすると生きていること自体がすでにして過ちなのかもしれなかった。
だが、すべてが過ちの世であればこそ己の責任から逃げるかどうかで、その人間の人格の尊さが決まるような気がしていた。
責任はだれかに押しつけて取らせるものではなく、自ら取って果たすものなのだ。
アシュレは決めた。己の本分を尽くそうと。
先行するシオンの背中が見えた。右腕を上げている。停止の合図だった。
「着いたようだ」
全隊が集結したとき、イズマはもうすでにあの腑抜けた男に戻っていた。直前で羊から落ちて走ってきた。慌てて温泉の流れに突っ込む勢いだった。
「寝ねてまんた」
呂律が回っておらず、口元にヨダレの跡があった。アシュレは笑いを堪えるのに苦労した。
「こやつを渡しておこう」
シオンがどこからか一匹の小動物を取り出した。愛らしい様子でふるふると動いている。ネズミの仲間かと思ったが、コウモリだった。使い魔だと得心した。問題は出所だった。アシュレには、どうにもシオンのスカートの下から現れたようにしか見えなかった。
「女には秘密があるものだ」
しれっとシオンに躱された。男ふたりが間抜け面をさらしていると、シオンはさっさと説明をはじめてしまった。
「名はヒラリ。淑女だ。わたしとはリンク関係にある。こやつの五感を限定的だがわたしは借りることができる。ヒラリという名の器官が増設されていると思えばよいか」
シオンの手の甲からアシュレの胸にヒラリはもぞもぞと移動した。
コウモリといえばもうすこし恐ろしげな印象があったが、存外可愛らしくアシュレは撫でてしまった。食事は水を除くと果実かワインしか摂らないという。
シオンの分身と思うと可愛らしさもひとしおだ。首の回りだけが白くとりわけ柔らかい毛質だった。クセになるような感触がした。
ひぅ、とシオンが声をあげた。
「ご、五感を共有していると言ったであろうがッ」
首筋は感じやすいのだからして丁寧に、となにか重大なことをシオンは口走り、アシュレとイズマが呆然とする間にヒラリはアシュレの懐の隠しに入っていってしまった。
「もし、ヒラリがケガをしたらどうなるの?」
「リンク中なら痛い。血が出る」
「命を落とすようなことがあったら?」
「血が出て痛いが、わたしは死なん。かといって仲間を失うような事態には陥るでない」
もっともです、と男ふたりは頷いた。
「……なんだか気味がわるいな、そなたふたり、暗がりでなんぞ企んだか?」
それが抜け道での顛末だった。
さて、ついに第十三夜まで来てしまいました「燦然のソウルスピナ」。
お話的には、これより語られる長いサーガに通底する部分が語られます。
イズマが語る「忘れぬ姿見」こそ、その例示に他なりません。
イズマは語ります。「
無制限に“だれか”の《ねがい》を叶え続ける姿見」こそ、
自分の敵なのだと。
それこそはこの「ソウルスピナ」という世界の規矩に埋め込まれ、焼き付けられた呪いのカタチ
に他なりません。
アシュレたち一行は、以降、この呪いに相対し続けることとなるのです。
では、またもや挿し絵なしのUPですが、イラストのほうもそう長くはお待たせしないと思いますので。お待ちください。
2013年内には、第一話の掲載を終えたいなあ、と思いつつ。
次回、第十四夜をお待ちください!